第十五話:祈り
「───床に座るの?ソファーがあるのに。」
「いいから。」
「お客様にそんな……、待って。せめて座布団を───」
「いいから。
はやく、すわって。」
「………。」
玄関側のソファーにご両親、ローテーブルを挟んだ向かい側に私と黒石が腰を下ろし、四人全員での話し合いが始まった。
「この前、縁談について話した時。
無理に決められたくなかったら、自分たちも納得できる相手を連れて来なさい、って。
言ったよね、母さん。」
「ちょっと……。今その話は───」
「そういうの。いいから、ぜんぶ。
聴いて、ただ。聴いたことだけに答えて。」
「………。」
「父さんも。
相応しい相手がいるなら、そっちを選んでもいいって、言ったよね。」
「……ああ。」
テーブルには、私が持ってきたクッキーと、もっとずっと高そうな焼き菓子の盛り合わせと、お茶会で楽しむ予定だったという紅茶がそれぞれ並んでいる。
だが、口を付けようとする者はいない。
振り子時計が時を刻む音だけが、静かにリビングに響いている。
「残念だけど、二人に認めてもらえそうな人は、見付からなかった。
どうにか、今日までに探そうとしたけど、無理だった。」
「じゃあ───」
「だから。
認めてもらえるかは抜きにして、わたしが心底大切だと思える人を今日、連れて来たの。」
お母さんの言葉を遮って、黒石は続けた。
ご両親は揃って、息を呑んだ。
「尾田晴子さん。
わたしの人生を変えてくれた恩人で、他の誰にも替えが利かない、わたしの、一番の友達。」
黒石の声が、指先が、微かに震えている。
気丈に振る舞ってはいるけれど、内心に渦巻く緊張は隠しきれないようだ。
私はテーブルの下から腕を伸ばし、正座の上で強張っている黒石の手に触れた。
すると黒石も、ご両親に悟られないよう私の手に触れ、指を絡めてきた。
氷みたいに冷たくて、少し汗ばんだ、黒石の掌。
ああ、戦っているんだ。
牢獄にも似たこの家と、独裁者のようなご両親と。
今にも泣き崩れてしまいそうな、自分の中の弱虫と。
私は私の体温を分けるつもりで、先程より強く黒石の手を握った。
「わたしは、彼女と一緒に、これからの人生を生きていきたい。
誰か一人を選べと言うなら、わたしは、彼女を伴侶に選びます。」
黒石が宣言し、ご両親が再び沈黙する。
冷静な応酬が続いたのはここまで。
ここからは、黒石一族による舌戦の火蓋が切られた。
「な、に……。なんなの?ちょっと。
こんな時に、なん、おかしなことを、言わないでちょうだい。
あなた、この前から変よ。」
「わたしはどこも変じゃない。
おかしなことを言うのは母さんのほう。」
「真咲。
お前、自分の言っていることを、ちゃんと理解しているのか?
伴侶っていうのは、人生のパートナーのことだ。夫婦と同義ってことなんだぞ。」
「分かってるよ。ぜんぶ分かってる。
分かった上で、わたしは今、ここにいるの。
彼女と、尾田さんと一緒に。」
眉を寄せて唸るお父さん。
挙動不審に声を上擦らせるお母さん。
分かりやすく狼狽している。
はっきり言って客人の前で見せる姿じゃないが、取り繕うことも出来ないほどの衝撃なんだろう。
仮に、私の母に同じことをしても、驚きはするはずだ。
逆を言えば、このご両親と違って、驚くだけで済ませてくれそうだけど。
「じゃあ、なに?
あなた達は、恋人同士ってことなの?」
「そうだよ。」
「なん───っ!
あなた、高校生の時には普通に、ボーイフレンドもいたじゃない!
いつから同性愛者なんかになったのよ!」
「勘違いしてるみたいだけど、わたしは別に、同性が好きなわけじゃない。
好きになった人が、たまたま同性だったの。
法律的なことならともかく、誰かを好きになる気持ちまで否定される筋合いはないわ。」
なにやら考え込むお父さんとは対照的に、お母さんはボルテージが上がってきたようだった。
表情は険しく、語尾は荒っぽくなり、声色もキンキンとした甲高さを帯びてきている。
それに今、"同性愛者なんか"と言ったな。
本人は無意識かもしれないが、その無意識にこそ本意が表れていると、確かめるまでもない。
なるほど。
"偏見の塊のような人たちだ"という真咲の弁は、誇張じゃなかったわけだ。
「……まって。
待って待って待って。だめよそんなの。絶対に駄目。」
「なにが駄目なの。」
「全部に決まってるでしょう!?
相手を連れて来たら考えるとは言ったけど、同性愛者を連れて来いとは言ってないわ!」
「尾田さんに失礼な言い方しないで!」
「真咲、いいから。」
じわじわと剥がれていく、お母さんの化けの皮。
当初の笑顔はどこへやら、今の形相はまるで般若だ。
黒石も黒石で、いつになく声を荒げている。
お母さんに対しては、殴り合いも辞さない雰囲気だ。
「(黒石の怒鳴る声、初めて聞いた。)」
私は、一言も口を挟めなかった。
自分の喧嘩を戦うのと、他人様の喧嘩に加勢するのとでは大違いだと、初めて知った。
「……分かってない。
ぜんぜん分かってないわよ。」
「なにが。」
「女と女が一緒になっても、生産性は向上されないのよ。
結婚は出来ないし、子供も産めない。ご近所さんにだって後ろ指を差されるわ。」
「そう思ってるのは母さんだけよ。
今の時代、同性愛者はそこまで差別されてない。
夫婦のように扱ってくれる制度も出来たし、子供だって産もうと思えば産めるわ。
後ろ指を差すようなやつのが恥ずかしいんだって、平成に生まれた人間ならほとんど知ってることよ。」
お母さんの発言は小さく、真咲の返事は勇ましく。
ご両親から私たちへ、主導権が移っていく。
このご両親は、正攻法で太刀打ちできる相手ではない。
弱ったところを畳み掛けるくらいの非情さがなければ、こっちが飲み込まれてしまう。
だから私も黒石も、ご両親に寄り添うことはしない。
無理に大団円を目指さない。
「(もう一息。
がんばれ、黒石。)」
私たちの間には、揺るがない絆があること。
少なくとも、自分たちで決定する以外に、私たちが別れるつもりはないこと。
そこだけ理解してくれれば、目下はいい。
最初から、周りの理解も共感も、期待などしていないのだから。