忘却都市レメトリアと始まりの神語
浮遊都市は、空の裂け目の上に存在していた。
雲を割って姿を現したその都市は、まるで巨大な図書館そのものだった。空を漂う大書架群、風に揺れるページのような建築。どこを見ても「記録」と「言葉」が支配している。
「……すごい、これ全部書庫なの?」
ルナが驚いたように呟くと、フェリルが静かに頷いた。
「ここは、記憶の都市よ。書かれた言葉が意志を持つ場所。だからこそ、神語の源泉に最も近い」
僕たちは、世界記憶の書庫と呼ばれる中央神殿に足を踏み入れた。
アシュリアが言ったとおり、この都市にも、言葉の消滅は迫っている。すでにいくつかの書架は崩れ落ち、知識の一部が空白になっていた。
「……早く、始まりの神語を見つけなきゃ」
目的は、この地に眠るとされる始まりの契約。それは、すべての言語の根源。アポクリフの力に対抗する唯一の基準だった。
ーーーー
中央神殿、最深部。
僕は、石でできた古代の祭壇にたどり着いた。
その表面には、誰にも読めないはずの原初の神語が刻まれていた。
――が、それは僕には読めた。
「……これは……創定律。世界を言葉で定義した『初めの記述』……!」
指先が震える。そこに記されていたのは、神々が交わした最初の約束、世界の意味の枠組みだった。
アシュリアが言う。
「これが始まりの契約。ただし……これに触れることは、理そのものを問うことになる」
「覚悟はできてる。これがなければ、世界の言葉はすべて消えてしまうから」
僕は、契約に手を伸ばした。
だがその瞬間、空気が変わった。
神殿の空間が軋み、異物が侵入してくる。
「来たか……!」
フードをかぶった男が現れる。だが、ティレイとは比べ物にならない存在感だった。
「翻訳者、神語の探求者。貴様が、触れてはならぬ意味に手を伸ばしたこと、咎と知れ」
その男は言った。
「我が名は第一黙示エゼリオ。黙示の従者の頂点にして、定義の守護者」
彼が一歩、踏み出しただけで空間が歪む。
「再定義など笑止。意味は固定されるべきだ。世界は曖昧では成り立たぬ。だから、我々は言葉を整える」
「違う……世界は、定義されるべきじゃない。感じるものだ!」
僕の叫びに、エゼリオは冷笑を浮かべた。
「ならば証明してみよ。お前の翻訳が、我が黙示を超えるのかを――」
ーーーー
戦いが始まった。
エゼリオが放つ魔法は、もはや、魔法の域を超えていた。
「命の定義:停止」
それは、言葉一つで生命活動を止める術式。
僕は、真解でその定義を読み取り、無理やり存在の再定義で書き換える。
「停止は変化の始まりだ!再定義・変転!」
命が戻る。言葉の力で――
だが、そのたびに精神を削られる。エゼリオは、無限に定義を繰り出し、僕はそれに再定義で対抗する。
「限界が……来る前に……!」
ルナとフェリルが援護にまわる。アシュリアも、己の力を削って僕に言葉の加護を与える。
「透……あなたは、まだ定義し切ってないわ」
「え……?」
「あなた自身の意味よ。あなたが何者であるか。それを明らかにしない限り、始まりの神語は開かれない」
僕は、僕自身を見つめる。
僕は……翻訳者。けれど、それだけじゃない。
僕は、世界を理解したいと願った者だ。誰かの声を、願いを、決して見失いたくない者だ。
――それが、僕の定義。
「自己定義・翻訳者:願いをつなぐ者!」
その瞬間、始まりの契約が開いた。
世界を定義した、最初の言葉が、僕の中に流れ込んでくる。
「これが……原初言語!」
僕は叫んだ。
「定義反転・存在言語式――お前の黙示を開示に変える!」
エゼリオの術式が崩壊する。世界に可能性が戻る。
「おのれ……原初言語を……掌握したというのか……!」
「違う。聞いただけだよ。世界の本当の声を」
光があふれる。
第一黙示エゼリオは、その中でかすれた声を残し、霧散していった。
「……面白い。ならば次は……《零》が出る番だな……」
ーーーー
神殿に、静寂が戻った。
僕はまだ立っている。仲間たちの顔も、そこにあった。
「……勝てた?」
「ええ。でも……これは始まりよ」
フェリルが呟く。
アシュリアも、静かに頷いた。
「第一が動いたということは……最後の沈黙が近い」
言葉の戦いは、まだ終わらない。
世界の意味をかけた戦いは――これからだ。




