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残像
51/53

13

 車がゆっくり、ゆっくり走っていく。もうあそこには二度と戻らない。西村は不幸な事故として処理されただろうか。高岡はどこかで元気にやっているだろうか。これからの飯塚には関係の無いことだった。


「セミさ、鳴かなくなったね」

「うん」


 大可井山ではまだ現役なセミたちだが、東京ではめっきり聞かなくなった。秋になったのだ。


 途中でナンバープレートを変え、車は初めて行く山に捨ててきた。ナンバープレートは外し、持ち帰る。時期が来たら、どこか遠くの街で不燃ごみとして出すらしい。


 電車を乗り継ぎ、歩き、山小屋には向かわず、山を登った。例の広場に着く。適当な木を選び、竹下が小さなスコップでその根元の地面を掘り、ナンバープレートを放り込んだ。


「ここなら忘れないでしょ、多分」

「忘れちゃうかもよ」

「忘れるくらい経てば、自然に還るさ」

「還るわけないじゃん」


 ナンバープレートは、放置しておけば分解されるような優しい材質で出来てはいない。本心なのか違うのか分からない言い方が妙におかしくて飯塚が笑った。


「人間だって骨は残るんだよ」

「そうだねぇ、その子たちも残るんだ」


 竹下が右手を埋めている辺りを見つめて言う。西村の右手が手に入らなかったことが残念なのか、しきりに鞄を撫でていた。


「さてと、家に帰ろう」


 竹下が歩き出したので、飯塚も続く。今日は真夏日になると言っていたけれども、木々に遮られたここは涼しく、先ほどまでしてきたことを忘れてしまうくらいの爽やかさを感じた。歩く足元は汚れきっているというのに。


「終わったね」


 最後の西村については直接手を下していないのでいまいち実感が湧かないが、とにかくこれで全てが終わった。終わったらすっきりするかと思っていた。変わらなかった。ただ、飯塚が味わった恐怖が少しでも伝わったのなら、それでいい。これ以上することはもうない。


「終わっちゃったね」


 竹下と二人、歩き慣れた山道を行く。車は見つからないだろうか。今になって少し心配になる。汚れた姿のまま家に帰るのも気分ではなく、川で顔と手を洗い、裏側にある小屋を目指す。せっかく麓にあるのに、山の入り口とは反対にある小屋はとても不便だ。だからこそ、竹下はあそこに建てた。なるべく人と遮断されたあの場所に。

 この山を散歩する酔狂は二人以外おらず、静かな空気が流れている。これからどうすればいいだろう。


「そうだなぁ」


 飯塚の考えを読んだように、竹下が呟いた。独り言だと思って返答せず歩いていたら、開いていた竹下との距離が先ほどより近づいていることに気が付いた。いくら一年一緒に住んでいたと言っても、所詮は他人。寝る部屋だって、飯塚はリビング、竹下は作業部屋だった。あの血の通わない腕や足の山と同じ場所で眠るなんて、竹下にはやはり得体の知れない何かがある。飯塚はそっと、一歩右側に寄った。隣は崖だ、気を付けなければ。


「そんなに端っこ歩いちゃ危ないよ」

「平気」

「危ないって」


 自分で分かっていることを注意されたのが嫌で、竹下を見ずに歩き続ける。ふと、肩に手が触れた。


 とん。


 優しい残酷だった。


 飯塚の体が右に傾く。竹下に肩を押された。強い力ではなかったけれども、ぬかるみの多い足元が竹下に味方する。飯塚は絶望した。隣は崖なのに。


「あ」


 初めて竹下を見遣れば、彼は笑うことも怒ることもせず、ただ、飯塚を見つめ立っていた。彼は今、彼女に何を思っているのか。


「ほらね、だから言ったのに」

「やっ……!」


 海に消えた山田の姿と自分が重なる。結局こうなるのか。竹下に何か文句を言いたかったのに、それよりも前に体中を痛みが襲った。


 バキバキッ!


 飯塚が木々にぶつかって、枝の折れる音が響く。腕が、腹が、足が痛い。枝が刺さったに違いない。そう思うより早く、地面に飯塚の体が激突した。


「あああああ!」


 反射で叫んでも、周りに木霊するばかりで助けは来ない。飯塚が一番分かっている。


 声を出すだけで痛い。出さなくても痛い。痛いとは、こういうことだった。


「ここから落ちたらさぁ、家の近くに落ちるんだよ。知らなかったでしょ。あとで拾ってあげるからね。いっぱい部位の見本が出来るぞ~」


 上から楽しそうな声が降ってきた。余興が終わり、自分は用無しとなった。自身の命と引き換えに、ようやく理解した。


「俺は君を殺してないよ。右手が邪魔だったから切っただけだし、いらなくなったから捨てただけ。ね、まだ生きてるでしょ? もしまた戻ってきたら、一緒に生活しよ」


 どの口が言うのか。飯塚は怒りで体全部が燃えてしまった。痛みも感じない。熱さだけが飯塚を覆った。


 それきり、竹下の声が聞こえなくなる。足音はしなかったが、そもそも崖の上の小さな音などここまでは届かない。何度も疑う機会はあったのに、考えたくなくて蓋をしていた。まさか、最後の証拠をこうもあっさり切り捨てるとは。彼が憎いと同時に、自分の情けなさに呆れた。


「……ッ、ぱり、あいつ、だっ、た!」


 涙はすぐに土へ沈んでいく。


 しばらくもがいていたが、飯塚が体を起こすことは終ぞ叶わなかった。途中で義手は取れた。こうして一人置いていかれて、一度目の記憶が蘇る。彼らには申し訳ないことをした。本当はそうではないかと思ったあの時に逃げ出せばよかった。世間から葬られた存在だとしても、逃げて自宅に戻って事件が明るみに出れば、また飯塚かえでとして生きる道があったかもしれないのに。


 飯塚が頭の端で謝る。彼らにはどうしようもない残酷を与えられはしたが、殺す程であったか、今となっては自分でも分からない。


「あいつ、が……が……」


 こうして飯塚は、竹下に二度殺された。

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