契約と記憶の扉
聖堂の戦いから数日。僕たちは、南方の辺境にある古代神語の遺跡に向かっていた。
「この遺跡……アシュリアの記憶と関係があるのね?」
フェリルが、遺跡の石碑を撫でながら尋ねる。文字は風化して読めないが、かすかに契約という神語の断片が残っている。
「ああ。アシュリアの記憶が完全に戻れば、俺たちが何と戦っているのか、明確になるはずなんだ」
アシュリアは、僕の中で静かに眠っている。だが最近、その意識が微かに外に滲み出るようになっていた。
ルナが警戒しながら周囲を見渡す。
「敵の気配は今のところないけど……この空気、妙ね。まるで――言葉が消えてるみたい」
その通りだった。遺跡の中心部に近づくほど、言葉が思うように出てこなくなる。声に出しても、音にならず、意味にならない。
「言葉が……削られていく……?」
僕は焦燥を覚えながら、奥へと足を進めた。そして最奥――神語の扉の前に立ったとき、それは起きた。
《認証コード:翻訳者……起動。記憶の契約を承認しますか?》
頭に直接、声が響く。それは、かつてアシュリアが交わした契約の残響だった。
「はい、承認します」
僕が答えると、眩い光が扉を包み、空間が反転する。視界が歪み、まるで夢の中へ引きずり込まれるようにして――
僕は、彼女の記憶に足を踏み入れた。
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そこは、遥か昔の神々の時代。アシュリアは、まだ人間ではなかった。
《我は語り手アシュリア。万象の言葉を記録する者。だが……人が言葉を奪い合うならば、この力は災いと化す》
彼女は、自らの知識を封じ契約を交わした。選ばれし翻訳者にのみ、全ての神語を預けると――。
そして最後に、彼女は問うた。
《あなたは、言葉を理解するために使いますか? それとも――支配するために?》
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光が引き、僕は現実へと引き戻された。目の前に、かつて見たことのない巨大な神語の扉が出現していた。
「透……その顔……まさか、記憶が?」
「――ああ。アシュリアの記憶、見た。俺は語り手の意志を継ぐ翻訳者だったんだ」
ルナとフェリルの目が、僕に注がれる。その視線には、畏怖と希望が混じっていた。
そのとき、空に裂け目が現れた。そこから現れたのは、白装束の少年――いや、神々しさすら感じる存在だった。
「初めまして、佐伯透。僕は正しき意味の守人――《レクス》。君が言葉を選ぶ者ならば、試練を与えよう」
彼は微笑んだ。
「――言葉で世界を創った神に、立ち会う資格があるかを試すためにね」
神語に満ちた試練が、いま始まる。