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「え?」田中の問いに目を丸くさせる。言われた意味が分からなかった。田中が続ける。
「最初が左目、次が鼻、そして今が口。もし、写真の通りだったら、右目があるか、もしくは最初が両目じゃないか?」
村木だけでなく、岡崎も、説明している田中ですら顔色が悪くなっていった。もしかしたら、もしかして、だ。三枚の写真を見ることが出来たのは、事件が明るみに出たか、もしくは被害者と偶然接触出来たからで、それが全てである保障はどこにもない。言われてみれば、左目だけの写真から始まったのだから、次は右目も増えた両目だけの写真である方が自然だろう。つまり、一人目と二人目の間に、本当の二人目が存在するかもしれなかった。
「でも、まだ決まったわけじゃ」
「可能性があるんだから動くしかないだろ。しかも、時期的に笹沼より前だから、送られてきてもう何日も経ってる。死体が無いってことはまだ逃げている最中か」
もう一人被害者がいるかもしれないことに気が付いても、村木と岡崎の範疇外になる。手がかりも持ち合わせていないため、田中から担当者へ話してもらうことになった。せめて三人の共通点が見つければ話は違うのだが。
笹沼と西村は友人同士、恐らくは恋人だと思われるが、相園は年齢も住んでいる場所も違う。バイト先も被っていないし、出身校も違っている。今はただ、被害者が増えないことを願うだけだ。
「頼む。俺が言うことじゃないけど」
「そうだな。出来る限りのことはするさ、それが俺たちの仕事だ」
これでもうここにいる理由もいていい理由も無くなった。お互い忙しい立場であるから、資料を田中に渡して話は終いにした。署の入り口まで送ってもらうことに気恥ずかしさを感じながら、駐車場に停めてある車へ乗り込んだ。資料について覚えていることをメモする村木に岡崎が声をかける。
「ね、一敬さん、さっき何か言いかけなかったっすか」
目線だけじろりと岡崎に向け、口もとを片方だけ歪ませた。
「よく気付いたね。全然的外れかもしれないけど、ヒントを見つけたんだ」
「マジっすか! 何で、あそこで言わなかったんですか?」
岡崎の言うことは最ものように思われる。田中が協力してくれるならば、村木の疑問に対する答えが早く見つかるかもしれない。ただし、それはあくまで「協力してくれる」場合である。関係者だから資料を見せてもらえた。そこまでだ。それ以上首を突っ込んだ途端、後ろから強い力で抑え込まれることは想像出来た。村木たちは警察ではない。後ろ盾も、犯人に対抗し得る武装も何も無いのだ。それでどうして田中が協力してくれよう。
「止められるって知ってて言う程優しくはないんでね。ずるくいきますよ、大人は」
「それで、一体どんなヒントですか。教えてくださいよ」
「まあ、ヒントっていっても候補が出ただけで……あれ?」
「なんすか」出し惜しみしているのか、未だ見つけた事柄を伝えてくれない先輩に突っかかろうとしたが、村木は会話することも忘れ、ある単語の周りをボールペンでくるくると何度もなぞっていた。縁取られた先には「葵ヶ丘高等学校」と書かれている。飯塚が通っていた高校に心当たりでもあるのだろうか。
「違うことにも気づいちまった……多分こっちの方が早く分かる。岡崎、葵ヶ丘に行くぞ」
社用車を返すため一旦会社に戻り、予定を確認して取材の道具を引っ掴む。今日は懇意にしているブランドの新作調査があり、そこをクリアすればモデルの写真が上がってくる定時までは時間が取れる。電車で移動中記事を作成しながら持参した相園の履歴書をクリアファイル越しに見遣る。相園と飯塚は同じ高校であった。
高校に足を運ぶ間、電話で訪問依頼をしたが、こちらが事件の取材でなければ構わないということだった。すでに一週間以上経過しているので、高校の周りを取り囲む程のことはないだろう。しかし、慎重になる高校側の気持ちもよく分かる。どうせ素直に向かっていっても得られるものが無いことは予想していた。当然、取材だというつもりは毛頭なかった。
「失礼します。お忙しいところ申し訳ありません」
高校に着いて職員室に顔を出す。正門からここまで止められることはなく、学校はどこでも大して変わらないだろうが、これでは万が一自分たちが不審者だとしても校舎内に入り放題で危険だと感じた。私立の一部では、警備員が門に常駐しているところもあるかもしれない。だが、それも決して現実的ではなく、事件が起きてもなお無防備な体勢に顔を沈ませる。
対応してくれた教員は三年生の学年主任だと名乗り、夏休み前から本格化してきた受験の空気の中大変な事件が襲ってきて対応に追われていると言った。
「もうマスコミはこりごりですよ。去年だって……あ、いや何でもありません」
「……こちらこそ、無理を申し上げまして。私たち相園さんとバイトと社員の関係でしたが親しくしていたので、学校の写真を撮ってお母様にお渡しして墓前に飾って頂こうと思っているんです」
体のいい言い訳を伝えるが、お人好しな笑顔を浮かべる主任は「そうですか、そうですか」と何度も頷いて校舎を案内してくれた。少々罪悪感が募るものの、嘘は言っていない。母親が突然の死を受け入れられておらず、何度か会社に「娘の写真が欲しい」と電話も着た。だから、適当に写真を撮って送るつもりなのは本当だ。
もう夏休みも終わるが、事件が起きてからマスコミが押し寄せた一週間がぎりぎり休み中に終わって教師陣は胸を撫で下ろしているに違いない。今は部活がある学生たちが汗を流して走っている光景が校舎の窓から見えるくらいで、室内は静まり返っている。時おりカメラを構えて数枚写真に収めて、レンズ越しに主任を見た。
彼は「去年」と言った。十中八九飯塚の件を指している。一年前の殺人事件に今回の事件。同じ高校で二年連続起きる確率はどれだけだろう。明らかな異常事態は注目されるべきであり、点と点は線で結ばれるべきである。二つの事件は繋がっている、そう考えることは通常の思考だと判断した。
「さて」前を歩いていた主任が振り返り、軽く会釈する。
「ここが相園さんの教室です。花が飾ってあるところが彼女の席で……あとは、校舎内でしたらご自由にどうぞ。お帰りの際はネームプレートを職員室までお願いします。グラウンドは、生徒たちが使っていますので」
「ええ、行きません。有難う御座います」
生徒たちが使用しているから、というより、生徒たちに近づかないでほしい、が本音として聞こえた。事件の所為で関係の無い生徒にまで被害が及んでいることは明白で、こちらも相園の知り合いでなければ無理に近づこうとは思っていない。
声を失くした教室内にシャッター音だけが響く。相園の机と教室全体が見渡せる引きを一枚。そして特に漁ることもなく廊下に出て、次の教室に入っていった。相園のクラスですら二枚しか撮らなかった村木に、他の教室など用事があるはずもない。岡崎が首を傾げていると、村木は「いいからいいから」曖昧な言葉を零す。
結局、三年生のクラス全部と、これもまた三年生の昇降口を撮影して終いになった。手がかりらしいものは見つかっていない。
「特に変わった様子は無いね」
「もう日にちも経ってますし」
撮ったばかりのデータを確認しながら村木が言う。同意した岡崎も、何ら怪しい物を見つけることは出来なかった。収穫も期待以上のことはなかったにしろ、求めていることはきっちり受け取った。これより先は自ら踏み出すべきではない。手折れた花に手をかけることはあっても、まだ咲いているそれを掴んでねじ切る行為は、後々自分に跳ね返ってくるものだ。




