第十一話:スタートラインとゴールテープ
久々に部屋へ上げてくれた黒石は、"やむを得ない事情"の真相について話してくれた。
先程、実の母親だという女性と、なにを言い争っていたのか。
加えて、私のことを避けていた理由が、どこに起因するものだったのかを。
「───まず先に、謝らせてほしい。
何度も連絡くれたのに、あしらうようなことしてごめん。
でも、尾田さんを嫌いになったとか、そんなんじゃなくて───」
「わかってる。なにか事情があったんでしょ?
謝んなくていいから、どうしてそんなことになったのか、できる範囲でいいから、話して。」
「……わかった。」
まず、母親と言い争っていた件について。
実は黒石は、数ヶ月前から縁談を持ち掛けられていたらしい。
ここのところは特に、機会を設けられる頻度が高かったとのこと。
しかし、黒石自身に結婚願望はなく。
形だけのデートをした相手はいても、交際や婚約に至った人は誰もいなかったそうだ。
結果、堪忍袋の緒を切らした母親が、ああして直談判にやって来た。
当初は説得をするつもりだったとして、難航の末に口論になってしまったのかもしれない。
あの激しい剣幕は、冷静な話し合いをしているようには、私には見えなかったから。
「うちの親は、とにかく世間体命って感じの人たちで。
学生時代の寄り道くらいは許すけど、年頃になったら決まった相手と籍を入れてもらうって、随分前から聞かされてたの。」
「わたし自身、それでもいいやって、少し前までは思ってた。
あの人たちの決定を覆すことは、まず出来ないし。いつもこっちが諦めることで、なあなあで進んできた人生だったから。」
「でも、最近になって。
知らない男性の妻になるのは、やっぱり怖いっていうか、いろいろ不満が出てきて。
この人はこの人はって、次から次に男の人の写真持ってこられるのが、うんざりするようになってきてさ。」
「しまいには、わたしは誰とも結婚しないって、啖呵まで切っちゃったのよ。」
まだ二十歳そこそこの女性が、親のすすめで縁談なんて。
普通の人が聞けば、きっと首を傾げる話じゃないかと思う。
あいにくと、黒石の家庭は普通じゃない。
一般人には縁のない文化やしきたりであっても、黒石の家庭ではそれなりに当て嵌まってしまう。
何故なら、父親が元地方議員で、母親が現教職員。
おまけに黒石の勤め先は、父親の采配によって決められたもの。
エリートの血筋であるのは勿論のこと、黒石個人の立場など張りぼてに等しいのだ。
故に。
自分たちの顔を立てるためにも、いいとこのボンボンに娘を嫁がせたい両親と。
せめて伴侶くらいは自分で選びたい黒石とで反発が起こり、壮絶な親子喧嘩に発展しまったというわけだ。
「それで、怒ったお母さんが殴り込みにきたと?」
「他にもいくつか理由はあるけど、大体はそう。
で、どうしても嫌だって言うなら、ふさわしい相手を自分で連れて来なさいって。」
「お母さんたちも納得できる彼氏がいるなら、そっちと結婚してもいいよってこと?」
「そんな相手いるわけないって、分かった上で言ってるんだよ。
いたとしても、難癖つけて認めないに決まってるし。」
「………。」
「やー、まさかこのタイミングで、死刑宣告食らっちゃうとはね。
せっかく、尾田さんの人生が、これから始まるって時に……。
わたしの方で躓いて、何やってんだか。」
私は、黒石がどういう環境で生まれ育ったのか、よく知らない。
黒石のお父さんお母さんがどういう人なのかも、世間が評価する分の認識しかない。
ただ、黒石の顔つきと口ぶりが、話の内容以上に物語っている。
少なくとも、愛し愛された親子関係ではないことは、私にも分かる。
「さっきのやり取りについては、とりあえず分かった。や、本当はよく分かんないんだけど。
もひとつ、肝心の……。黒石がワタシのこと、避けてた件だけど───」
「………。」
「黒石?」
「ごめん。尾田さんは、なにも悪くないの。本当だよ。
ただその……。今の話聞けば、なんとなく、分かると思うけど……。
うちの親、偏見とか差別とか、平気でする人だから。自分たちが信じるもの以外は間違いだって、本気で思ってるとこあるから、だから───」
「ワタシのこと、なにか言われた?」
「……うん。」
次に、黒石が私を避けていた件について。
こちらもまた、黒石の両親が端を発したものだった。
『───お前、知ってるか?』
『なに?』
『噂。黒石さんの。』
『噂?
……ああ、親父さんのコネで、うちに入ったとかいうやつ?』
『それもなんだけどさ。
最近になってまた、ヤバそうなのが上がってきてんだよ。』
『なに?』
『俺じゃなくて、税務の仁科が見たって話なんだけど。
こないだの連休に黒石さんが、遊園地遊び来てたらしくて。そん時に連れてた相手が、意外や意外!』
『だれ、彼氏?』
『違う違う。
友達かは知んねーけど、めちゃめちゃガラの悪そうなギャル!つかヤンキー?
とにかく、黒石さんには全然似合わないタイプの女だったらしいんだよ。』
『へー。
てか、遊ぶ相手いたんだ。』
『で、あの手のヤカラ連れてるってことは、実は黒石さんも遊んでんじゃねーかって、お局たちが騒ぎ始めて。』
『うーわ、お気の毒。
行き遅れのババアは露骨に若い子の足引っ張りたがるからなー。』
『な。
俺の見立てでは、昔のいじめっ子に今でもパシリにされてるって線が濃厚だと思うんだけど───。』
"品行方正で大人しい、あの黒石さんが、ガラの悪そうなギャルとつるんでいるらしい"。
黒石の勤め先である市役所にて、俄に出回り始めたという噂。
どこからか私の情報が漏れ、水面下で拡散されてしまったようだった。
それは更なる噂を呼び、黒石を孤立無援に追いやった。
"ウブそうな顔をして、裏では男を手玉に取っているらしい"。
"過去に積み重ねた補導歴を、父親の権力を使って揉み消したらしい"。
"表沙汰にしていない精神疾患を抱えているせいで、友達らしい友達が殆どいないらしい"。
私の存在は事実にせよ、そこから派生した悪評は事実無根。
誰かが意図して脚色し、黒石を貶めようとしているのは明らかだった。
「(似ている。
中学の時の、ワタシの状況と。)」
先程の話にあったように、黒石は父親のコネで就職した。
父親の名前が轟くうちは、どうしても七光りのイメージが付き纏う。
たとえ黒石の本意じゃなくても、黒石が清廉で優秀な努力家であってもだ。
中には、そんな黒石をひがむ輩もいるだろう。
そいつらこそが、事実に絡めた悪評を広め、黒石を貶めようとしている犯人。
降って湧いた私の情報は、打ってつけのスクープだったに違いない。
「わたしは別に、周りの人にどう噂されようが構わなかった。
元から仲いい人いなかったし、尾田さんの魅力は、わたしだけが知ってればいいって思ってたし。」
「どうも。」
「でも、わたしは良くても、両親には面白くなかったみたいでね?
……あんなの、ぜんぶ作り話なのに。勝手に鵜呑みにして、勝手に怒って。
なんでそんな子と付き合ってるのって、しょっちゅう、咎められるようになった。」
「……だから、遠ざけようとしてたんだね。」
「ごめん。
ちゃんと訳を話してからのがいいって、頭では分かってたんだけど。
こんなの、どう説明すればいいか、分かんなくてさ。
どう言ったところで、尾田さんを傷付けることになりそうだったし。
だからせめて、両親とのいざこざに決着つけてからって、思って……。
今日までずるずる、黙ってた。」
「そっか。」
「ごめん、ぜんぶ、ヘタクソで。
どうせこうなるなら、やっぱり、最初に話しとけば良かったね。
……ほんとに、わたしって、さいあく。」
黒石なりに、私を守ろうとしてくれたんだろう。
心ない人たちの悪意に晒されて、私が傷付くことのないように。
ちょっと前まで、虫も殺せない女の子だったはずなのに。
今では自ら矢面に立ち、私に火の粉が及ばないよう戦ってくれている。
黒石の成長ぶりには、驚かされてばかりだ。
私のためを慮ってくれたのも、純粋に嬉しい。
「(最悪なのは、ワタシだろ。)」
けれど。
分かりきっていたこととはいえ、世間の目から見れば、私と黒石は釣り合わない二人なんだと。
最初に友達と数えてもらえない関係が、不釣り合いな組み合わせに後ろ指をさす世の中が、寂しかった。
「話は、わかった。
教えてくれてありがとう。」
「ううん。こっちこそ、聴いてくれてありがとう。
気分の悪い話ばっかりで、ごめんね。」
「いいよ。黒石が悪いわけじゃないし。
ただ、ワタシのことは置いとくとして……。お見合いの件は、どうするつもりなの?
誰か連れてかないと相手、強制的に決められちゃうんでしょ?」
「うん……。
なんとか、してみるよ。」
「彼氏はいないにしても、男友達とかは?
急場しのぎでも、口裏合わせてくれそうな人いないの?」
「それは、難しい、かな。
男友達どころか、同性でも友達って呼べる人、ほぼいないし。
ましてやこんな、面倒くさいことに付き合ってくれる相手なんて……。」
「………。」
「大丈夫だよ。
難しくても、根気強く、向き合っていけば、なんとか。回避してみせるから。
尾田さんとはまた、しばらく会えなくなっちゃうけど……。」
「事情が分かってれば、ワタシも大丈夫だよ。待つ。」
「うん。だから、それまで。我慢して、頑張るね。」
中学の時の黒石も、こんな気持ちだったのかな。
青白い顔で無理やりに笑う笑顔を見て、私は泣きそうになった。