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残像
43/53

5

「ひゃっほ~~!」


 田舎道を竹下が車で飛ばす。横で飯塚が耳を塞いだ。


「五月蠅い」


「だってさぁ、楽しいじゃん。世間から忘れられた俺と死んだあんた。二人が落ちてた車で爆走。映画にでもなりそうじゃない?」


「ならない。前向いてください」


 パーカーのフードを被った飯塚が竹下に冷たく当たる。


 これからとんでもないことをしでかすというのに、遊園地にでも行く気なのかこの男は。本当に上手く行くのか不安になってきた。家で留守番しておけばよかった。しかし、飯塚には事の成り行きを見守る義務がある。


「なんでこっちなの? 相園さん家と逆なんだけど」


「真っすぐ行ったら怪しいでしょ。この車は旅行中、相園さん家がある地域にはたまたま寄った。それだけってことにする」


「ふうん」


 犯行のコツなんぞ、飯塚にはこれっぽちも分からない。今後も分からなくていい。面倒事は全部竹下が行ってくれる。しかも楽しそうに。飯塚はそれに委ねるだけだった。責任を放棄しているようにも思われたが、あの日から今日までの一切を、彼の後をなぞっているだけの飯塚には、もうどうにも出来なかった。


 千葉県を出て、東京都に入る。相園の家も東京だが、今はもっと北にいる。ドライブスルーで飲み物も購入した。


「本気で観光するの?」

「ううん、振りだけ。あとでナンバーも変えるしね。ほんと、この車目立たない白でよかった」


 もしこれがピンクや緑であったなら、防犯カメラはもちろん、通行人の記憶に残るかもしれない。白はどこへ行っても溢れる程走っている。不法投棄の誰かに感謝した。


「どっかさ、行きたいとこある?」


 急にそんなことを言うものだから、飯塚は飲んでいるお茶を吐き出しそうになった。慌てて口の中の残りを飲み込む。


「私に行きたいとこなんて」

「ないの? 復讐以外一つも?」


 飯塚は否定出来なくなってしまった。生まれ持った性質か環境か、小学生の頃より内向的な飯塚は、親しい友人と呼べる人間はいなかった。近くに住んでいる同級生が外で遊んでいるのを眺めるくらいで、親も無理に友人を作らせようとはしなかった。


 その中で唯一の思い出と言えば、数軒先に住んでいる三歳年上の少年だった。出会った時彼は六年生で、三年生の飯塚には随分大人に見えた。


『かえちゃん』


 そんな風にあだ名で呼んでくれるのも彼だけだった。


 今思えば、飯塚の周りに最後までいてくれたのは彼だけだった。


「一か所だけ」


 振り絞った声は自分にも聞こえるかどうかの頼りなさで、やっぱり自分だめなのだと実感した。器用に受け取った竹下が頷く。


「オッケー。都内?」

「うん」

「相園さん家と近くない?」

「近くは、ない」


 彼は大学進学と同時に一人暮らしを始めた。だから、飯塚や相園の家とは離れている。


「よし、安全運転で行くね」

「ありがとう」


 行って何をしようと言うのか。死人が訪ねても、彼はきっと喜ばない。しかし、心のどこかで自分を待っていてくれているのではないかと。飯塚は膝に置いていた手をぎゅうと握り締めた。


「お~上野だ」


 途中で上野駅の傍を通った。動物園も見えた。五歳くらいの頃、一度連れてきてもらったことを思い出す。あの頃は可愛がられていた、気がする。どこで間違ったのだろう。もう一度五歳に戻れたとしても、上手くやれる自信は無い。


 いつも電車で訪れていたので、彼のアパートに近づいているのか不安だったが、最寄り駅に着いたところでようやく見慣れた道になった。


「そこ、真っすぐ、で、左曲がったところの二階建てアパート」

「うん」


 車を左折させると、一年振りのアパートが現れた。記憶のそれと変わらない。時計を確認する。午後五時。遅い講義が無ければアパートにいる時間だ。彼はバイトをしていないし、大学から電車で十五分のところに住んでいるため、大学にいる以外はたいてい部屋でごろごろしていた。


 もし会えたら、と思ったところで、止めた。これは思うだけで終わらさなければならないことだ。


「外、出れば」

「…………」

「誰かに会うんじゃないの?」


 竹下の問いに、飯塚がふるふると首を振った。そもそも、会ってしまえば、飯塚が生きていることを知る人間が増えてしまう。これはよくないことだ。飯塚はこれから行うことを考えて、彼に迷惑が掛かることを恐れた。


「まあ、そっか。一階? 二階?」

「一階」


 竹下が運転席のドアを開けて外に出る。飯塚は目で追ったが、席に座ったままだ。竹下は気にせず、真っすぐアパートに向かった。止めるべきか悩んでいる間に、アパートを一回りした竹下が戻ってくる。


「うーん、人の気配はしないよ。絶対いないかどうかは分からないけど、ちょっと廊下を歩くくらいならいいんじゃない?」


 それでも動かない飯塚に、竹下が苛立ちを見せた。助手席のドアを開けて、飯塚の手を引っ張って引きずり出す。


「ほら、さっさと見て、他行こ」

「分かった」


 元は自分から言い出したこと。竹下が苛立つのも無理はない。相園はフードを深く被り直し、渋々アパートの入り口を通った。


 誰も歩いていない廊下を俯いて進む。目指す部屋は一〇三号室で、十歩も歩かないうちに着いてしまった。


「ここ?」

「うん」

「髪の毛ちょっと切って、ドアポストの中に突っ込んどく?」

「うわ……ッ」


 随分趣味の悪いことを言われて、飯塚は顔を上げてしまった。嫌でも該当の部屋が目に映ってしまった。


 中の電気は消えていて、竹下の言う通り彼は中にいないのだろう。


 気の抜けた飯塚がドア横にある表札を見て、愕然とした。


「青崎……」

「ん? どうしたの?」


 項垂れて首を振る飯塚に、竹下はこれ以上何も言わなかった。


 また手を掴まれる。飯塚は嫌がらずそれに付いていった。


 車に乗り込む。完全に無駄足だった。いや、これでよかったのかもしれない。高岡にとって、飯塚は過去の人間。前を向いて歩いてくれていれば、それでいい。


「一年も経てばね」

「うん」

「世間は変わるもんですよ」

「うん」


 気まぐれの竹下が気を遣っているのが分かり、涙が流れそうになった。悔しくて、歯を食いしばる。これくらいでめげてはいられない。これはただの寄り道なのだから。

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