第十四話:決戦
黒石のお見合いのキャンセルが効く、最終日の午後。
私と黒石は手を取り合って、黒石の実家を訪ねた。
「───もしかしてだけど。
30人ぐらいで住んでたりする?」
「まさか。4人だけだよ。
実質で言うなら、1人と1匹。」
「1匹……。
ああ、例のワンコくん?」
「うん。
尾田さんと彼がいてくれなかったら、今のわたしはいない。」
「……そっか。
会いたかったな、その子にも。」
「きっと仲良しになったろうね。ありがとう。」
白い外壁と青い玄関扉が目印の、庭つき三階建ての一軒家。
かつては年老いたラブラドールも暮らしていたという、10代までの黒石が生まれ育った場所。
当時の黒石とは親しくなかったので、私がここに来るのは初めてだけれど。
黒石の家が立派であることは、ご両親の知名度も含め、同級生の間で周知されていた。
まさか、実物がこれほどの大豪邸とは。
飼い犬と二人きりで過ごすには、むしろ居心地の悪い家かもしれない。
「来ました。開けてください。」
塀に備え付けのブザーを押し、黒石が来訪の旨を伝える。
しばらくして、玄関扉が解錠される音が聞こえてきた。
返事はない。出迎えもない。
在宅中であるというお父さんもお母さんも、姿どころか気配さえ窺わせない。
用があるならそっちから来い、というわけか。
上客相手にこんな対応はしないだろうから、娘の黒石を軽んじているのか、黒石の連れてきた私を舐めているのか。
どちらにせよ、感じの悪いことだ。
「いくよ、黒石。」
「いこう、尾田さん。」
いざ、決戦の場へ。
私と黒石は、繋いだ手をギュッと握って、そっと離した。
「───まあまあ、いらっしゃい。遠いところを、よく来てくれたわね。
こちらが、お友達の尾田さん?」
玄関扉を抜けると、お母さんが待ち構えていた。
定年間近とは思えない若々しい容姿と、貼り付けたような笑顔が印象的な人だった。
「はじめまして、尾田晴子といいます。
これ、お好きだと伺ったので、買ってきました。
良ければ召し上がってください。」
「まあまあ、ご丁寧に。どうもありがとう。
狭いところですけど、ゆっくりなさってくださいね。」
明るくて、物腰が柔らかくて、理想の母親像を体現したようで。
先日の口論の件と、黒石からのレクチャーがなければ、私も騙されていただろう。
実際は、優しそうに見えるだけ。
急に押し黙った黒石の息遣いが、それを念押ししてくれている。
「あなた、真咲のお友達がいらっしゃったわよ。」
お母さんに連れられてリビングへ向かうと、年配の男性の姿があった。
大きなソファーの上で足を組んだ男性は、小難しそうな英字新聞を読んでいた。
「ああ、もうそんな時間か。出迎えもせず、すまなかったね。
ようこそ、尾田さん。私が、真咲の父です。」
立ち上がって挨拶してくれた彼こそ、黒石のお父さん。
こちらも既に還暦を過ぎたとは思えない容姿をしていて、お母さんと並ぶと芸能人の夫婦のようである。
そういえば、主婦層を中心に人気があるとか、議員時代にも持て栄やされていたっけ。
両親とも美男美女なら、黒石が美しく成長したのも納得だ。
「はじめまして。尾田晴子と申します。
お忙しい時期にお邪魔してしまって、すいません。」
「気にしないで。
真咲がお友達を連れてくることなんて、滅多にありませんから。
こちらとしては、いつでも大歓迎ですよ。」
第一印象はひとまず、問題なしと思っていいだろう。
なんてったって、この日のために他所行きの服を買い、伸ばしっぱなしだった毛先を整え、黒石に礼儀作法を仕込んでもらったのだから。
挨拶の時点でヘマをこくようでは、私がここへ来た意味がない。
「せっかくだから、持ってきてもらったお菓子を、みんなで頂きましょうか。
あなた、これ好きだったでしょう?」
「おお、大好きだよ、ここのクッキー。
わざわざ用意してくれたのかい?」
「真咲さんから、よく召し上がってらっしゃると、伺ったので……。」
「最近はご無沙汰だけどね。
我が家では、3時のオヤツといえば、これだったんだ。」
「お飲み物はどうします?
今度のお茶会用にって取り寄せた茶葉がありますが、開けますか?」
「そうだね。
尾田さんの口にも合うといいんだけど。」
「あ、お、お構いなく……。」
「遠慮をしないで。
自分の家だと思って、もっと気楽にしてくれていいのよ。」
「さあさあ、上座へどうぞ。
真咲はあまり自分の話をしない子だから、二人でどういうところに遊びに行くとか、いろいろ聴かせてくれると嬉しいよ。」
競うように私を遇するご両親。
これも、一見には気さくだけれど。
私はなんだか、却って息苦しさを覚えてしまった。
たぶん、私の存在は二の次で、自分たちの威厳を誇示するのが目的なんだ。
あれをどうぞ、これをどうぞと、絶え間なくアプローチをかけることで、私の行動を制御したいんだ。
この人たちの視線の先にいるのは、私でも黒石でもないんだ。
「ほら、真咲。」
「ねえ、真咲。」
黒石は、こんな。
重力が五割増しくらいに感じられる家で、無駄口のひとつも利かせてくれない親に挟まれながら、何年も暮らしてきたのか。
そう考えると、諦めることが癖になってしまったという黒石を、むしろ褒めてやりたくなった。
「父さん、母さん。
今日、尾田さんに来てもらったのは、二人に紹介するため、だけじゃないの。
話したいことがあるから、母さんも、こっち来て。ちゃんと聴いて。」
戸惑う私に気付いてか、黒石がご両親の前に出た。
途端に空気が一変する。
にこやかだったご両親の顔から、貼り付けた笑みが消えてなくなる。
「(怯むな、ワタシ。)」
この肩にはもう、私一人分じゃない。
私と黒石と、二人分の未来がかかっているんだ。
弱音を吐いている暇はない。
たとえ、望む通りの結末にはならなかったとしても。
黒石の手足に錆び付いた、固くて重い鎖だけは、なんとしてでも断ち切ってみせる。
地獄の果てだって、私はあんたと一緒に行くよ。
"約束ね"。
はじめよう、黒石。
なにがあっても、私は絶対に、あんたの味方だからね。