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蒼い糸  作者: 和達譲
尾田と黒石
10/19

第十話:ハッピーエンドにはまだ早い


黒石と再会してから、一年と数ヶ月後の春。

父の残していった借金が、完済した。


どうしてこれほど急に、と驚く母には、隠れて水商売をしていたと嘘をついた。

さすがに身売りで稼いでいたとは、事後報告であっても打ち明けられなかった。




「───なんとなく、そんなような気はしてたけど……。」


「………。」


「あんなに、言ったじゃない。

相談してねって、無茶はしないでねって。」


「ごめん。」


「もし何か、トラブルに巻き込まれていたら……。」


「……ごめん。」


「晴子。」


「はい。」


「こっちおいで。」


「……はい。」


「相談、できなくて、辛かったでしょう。

無茶させて、ごめんね。こんな親で、ごめんね。」


「………。」


「よく頑張ったね。ひとりで、よく頑張った。頑張った。」


「……うん。」


「でも、もうやめてね。

好きなことは、好きにしていいから。好きじゃないことは、ちゃんと言ってから、決めてね。」


「わかった。」


「他に、嘘はついてないのよね?」


「……うん。」


「よかった。

せめて水商売で、よかったわ。

実は風俗で働いてました、なんて言われたら、卒倒しちゃうところだった。」


「………うん。そうだね。」




辛い毎日だった。

死にたくなるようなことが、たくさんあった。


ただ、辛いばかりの毎日でもなかった。

死にたくなっても踏ん張れるだけの、嬉しいことや楽しいこともあった。


だって、この仕事を始めたおかげで、黒石と再会できた。

不幸のドン底から、母を解放してやれた。


すべてが良かったとは、やっぱり言えないけれど。

終わり良ければすべて良しなら、気まぐれに呟いてやってもいいかなと、思えた。




「───悲しいかな、手放しには喜んでやれない立場でして……。」


「でしょうね。

無理に引き止められないだけ、ありがたいと思うことにします。」


「引き止めたかった、けどね、ほんとは。

ここが普通の、飲食店とかだったら、普通に引き止めるし、普通に喜んだんだけどね、ほんとね。」


「オッサン、鼻水でてんぜ。」


「オッサンはやめなさいよ。ありがと。」


「……ワタシって、運が良いんだか悪いんだか、よく分かんない人生みたいです。」


「ええ?なーに急に。」


「借金できて、風俗堕ちして、ってとこまでは、ガッツリ不幸だったはずなんですけど。

いざ働いてみたら、よっちゃんもいっちゃんも優しいし、客も意外と、まともな人多かったし。」


「そりゃあ、格安を売りにしてるトコなんかと比べれば、ね。」


「それもこれも、二人がいろいろ根回しとか、守ってくれたおかげだと、思ってる。

ありがとう。」


「ええ……?初めて言われたよそんなん……。」


「卒業式……?」


「元気で、いてね。長生きしてよね。」


「おう。100まで生きるぜ。」


「また路頭に迷うことがあったら───」


「オッサン。」


「嘘だよ。

二度と来んなよ、嬢ちゃん。」


「……ふふ。

二度と来ねーよ、ばーか。」




後日。

身辺整理が済んでから、私は黒石に連絡をとった。


完済のことを報告したらきっと、開口一番におめでとうと言ってくれるだろう。

お祝いに何か美味しいものを食べたり、旅行にでも行こうと誘ってくれるだろう。

そうしたら私は、今度こそエスコートする側になって、恩返しの第一歩を黒石と共に踏み出そう。


なんて、期待していたのに。



『───もしもし。』


「あ……。ワタシ、だけど。」


『うん。久しぶり。どうしたの?』


「ちょっと、話したいこと、あったんだけど……。

大丈夫?具合わるい?」


『そんなことないよ。大丈夫。話したいことって?』


「えっと、実は、借金のことなんだけど───」



長い発信音のあと、ようやく電話に出た黒石は、明らかに暗い声をしていた。

おめでとうは言ってくれても、お祝いをしようとは誘ってくれなかった。


少し前までなら、連絡イコール次の予定を相談していたのに。

こちらのスケジュールを確認もしなかったということは、黒石の方が都合がつかないのだろうか。


内心がっかりしつつ、忙しいのであれば日を改めてと、この時は報告だけで電話を切った。



「("また今度"……、って。

前もそう言って、結局ワタシから連絡してばっかなんだよな。)」



けれど、その次も、その次の次も。

電話をかけてもメッセージを送っても、前向きな返事が返ってくることはなかった。

次第に、応答さえしてもらえない日が続くようになっていった。



「(このまま待ってるだけじゃ、駄目な気がする。

てか、受け身でいるのが、そもそもらしくない(・・・・・)んだよ、ワタシは。)」



もしかして、避けられているのだろうか。

嫌われるようなことを、私はやらかしてしまったのか。


仮にそうだとして、正直に言い合える仲にはなったはずだ。

黒石の性格を考えても、当てこすりで避けられている可能性は極低い。


やむを得ない事情。

嫌じゃないのに避ける理由って、一体なんだ。

我慢できなくなった私は、これから行くとメッセージで伝えた上で、初めて自分の意思で、黒石の自宅を訪ねてみることにした。


そこで私は、衝撃的な場面に遭遇した。






「(なんだ、あれ。)」




黒石のアパートに着いた直後。

私の視界に飛び込んできたのは、二人の女性が言い争う姿だった。


片や黒石、片や見知らぬ年配女性。

私が現場に到着した頃には、既に口論の真っ最中だった。



「───埒が明かないわ。

お前の気持ちがどうあれ、こっちはこっちで進めさせてもらいますからね!」



やがて、吐き捨てるように怒鳴った年配女性が、立腹した様子で現場を立ち去った後。

玄関先に残された黒石が、へなへなと膝から崩れ落ちていったのが見えた。


思わず駆け寄った私は、大きな声で黒石の名前を呼んだ。

はっと顔を上げた黒石は、掠れた声で私の名前を呼び返した。

寒さで赤く染まった彼女の頬には、いつかとは違う透明な涙が伝っていた。



「大丈夫?怪我してない?

何があったの?さっきのひと誰?なんの話してたの?」



動揺のあまり、私は矢継ぎ早に質問を投げかけた。

黒石は首を振ると、ぐっと拳を握り締めて答えた。



「……母親。

あのひと、わたしの母親なの。」



母親。

一番に候補に上がって然るべき、けれども先程の様子からは結び付かなかった存在。


私は瞬時に、こう悟った。

黒石の母親の存在は、きっと私たち(・・・)の将来にも、影を落とすに違いないと。



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