第十二話:指切り
黒石と距離を置いてから、一ヶ月が経った。
準備を整えた私は、ある行動を起こした。
時刻はもうじき、正午を迎える頃。
向かう先は、街中にある市役所。
言わずもがな、ここは黒石の勤め先だ。
当の黒石にとっては、四面楚歌を具現化した場所でもある。
「───すいません。
福祉課の黒石さんに用があって来たんですけど。」
待合所をうろついていた職員の一人に声をかける。
誰だコイツとばかりに凝視されても、こちらはあくまでスマートに、お行儀よく。
間もなく昼休憩の時間に入ると、先程の職員から呼び出されたらしい黒石が、私の前に現れた。
黒石は、まるで幽霊か怪物にでも遭遇したかのように、驚いた顔で私を見た。
黒石にしては珍しい類の反応だったので、私は思わず笑ってしまった。
「ど、どう……っ!?なんっ、なんで!?
髪っ……、ていうか、服!あと眉毛!」
驚かれるのも無理はない。
今の私は、黒石の知る私とは、全く異なる姿をとっているのだから。
「急に来てごめん。
どうしても、最初に見せたかったからさ。
ハロワ行く前に、寄っちゃった。」
中途半端にグラデーションができていたプリン頭は、いわゆる烏の濡れ羽のように真っ黒く染め直して。
アイメイクは控えめに、眉毛はしっかりめに描いて、コンタクトは色なしディファイン抜きのやつにして。
服装もヘソ出しミニスカルックから、清楚っぽいコンサバ系に全取っ替えして。
とにかく私は、大々的にイメチェンをした。
やり直すために。
ここにいる連中に、黒石の友達はただの馬鹿じゃないってことを、教えてやるために。
「ハロワ、って……。
あ、そっか。新しい勤め先、探すって言ってたもんね。
これから行くの?」
「うん。
力仕事でもなんでも、ちょっとでも時給いいとこ探すつもり。」
「そう、なんだ。そっか……。
頑張ってね。前の格好も好きだったけど、今の方が、正統派美人って感じで、いいと思うよ。」
いつもと変わらない口調で、いつもと変わらない笑顔で、親身な言葉をかけてくれる黒石。
でも、今の私には分かる。
周囲から集まる奇異の視線に、内心では萎縮してしまっていること。
地味なパンプスの内側では、細い指先がギュッと丸まっていることを。
「黒石。
ワタシ、変わるから。」
「え?」
「人間は、中身が一番大事なんだから、外身なんか気にしなくていいじゃんって、今までは思ってたけど。
世の中には、黒石みたいな、心で見てくれる人ばっかりじゃない。
どうしたって、見た目からしか入れない人もいるし、中にはそこで完結させちゃう人もいる。
根は真面目でも、ヤンキー丸出しの見た目してる奴は、ソッコー面接で落とされちゃうようにね。
だから───」
耳を澄ますと、聞こえてくる。
雑踏に紛れた雑音が、嫌でも耳に入ってくる。
黒石さんと喋っているのは誰か。友達か、姉か妹か。
いや、あの顔は確か、渦中にいる女ではないか、と。
「見かけで判断する人たちにも、分かってもらえるように。
一回ぜんぶリセットして、周りに染まってみることにしたの。
ワタシのせいで、黒石まで馬鹿みたいに思われんのは、ぜったいヤだもん。」
それでいい。
もっと見ろ、私を。
あいつこそが、噂の悪い友達だと。
黒石さんには不釣り合いな相手だと。
もっと大きな声で、もっと大袈裟に騒ぎ立てろ。
誰になにを言われようと、私たちは誰も傷付けていない。
私たちを構成するものは、なにも恥ずかしいものではない。
何度でも騒ぎ立てるというなら、何度だって証明しに来てやる。
私たちを繋ぐ糸は、お前たちの悪意で断ち切れるほど、ヤワじゃないんだよ。
「どう?
これだったら、前よりは、恥ずかしくない、でしょ?」
私個人は、人より劣っているかもしれない。
ただの馬鹿じゃなくても馬鹿だし、気は短いし度量も小さいし。
通りすがりに後ろ指をさされても文句を言えない痴態を演じて、今日まで生きてかもしれない。
でも、今の私は違う。
こんな私と堂々と歩いてくれる黒石に、もう肩身の狭い思いはさせたくない。
「……もう。またそんなこと言って。
尾田さんのこと恥ずかしいなんて、わたし、一度でも言ったことあった?」
ねえ、黒石。
私、本当に、あんたには感謝してるんだよ。
借金のこともそうだけど、あんたみたいな人間もいるんだって、教えてもらったから。
ずっと、いらない存在なんだって思ってた私に、あんたは意味を与えてくれた。
それがどんなに、尊いものだったか、ありえない奇跡だったか。
語って聞かせても、あんたはきっと、私の方がすごいとしか言わないんだろうね。
「もしかして、前の方が良かった?」
「どっちも素敵だよ。
自分の好きに正直な尾田さんも、わたしのために自分を変えようってしてくれる尾田さんも。
どっちも素敵。どっちも嬉しいよ。」
「じゃあ、さ。」
「うん?」
「今度、ごはんとか、食べ行かない?」
「え?」
黒石、私はね。
神様なんかじゃないんだよ。
いつも自分のことで手一杯で、人に優しくしてる余裕もなくて。
一人じゃ真っすぐ歩けなくて、転ぶ度にこんな人生なんかって不貞腐れて。
あの時助けに入ったのだって、気まぐれだったんだよ。
あんたじゃなくても、気に入らなかったら止めてた。
あんたでも、気が乗らなかったら止めてなかった。
ぜんぶ偶然だったの。
ぜんぜん特別なことじゃなかったんだよ。
「待つとかなんとか言っといて、アレだけど……。
やっぱ、何日も会えないのは、寂しくて、さ。
ごはんじゃなくても、スキマ時間の5分10分だけでも───」
「行こう、ごはん。」
「うわ、急に詰め寄るな。」
「お寿司にする?焼き肉にする?
あ、たまにはウナギとか、フグとかもいいね。」
「そんな豪勢じゃなくていいって。
黒石と一緒なら、ワタシはなんだっていいんだよ。」
「……うん。わたしも。」
「ゆっくりお喋りしたいし、カフェもいいかな。
前によく、色んなとこ巡ったよね。」
「そうだったね。
クリーム系ばっか頼んじゃって、途中ですっごいお腹壊したり。」
「あったね〜。」
だから。
あの日が特別になったのは、あんたのおかげ。
あんたが死ぬ気で、私を探しに来てくれたおかげ。
こんなに目まぐるしい世界で、それでも私に会いたいって、走ってきてくれたおかげ。
取るに足らない私の名前を、何年も覚えていてくれたおかげ。
「ごめん、呼ばれちゃった。」
「こっちこそごめん。忙しいのに。」
「いいよ。
来てくれて嬉しかった。面接、頑張ってね。」
「ありがと。黒石もね。」
「また───」
「うん。」
「また、連絡するから。」
「……うん。待ってる。」
ねえ、黒石。
私はあんたに、なにをしてあげられるだろう。
あんたの世界の登場人物で居続けるためには、私はどう生きていくべきだろう。
「約束ね。」
気付けば、黒石以外の声は聞こえなくなっていた。