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笑えなくて寂しくなる。親のことだってそうだ。いじめを受けてアザを作って帰っても、気付かれたことはなかった。ここ数年、しっかり目を合わせて話したことがあるか。一人娘ではないのか。自分はそこに存在していたのか。
「どうしようかな」
机に向かった左手に握られたペンをくるくると回す。彼らの絶望顔が早く見たい。手伝うだけでいいと言っていたけれども、出来るならそばで観察したいし、出来る限り関わりたい。これは飯塚と彼らの戦いだから。
ふと、机に置かれた週刊誌が目に入った。こんなもの、今まであっただろうか。竹下が買ってきたことは明らかだが、あの男が世間の話題に興味があるとは思えない。
「ドッグイヤーしてる。見ちゃお」
隠していないのだから見ても怒られないはず。飯塚は迷いなく、そのページを開いた。後悔した。
そこには飯塚の事件が脚色されて描かれていた。しかも、顔写真付きで。目隠しの処理すらされていない顔で。被害者のプライバシーはどこへ行ってしまったのか。情けない面を下げる自分が惨めで、実物はいくらかマシだと訴えたいが、今朝確認した鏡の中の自分もたいして変わりないことに気が付いていた。後ろから竹下が話しかけた。
「買ったの、昨日。食料を調達しに行ったときさ、なんか表紙にちっちゃく写真載ってるからすごいじゃんって思って」
「すごいじゃんって……」
「記念だよ、記念」
こんな記念、あったものではない。衝動で破り捨てたくなったが、はて、もしかしたらこれを利用出来るかもしれない。気味の悪い写真だから尚更。
「学生証の写真? これ」
「そう。わざわざ無表情の死にかけ顔採用しなくても」
「これしか見つからなかったとか」
飯塚が黙ってしまい、竹下が謝る。苛々がさらに募った。
「あいつらに送る」
この行き場の無い写真の供養を彼らにしてもらおう。我ながら良い案だと思った。竹下が提案にノる。
「いいじゃん。住所知ってるの?」
「家なら。でも住所までは」
「それだけ分かればすぐ調べられるよ」
「さすが」
顔が知られている飯塚に代わって、竹下が各住所を調べてきてくれた。家が分かっているのだから造作もないことだ。この情報を元にさっそく作業に取り掛かろうとしたが、実行はまだまだ先であった。なんだか出鼻をくじかれた気になって落胆する。
「別に、今から始めたっていいんじゃない。実行するのが来年ってだけだし。自分への御褒美だと思って、毎月一枚ずつ書いたら」
「うん、そうする」
「あとさ、どうせならもっと面白くしようよ。俺、そういうの得意」
「経験あるって科白に聞こえるけど」
「それは秘密」
自分ばかり知られていて気分が悪いが、竹下が話す義務も無く、この手の質問は二人でいる最後まではぐらかされた。彼のことを仲間だと思ったことは一度とてなくとも、目的を同じとする同志ではあったはずなのに。やはり大人はずるいところがある。
「手紙はいらない」
中途半端な説明をしては恐怖が半減する。何も記すことなく写真だけ送る。これが何を意味するか理解した頃にはもう、この世からいなくなっているわけだ。
もらった住所を封筒に書こうとして気が付いた。利き手では上手く字を書くことが出来ない。つまり、左利きになる練習をしなければならないわけだ。ため息が出る。しかし、時間はある。この日から一か月、飯塚は毎日左手で文字の練習をした。
最初は一文字だけでも揺れてしまい苛々したが、二週間程経って、小学生低学年程度の字が書けるようになった。
その間に、竹下もせっせと準備をしていた。町に下りては何やら購入してくるのが気になって聞いてみると、竹下は笑って言った。「演出だよ」
「ふうん」
飯塚は拒否しない。竹下がしたいのならば従うまで。ただし、不気味に加工された自分の写真が気味悪くて、竹下の作業台に近づくことはあまりなかった。
寒い冬を越えた頃、ようやく満足のいく字が書けた。遅れはしたが、さっそく宛名書きを始める。差出人は書かず、彼らの住所と名前だけ。手紙も無し。ほんの数十字のそれが、ひどく難解な問題に見えてきた。綺麗に書けない時は、潔く丸めてゴミ箱に放った。さらに一か月かけて、全員分の宛名を完成させた。
「一人ずつ送ろう。殺す順番はあったりする?」
「無いよ、誰が一番嫌かなんてそんなの」
「じゃあ適当でいいか。どうせ全員いなくなるもんね」
竹下は封筒を裏返し、神経衰弱のようにバラバラと動かし、分からなくなったところで一枚ずつ写真を入れた。封筒を表に返す。一番目は相園に決まったらしい。声が高く、飯塚を見ていつも楽し気に笑っていた。彼女にとっては、飯塚は動物園で檻をゆする珍獣だったのしかもしれない。
他の三人の順番も確認する。段々自身の顔になっていく様は実に不気味で、あまり見ていたくないものだった。
──どうやって殺すのかな。
他人事でいたいけれども、一番の当事者だ。しかし、計画の内部まで浸りたくなくて、実に卑怯者だと思う。暴力を振るわれても解決しようと自分からは助けを求めず、復讐する計画を立てている今も自分では何もしていない。
「ほら、確認して」
四通とも渡されたが、たった今竹下が中身を出しているのを見守っていたので、確認するまでもない。封筒の中を覗くポーズを適当にしてみる。暗くてよく分からなかった。
「ねえ、私の写真、加工してるやつじゃなくて、元の、ある?」ばらばらの封筒の向きを整え、竹下に渡しながら飯塚が問う。
「あるけど、いるの? これが」竹下が手元にあった一枚をひらひらと見せる。
「うん。一枚でいいからちょうだい。いちおうさ、自分の最後の写真って感じがするから記念に。ブスだけど」
「ブスじゃないよ。少なくとも俺にとっては」
礼を言うのも否定するのも癪で、飯塚は写真を無言でもらうと、そのまま余っていた封筒に投げ込んだ。宛名も書かないまっさらな封筒に。
「最後の記念だね」
「うん」
この家に飯塚が持ち込んだ物は一つも無い。今着ている服も、竹下が適当に買ってきてくれた物だ。最初に着ていた服は泥が取れず捨てた。だから、この封筒がなんだか愛おしくなって、与えられている小さな棚の中に丁寧に入れた。
──これを使う日が来ませんように。




