春彼岸
三題噺もどき―ろっぴゃくよんじゅうご。
ぬるい風が吹いている。
月の浮かぶ夜だから、昼に比べれば涼しいとさえ思うかもしれないが。
この時間に外を歩く私にすると、この生ぬるさはいただけない。
「……」
だからと言って、ようやく再開できたこの散歩の時間を、早く切り上げるなんてことはしないのだけど。太陽のあるうちに雨が降ったのか、地面は所々が濡れている。
そのおかげで、湿気がこもっているように思えてならない。夏でもないのに蒸し暑いなんて思ってしまう。
「……」
今日は、いつもの細身のパンツに、長袖のTシャツを合わせて、上にお気に入りのジャケットを羽織ってきた。
ジャケットはいらなかったかなと思うくらい地味な暑さがある。生ぬるいのは生ぬるいのだけど……やはりこう、湿気があるのだろうな。
「……」
歩きなれた道を進んでいく。
空の雲はまだ晴れ切っていないのか、ただでさえ心もとない月の明かりは散り散りである。どこか不安を掻き立てるような暗さが、広がっている。風が揺らす木々の音は、何かがそこにいるような感じがして。
「……」
まぁ、そんな不安はないし。
夜にしか散歩をしない私には、暗闇に対する不安というのはよくわからないのだけど。
分からないものを怖がるのは、知ろうとしない人間の特権かもしれない。
「……」
そんなことはさておき。
今日は久しぶりの散歩で、公園にでも行こうと思っていたのだけど。
ふと思い立って、別の場所へと向かっていた。
行き馴染みのある場所ではないが、数回程訪れているところである。あそこにはあまり頻繁に行かないようにしているのだ、一応。何を起こすか分からないからな。
「……」
住宅街を少し離れつつ、奥まった場所にそこはある。
石塀で囲まれたその場所には、木が植えられ、あれが果たして何の木なのかはいまだに私は知らない。花が咲くような気配もなく、アレはここに満ちた死に当てられているのだろうか。
「……」
足元に敷かれた砂利がこすれて、悲鳴を上げる。
こんな時間に、ここに人間がいるとは思えないが、一応、少しだけ足音を潜める。それでも砂利の音は聞きたいので、ホントに一応、である。
「……」
文字の刻まれた石が均等に並び、その大小や新旧は様々だが、そのすべての下に、誰かが眠っている。花瓶にさされた造花や、枯れてしなびた生花、水の入った茶碗、雨に濡れた何かの袋。あれは茶菓子か何かだろうか。お供え物というやつだろう。
こんなところに置いてないで、持って帰ればいいのに。
「……」
しかし今日は、やけに賑やかだな。
春の陽気にでも当てられたのだろうか。死んでも尚、花見をするのか彼らは。
話しかけて来たりこそしないものの、声がいつもより多い気がする。
「……」
意識的に、くるりと周囲を見渡す。
見えた景色は、白い浴衣のようなものに身を包んだ人々。
それが彼らにとっての正装のように、誰もが皆同じ格好でそこにいた。
老人が多かったが、いつか見た幼い子供もそこにはいた。
「……」
各々何かを手に持ち、何かを食べるようなしぐさをし。
銘々に楽し気に、話をしている。
何を話しているのかまでは聞こうとは思わないが、思い出話でもしているんだろう。彼らの表情を見ればなんとなくは分かる。あの公園で話す遊具たちと同じような雰囲気だ。
「……」
そういえば、先週は春彼岸というモノがあったのだったか。
お供え物がやけに多いのは、その後だったからだろう。
ここに眠る彼らに時間というものはあってないようなものだから、楽しく話しているうちにその彼岸が終わったことにも気づいていないのだろう。
そうでなくても、ここに縛られているような人も居るからなここには。
「……」
今日はここで過ごそうかと思ったが。
彼らの時間を邪魔しては申し訳ないな。
大人しく公園にでも行くとしよう。
そろそろあそこも桜が咲いたりしているかもしれないからな。
「おか……どこにいってたんですか」
「ん?公園だが」
「どうして公園に行って子供が憑いてくるんですか」
「は?……あ。」
「ちゃんと返してきてくださいよ」
「いつのまに……」
お題:不安・浴衣・正装