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第二篇 みぐぜんの轍(三)

「うおっ!?」

「どうしました? クモ渡り(スパイダー)

「いや、これが村長の車かあって……」


 ミカサたちの目の前にある車は――

 RAV-MS3。通称、《スペクタアⅢ》。

 一九三六年式、V型12気筒(ダブルシックス)エンジン搭載の4速MT車。

 黒く鈍い光沢を放つ長大なボディは、もとは終末前の舗装道路向けに設計された高級車だった。

 今やRAV化され、過剰なまでの踏破装備と共に威圧感を放っている。


 屋敷の裏手。今では屋根付きの車庫と化したガレエジに、スペクタアは格納されていた。

 ミカサは工具袋を腰にぶら下げ、しゃがみ込むようにして車体を見上げる。


 まず目をやったのは、バンパア。重厚なメッキが施された外装は、古いながらも傷ひとつない。

 変形も、目立つ擦過もない。下部にうっすらと土埃は付いているが、これも日常の範囲内。

 次に、フェンダアの内側。泥はない。タイヤのトレッドも左右で均等。

 トレッド溝には特異な石や枝葉もなく、変わった痕跡は見られない。

 ハブナットの錆も整備用の塗装も古いままだ。

 下回りのボルトにはいじられた形跡もなく、車体下のプレエトにも、走行時に付きそうな異物や血痕は確認できなかった。


 ミカサは手袋を外し、エンジンルウムの留め具に触れる。

 締まり具合は規定どおり。エンジン周りの油滲みもなく、内部も古いままだった。


「……何もない。シロだなこれは」


 そう結論づけるより他にない。


「表面成分をスキャンした結果、血液反応も見られません」

「お? そんなことが分かるのか。やるなあ」

「もっと褒めてくれてもいいんですよ?」


 その発言は無視して訊き返す。


「隠蔽の痕跡があるかどうかは分かるか?」

「繊維や微小タンパク質の残留があれば検出できます。ただし平滑面や、漂白剤を使用された場合は……厳しいですね」


 ふむ、と頷いて考え込む。

 ここではもう得られる情報が無さそうだ。

 日が沈みきる前に、駐車場の車も調べておきたい。





 村の門を抜け、坂を歩いて登る。

 最初のつづら折りを曲がった先、道路の片隅に、暗い染みが浮かんでいた。


「血液反応あり。数日以内のもののようです」

「ここが現場ってわけか」


 ミカサは染みのそばに伸びるタイヤ痕を一瞥し、それ以上は何も言わず駐車場へと向かった。


 駐車場に停まっているRAVを確認する。

 一台は、ミカサのオオタ号なので除外。

 調べるべきは三台。国警のパトカアが一台と、ダム調査で村に来ている水道局の車が二台だ。


 それぞれに近付き、しゃがみ込んで足回りを覗き込む。

 三台目を確認したところで、ミカサは小さくかぶりを振った。


「どれも違うな……」

「村長の車みたいに、調べなくてもいいんですか? あ、血液反応はやっぱりありませんけど」


 そのとき、駐車場に一人の男が入ってきた。

 制服の感じからして、この村の駐在なのだろう。

 足早にこちらへと近付いてくる。


「やっぱりお前だったか、配線屋!」

「……加納さん?」


 駐在は、かつて守部村の事件で共に捜査をした加納(かのう)巡査部長だった。


「進駐軍絡みの依頼と聞いてピンと来てな……っと、このお嬢ちゃん、進駐軍か?」

「進駐軍所属P.Y.S.E.(ピース)のトゥエルブであります」


 トゥエルブは略式で名乗った。

 レリック管理局云々は、直接の関係者以外に名乗ってもあまり意味はない。

 加納はトゥエルブの機械義肢に一瞬気を取られていたが、すぐにその正体を察したようで、それ以上の追求はしない。


「進駐軍が()き逃げの捜査……とかはしないよな?」

「こいつが来たのは別件です。加納さんはこの村に配属されたんですか」

「ああ。お陰様でサンドワアムは減ったが、今度はシカがな……」


 シカによる事故、という線もあるのだったか。


「シカの仕業かどうかは、死体を見なければ分かりませんね。そっちは俺の専門外ですが」

「そうそう、お前の専門だよ。クルマのほうは――どうだった?」

「暗くなってきたし、今のところ特に収穫はありません。それより、現場を見にいきませんか」


 加納は頷くと、振り返って歩き出した。二人もその後に続く。

 現場は、駐車場から二百メエトルと離れてはいない。

 ミカサは懐中電灯を取り出し、路面を照らした。


「どうだ。なんか分かりそうか、配線屋」

「加納さん……こいつは軍用車両の(わだち)だ」


 路面にしゃがみ込み、指先でそれをなぞる。


「軍用?」

「幅とトレッドパタアンが違う。村にあるRAVは全部シロだ。村長のスペクタアも、そんな足回りじゃない」


 加納は腕を組んだ。


「つまり、村の誰かじゃないと。それとも、事故とRAVは無関係か?」

「あるいは――『表に出してない車』があるとかだな」


 三人の視線が、闇の濃くなった山の奥へと向かう。

 森の中に隠すのは木ばかりとも限るまい。

 一台のRAVとて、山奥にでも隠されたら発見は困難を極めるだろう。


「トゥエルブ。お前、寝込みを襲われるようなことがあっても返り討ちに出来るよな?」

「……? ええ、まあ」

「じゃあ、御館(おやかた)家にはお前だけで泊まれ。俺は車中泊にする」


 二人は驚いたような反応を見せる。


「おいおい配線屋、張り込みをするつもりか? 危険だぞ」

「RAVの中に居れば、轢かれることはないですよ」

「そりゃまあそうだが……」


 トゥエルブはメモ用紙を取り出すと、何かをさらさらと書き付けて寄越す。


「緊急時には車載ラジオ無線の周波数をこれに合わせてください。私に直接連絡できます」

「ああ、助かる」

「いや待て、この辺じゃラヂオの調子は良くねえぞ」


 その忠告に対し、トゥエルブはすらすらと返答する。


「問題ありません。私のナノマシンリムには自律的なノイズキャンセリング機構が搭載されており、音声波形を補完・解析・再構築できますので」

「ん? ああ……分かった……」


 加納は分かっていなさそうな声で応じた。

 ミカサも正直よく分からない。

 御館家までは、加納がトゥエルブを送って行ってくれるらしい。

 逆だと思うのだがまあいい。

 二人の姿がつづら折りの向こうに消えるのを見届けてから、ミカサも駐車場へと戻った。




 オオタ号に乗り込む前に、山肌沿いに建てられた資材倉庫へ向かう。

 倉庫の脇には、古びた手洗い場が設けられていた。

 蛇口は生きているらしく、試しにひねると水が出る。

 夜を過ごすには、ひとまず安心できる環境だ。


 ――亡くなった二人の村人。彼らはRAVも持っていないのに、駐車場への坂道を通っていた。


 その理由については、村長に既に確認してある。


 中原(ながら)進之介(しんのすけ)は、この倉庫内の資材をダム調査班に届けていたのだという。

 倉庫の中にあるのは神社の祭具やかさばる古道具の他、工具類なども充実しているらしい。


 一方、中原(ながら)重五郎(じゅうごろう)は、日常的にあの道を歩いていたという。

 その理由は、倉庫の向こう側にあった。

 道路側から死角になっているそこには、控えめな大きさの『鳥居』が立っている。

 そして、山の奥へと続く石段がわずかに見えていた。


 ――今日のところは、まだ登る必要はないな。


 すっかり暗くなっているので、登るのは明日になってからでいい。 

 RAVに乗り込むとラヂオのスイッチを跳ね上げ、就寝までの暇を潰すことにした。




『先週に続き、終末前に録音されたと思しき《ラヂオ局の幽霊テエプ》をお届けします。今日のタイトルは「送信塔から聞こえる声」――』

「くだらねえ……」


 と、思いつつも聴き続けてしまう。

 多摩ラヂオの番組は、宵が深まるにつれ怪しさを増していた。


 コン、コン……


 などと、窓ガラスをノックされるような音まで――


「うおっ!?」


 窓の外に誰かが居る。

 窓ガラス越しに、くぐもった声が響いた。


「おうい、ちょっといいか」


 ミカサは反射的にドアロックを確認し、それから窓を少しだけ下げた。


「……どなたですか」


 窓越しの闇夜に、深い皺を刻んだ老人の顔が浮かび上がった。

 白髪交じりの髪は跳ねたままで、整えられた様子はない。だが、それが却って不敵な風格を与えていた。

 かつての悪餓鬼が、そのまま年だけ重ねたような眼差し。

 笑っているのか睨んでいるのか、表情は判然としない。


「おどかしちまってワリいな。ワシは乙松(おとまつ)ってモンだ」

「ああ、総代補の」


 中原(ながら)乙松(おとまつ)、六十九歳。

 死亡した氏子総代、重五郎(じゅうごろう)の補佐を務めていた男。


「おう、よく知ってんな。おめえが配線屋かい?」

「はい、そうです」

「ラヂオの音が聴こえたモンだからよう。つい、気になってな。なんでお前さんのクルマだけ、こんな鮮明に聴こえるんだ?」


 何故?

 何故なのだろう?

 ミカサにもよく分からない。

 P.Y.S.E.(ピイス)の非常識な能力を説明しろと言われても困る。


「何故なんでしょうね?」

「まあいいや。立ち話もしんどいからよう。ちっと上に来ねえか?」

「上?」


 乙松は親指を後ろに向けた。

 その方向にあるのは倉庫で、今の時間は何も見えないはずだったが。


 鳥居と石段に、明かりが灯されている。

 安物の電球の光が、山の上へと続いていた。


「ドア、開けますね」

「おう」


 乙松はひょいと跳び下りた。

 車高の高いRAVの上だ。当然、地面に立っていたわけではない。

 歳の割に身軽な爺さんだ。


 ミカサも車を降りる。

 この時間帯に、事故現場付近に現われる者。

 本来なら轢き逃げの容疑者として、慎重に対応すべき相手かもしれない。


 しかし乙松は、「上に来い」と言った。

 幅の狭い石段はもちろんのこと、RAVでは鳥居をくぐることすら出来ない。


「この上にあるのは――」

「《みぐぜん様》のおわす御社(みやしろ)だな」


 初めて聞く名だった。


「みぐぜん様?」

「おう、中原(ながら)神社の御祭神(ごさいじん)様よ」




  《ラヂオ局の幽霊テエプ》――

  都内某局に残された磁気テエプは、録音主が不明で、

  かつ、番組編成にも該当しない内容であった。

  ノイズ混じりの声が『ここじゃない、ここじゃない』と繰り返すのみ。

  局内の記録に当該テエプの管理番号は存在しないという。


  ――扶栄堂書店刊『幻秘探訪録』連載「終末ラヂオ怪録」

              第三夜《送信塔のささやき》より

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