第八話:箱庭で踊る
中学の頃、私と黒石は同級生だった。
とはいえ小学校は別々で、中学校でもクラスが別れていたので、互いの認識は辛うじて名字を知っている程度だったと思う。
そんな私たちの繋がりを、少しだけ変える出来事が、中二の始めに起こった。
『───ちょい、そこの。』
『えっ?……あ、わた、し?』
『これ、落としたけど。』
『あ……。
すいません、ありが───』
『おいクロイシぃー、早くしろよぉー。』
『……すいません。
これ、拾ってくれてありがとう。』
『……いいけど。』
当時、黒石はクラスの女子数名から、陰湿なイジメを受けていた。
相手は黒石と同じ小学校出身で、今風な見た目と言葉遣いで目立っていた子たちだった。
詳しい動機は定かでないが、自分たちに同調しない黒石が気に食わなかったのだろう。
ノーを言えない代わりにイエスとも言わない、道理や常識にもとる行為には絶対に手を貸さないのが、黒石のスタンスだったから。
『───ねえクロイシぃ。お願いがあるんだけど。』
『……なんですか。』
『あんたの後ろの席のさぁ、フフッ。どもりくん居んじゃん。
あいつにさぁ、ちょっと告白してきてよ。』
『……告白って、なんのですか。』
『決まってんじゃん。愛の告白だよ。』
『なんでですか。』
『おもしれーから。』
『普通にカップル成立ー、ってなっても、お前らなら普通にお似合いだからいいんじゃん?
むしろキューピットになったげたウチらに感謝しろし。』
『結婚式呼ばれたらどーする?』
『いや誰も来ないしょ。オタク二人でケーキ入刀〜。』
『結婚式で二人だけはヤバいわ。』
『できません。』
『は?』
『わたし個人ならともかく、他の人も巻き込むのは、できないです。』
『……あー。
要するに、うちらのお願いを無視するわけだ。』
『無視とかじゃなくて───』
『ひどいなー、一人ぼっちでカワイソーなキモデブに、あんなに優しくしてやったのにねー?』
『どもりくんが嫌なら、他の男子だったらいいんだ?』
『うーわ、ただのイケメン好きじゃん。』
『みなさーん、ここにめっちゃイケメン好きの人がいまーす。』
『カッコ良ければ誰でもオッケーだそうでーす。』
『そんなこと───』
『コワーイ、うちらのこと殺そうとしてるー!』
『殺されるー、逃げろー!』
『キャハハハハ!』
学級行事などでグループ分けをする際には、全員で口裏を合わせて仲間外れにしたり。
わざと本人にも聞こえる大声で悪口を触れ回ったり、根も葉も無い噂を立てて悪印象を植え付けたり。
その陰湿さは、中学生のやることとは思えないほど残酷だったという。
『───イジメじゃねーの、あれ?』
『え?』
『さっきの。なんか騒いでたけど。
明らか友達同士の会話じゃないっしょ。』
『あー……。
いいんじゃない?別に。いつものことだし。』
『いつもやってんの?』
『そういうノリの人たちなんだよ。』
『……ノリとかのレベルじゃないと思うけど。』
『いいんだって。なんだかんだ、よく一緒にいるもん。
本当にイジメなら、先生に言うとか避けるとか、あるでしょ。大丈夫だよ。』
『………。』
私はずっと黒石とは違うクラスだったので、黒石がいじめられていること自体を知らなかった。
知っていた側の人たちも、誰も黒石を庇ってやろうとはしなかった。
黒石に落ち度がないってことは、いじめてる奴らが難癖をつけてるだけってことは、みんな分かっていたはずなのに。
学級委員長も、隣の席の子も。
担任の先生も、生活指導の先生も。
黒石が泣きも怒りもしないのをいいことに、みんな当たり前にノータッチでいた。
あの頃の黒石は、学校という狭い世界で、いつも一人ぼっちの女の子だった。
『───ダッセェーんだよ、おまえら。』
後先のことは考えていなかった。
強引に割って入れば、自分にも矛先が向くかもしれないとか。
こんなやり方では、却って火に油を注ぐだけじゃないかとか。
ある程度の予想はできても、この手足を止める理由には足りなかった。
『自分らのが上だと思って、そんなことやってんだろうけど、逆だよ。
一人いじめんのに四人も群れてる時点で、お前らのが弱いしゴミなの、分かる?
雑魚は雑魚らしく、身内だけでお遊戯会してろってんだ。』
だから。
例の現場を目撃した瞬間には、突撃してしまっていたんだ。
4対1という不利にあっても、本人に助けを求められたわけじゃなくても。
奴らの怒声と高笑いが、あまりに耳に障ったので、ついカッとなってしまったんだ。
『大丈夫?』
『だ、───じゃ、なくて。
わたしじゃなくて、尾田さんが……!』
『あれ、知ってんのワタシの名前?』
『知ってる、けど、そうじゃなくて顔!切れてる!』
『平気だよ、こんくらい。ほっときゃ治る。』
『でも……!』
『あんたこそ、怪我は?』
『あ、わ、わたしは、色々言われたり、だけだから……』
『そう。
じゃ、気つけて帰んなね。』
『まっ、まって!』
『なに?』
『なん、なん、で、助けてくれた、の。』
『別に。たまたま。』
『たまたまって……。
そんなことしても、尾田さんには何も、得ないのに……。』
『……一応言っとくけどさ。』
『はい?』
『あんたが弱いとか、悪いとかじゃないからね。
あいつらが100パー、ゲボのカスってだけだから。
あんたが自分のこと責めたりすんのは、ぜんぶ無駄なことだから、やめなね。』
『………尾田さんって、』
あれ以来、私は黒石同様にイジメのターゲットとなった。
ついでに、特に関係のなかったクラスメイトからも、こぞって無視をされるようになった。
たぶん奴らが、私が孤立するように仕向けたんだろう。
少なくとも以前までは、みんな普通に接してくれていたわけだし。
『(いいんだ、これで。
ああいうのは、どうせ全部はなくならない。
どうせ誰かは当たるなら、弱いヤツより強いヤツが引き受けた方がいい。
黒石より、ワタシでいいんだ。)』
私はやっぱり、どうとも思わなかった。
口が悪ければ態度も悪い、髪も平気で茶色に染めている自分のようなヤンキーは、もともと好かれるタイプでないと承知していた。
それに。
奴らの言葉を真に受けるってことは、他のみんなも相当アホなんだなって、早々に見切りを付けてしまったから。
というか、無視される度にシカトしてんじゃねーよって威圧してたし、リンチされる時にも必ずやり返してた覚えがある。
傍から見たら、どっちがイジメっ子か分からないくらいに。
『───そういや聞いた?
2組の尾田、転校するらしいよ。』
『あー、なんか聞いたかも。』
『東京行くんでしょ?お父さんの仕事だっけ?』
『いーなー、東京ー。あたしも東京で暮らしたーい。』
『お前はどうせ、芸能人に会いたいー、とか、オシャレな服ほしー、とかだろ?』
『いいじゃんなんでもー!』
『オレは嫌だけどな、東京。人多いし。田舎すぎても嫌だけど。』
『けっきょく文句言うヤツー。』
『でも良かったやん。
あいつ友達いなかったし、なんか怖かったし。』
『な。
ウチ別に、そういう系の学校じゃなかったのにな。』
『あんな昭和のヤンキーみたいなやつは、最初からウチにはいらなかったってことだ。』
『お前ひっでーな!
前に体育で怪我した時、保健室まで一緒来てくれたつってたじゃん!』
『あんなんでイメージ良くなるわけないやん。
せっかくならもっと可愛くて優しい子に手当てされたかったー。』
『恩を仇で返すヤツー!』
ところが。
卒業まで戦ってやるぞと息巻いていた手前、中二の終わりで転校するハメになってしまった。
父の仕事の都合で、本社のある東京へ栄転することが決まったからだ。
ちなみに、この栄転こそが、父の破滅の始まりだったのだけど。
そこは今は問題じゃないから、割愛とする。
『元気でやれよ、黒石。』
こうして、私と黒石の縁は結ばれ、切れたのだった。
デリヘル嬢と、その客として、不自然な再会を果たすまでは。