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残像
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7

「写真、入れ間違えちゃった」

「入れ間違えたって、私の写真を? どうして」


 写真ならば二人で確認して入れたはず。また入れ直すともなれば、封を切らなければ不可能であるのに。


「いやぁ、出かける時二枚中身落としちゃったんだよね。で、反対に入れちゃったみたい。出す前に封をしたんだけどさ、山田さんの中身いちおう確認したら、右目になってんの。じゃあ、さっき投函した笹沼君が鼻じゃんって」


 言い方は軽いが、彼は明らかに動揺していた。順番はどうでもいいと言っていたのに、一度決まったルールが崩れてしまい、彼の中のゲームが乱されたからだろう。原因は他でもない自分自身なのに。


「仕方ないか。ゲームにイレギュラーがあってもいい」


 竹下が自分に言い聞かせる。一度手を叩いて、飯塚の方を向いた。


「この調子で、明日あたり次いっちゃお」

「連続で? もっと間置いた方がいいんじゃない? 一か月とか」


「遅くなると、どんどん難しくなるの。それに今回は楽ちんだよ。なにせ、玄関の鍵掛けない癖があるから、彼。犯罪者ホイホイだよね」


 次は笹沼だ。相園を殺した帰りに封筒は置いてきた。中身は三番目だが、順番は二番目のまま。竹下の話が本当であれば、彼は東京という人口密度の多い土地で開放感溢れる生活をしているらしい。危険意識が無さ過ぎる。男だということを除いても、泥棒に入られるではないか。今まで無事だった方が驚きだ。


「夜中がいいね。飯塚さんは何もしなくて大丈夫。近くにカメラは無いけど、二人組で夜中うろちょろしてたら目立つから」


「分かった。よろしくね」

「任されました」


 飯塚は心のどこかでほっとしていた。見張り役もいらないということで、飯塚は完全に留守番となった。


 翌日、仕事に行く彼を見送る。今は午後になったところだが、実行するのは夜中なので帰りは日付が変わってからだと言っていた。


 さて、することがなくなった。以前のように車を探すこともないし、するとしたら散歩くらいで。丸々一日一人きりだ。せっかくなので、部屋の掃除をすることにした。


 掃除といっても、部屋はリビングの他に部屋が一つあるだけで、二階も無い。きっとすぐ終わるだろう。暇つぶしにでもなればいい。そんなつもりで始めた。


 まずはリビングから。テーブルと椅子、奥に飯塚用のタンスと簡易ベッド。ベッドといっても一人暮らしの竹下に予備のベッドがあるはずもなく、中身の入った段ボールを並べて、その上に薄いマットを敷いただけのものだ。家具を適当に端へ寄せ、箒で埃を集める。塵ゴミは玄関を開けて、外にポイと捨てた。大きなゴミはゴミ箱に。千切った紙があちこちに落ちていて、杜撰な家主を呪った。


 厄介だったのは、やはり作業部屋だった。ドアを開けて一度閉めたくらいだ。六畳程の部屋の壁に義手や義足がぎっしり詰まっている。床もベッドと作業中の工具やら何やらで埋め尽くされていて、飯塚は走って窓を開けた。


 窓から新鮮な空気が入り込み、ようやく息を吸えた。それでも、何やら嫌な臭いがする。どこかで虫が湧いていたりしたらどうしよう。飯塚は両腕を擦ったが、意を決して床に落ちているガラクタを拾った。


 どこに避難させていいのか分からず、畳んであった段ボールを引っ張り出し、そこに工具を詰める。どうにか足の踏み場を確保出来た。掃除機なんて便利な道具は無くて、箒と雑巾が飯塚の味方だ。溜まった埃を塵取りに入れては捨てる作業を三回繰り返し、その後雑巾がけをして回った。


「ベッドは動かせないな」


 せめて、届く範囲でベッドの下を掃除しよう。隙間から箒を入れ、適当に掃いていると、奥の方で何かにぶつかった。だらしない竹下のことだから、いらなくなったものを放り投げたままにしているのかもしれない。飯塚はいくらか綺麗になった床に顔を付け、下を確認する。どうやら、箱が置いてあるらしかった。臭い。部屋の匂いの元もそこからに違いない。


「めんどくさ」


 見なかったことにしようかと思ったが、これをどうにかしないと匂いが取れず、掃除した気にはなれなかった。仕方なく、ベッドを少しずつずらして、人一人が入れる隙間を作った。


「もう、雑な男嫌い」


 いない相手に文句を言う。彼に変わって掃除をしているのだから、これくらいは許されるだろう。掃除を竹下に頼まれたわけでもなく、飯塚は勝手に無理矢理やらされている気分に浸った。


 しなければならないことがあると、自分は生きていると実感出来た。誰からも忘れ去られた存在でも、自分は生きている。生きていていいのだ。


 このベッド下の邪魔者を掃除してしまえば、掃除は完了といっていい。最後の大作業を手に取った。箱にいくつか入っている。それを引きずってベッドから脱出し、匂いの原因を探ろうと中を覗いた。すぐに後悔した。


「なに、これ」


 錆びた鉄くずとメス、その奥にも何か入っている。触りたくなくて、ビニール袋を手にかぶせ、鉄くずを退けた。その手がすぐに離れる。「やだッ!」


 鉄くずの下には斧があった。飯塚が箱を押してベッドの下に戻す。匂いも知らない。掃除も終わりだ。あれは最初から無かった。飯塚はそうした。体が震える。


──違う違う。あれは違う。だって、あれは笹沼君が。


 無かったことにしたいのに、脳が拒否をする。想像する。この斧は、あの時の斧ではないだろうか。飯塚はリビングに走り、深呼吸をした。


「……落ち着け。斧なんて、山に住んでたら一本や二本持ってるよ。きっと錆びて使い物にならなくなって、捨てるのも面倒であそこに置いただけ。そうだよ」


 そうでなくては困るのだ。彼は飯塚を助けたはずの男だから。


 大きさからしてよく似ているが、元々、あれも竹下の忘れ物だったに違いない。この山に落ちていたのだから。それをたまたま笹沼が拾った。辻褄は合う。ようやく飯塚の心臓は落ち着くことが出来た。


 急に現れたから頭が誤作動しただけだ。それこそ、竹下には動機が無い。むしろ、こんなことにまで付き合ってくれる稀有な存在なのに。


『俺の趣味に付き合ってもらうことにした』

「あ……」


 誤作動ついでに嫌なことを思い出した。確かにあの時、竹下はそう言っていた。もしも、それの開始が飯塚が目覚める前からだったとしたら。いつから竹下の趣味は始まっていた?


 飯塚が首を振る。


 だめだ。正解を知らない人間がどんなに苦しもうと、結果はすでに出ている。万が一真実に辿り着いたとしても、それは後戻り出来ない時だ。


「寝よう」


 リビングにある簡素なベッドに潜り込む。まだ陽は落ちていない。夕飯もまだの時間。飯塚は無理矢理目を瞑った。


 次に気付いたら、辺りはすでに真っ暗闇だった。何時だ。電気をつけ、時計を確認する。二十時、随分な昼寝をしてしまった。夕飯を食べる気にもなれず、冷蔵庫に残っていたヨーグルトと野菜ジュースで終いにした。


 そういえば、竹下がいつも買い物をしてきてくれるが、どこから金を調達しているのだろうか。物を買うには金がいる。竹下が働いている様子はない。彼に関しては分からないことばかりだ。


 ただ食べるだけでは時間稼ぎにもならず、結局二十二時にはまたベッドの中にいた。繋がらないスマートフォンでは何も遊べず、会話相手もおらず、仕方なく惰眠を貪るしかない。

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