風神の恋(4)
迎え撃とうと剣を握るクラウスを制すると、ゼフィールは身一つでゆっくりと砂漠の主の前に進み出た。
砂漠の主は威嚇する様に両の鋏を開き、鋭く尖った尾を彼に向けた。
「なに、こうして・・・」
彼は手のひら口の前に水平に広げ、唇を尖らせるとふっと軽く息を吹いたような仕草をした。そして、風が一瞬低く唸り声を上げて通り過ぎたと思うと、凄まじい衝撃波が起き、砂漠の主の巨体がひっくり返って天高く舞った。
為す術のない砂漠の主は、二本の大鋏と六本の足で虚しく青空を掻きながら遥か遠くへと飛んでいく。
彼は驚いた顔のシルフィーとクラウスに向かって振り返ると微笑む。
「・・・少し遠くに追いやれば良いのさ。」
その向こうで砂漠の主の巨体が砂の海に落ちて、砂煙を上げるのが小さく見えた。
どんな高名な魔道士であっても、通常、魔術の発動には最低数秒間の集中が必要である。精神を統一するために目を瞑ったり、何かを口ずさんだりが普通の魔道士の魔術を使う時の姿だが、彼の場合はまるで軽く息を吐くような一瞬の予備動作だけでこれだけ強力な魔術を見舞ったのである。
おおよそ人間の為せる技とは思えなかった。そもそもこれは魔術なのか
そして、とうとうこの男が元々風神であったという妙な話が真実味を帯びて感じられた。
「さぁ、先を急ごう。砂漠の端まであと少しだ。」
ゼフィールは呆然とする二人を他所に歩き始めた。
オルガはこの騒ぎの中でもまだ眠っていたのだから大したものである。
「あなたが風神なら、他にもあなたみたいに神は居るの?」
砂丘の尾根を歩きながら、目を覚ましたオルガの手を引くシルフィーは彼に聞いた。
巷の神学の通説によれば、風神の他に火神や水神、雷神、地神などが存在すると言われている。
「ああ。この世に水は存在するし、大地も存在するだろう?」
彼は不思議そうな顔をして答えた。
「だとしたら、どうして人間は存在を知らないんだ?」
あまり世の中の出来事に関心のないクラウスが珍しく口を挟んだ。まだ彼は疑っているのかもしれない。
ゼフィールは歩きながら、そんな彼を横目に見て答える。
「今の言い方では分からないか・・・。うむ、なんと説明をすれば良いか分からないが、人とは違う次元で存在すると言えば理解できるか?」
クラウスの口元が何か言いたげにピクリと反応した。
「とにかく、神々にとって、人は小さな存在だ。普通は気にかけることはない。」
ゼフィールはそんな彼の様子を気にかける風でもなく、淡々と自分の話を続ける。
「だが、他の神々と違い、私は時々感じることがあった、誰かが風を愛おしく思ってくれていることを・・・。」
彼は立ち止まり、遠くを窺うように目を細めた。
「そして、私はその・・・いわゆる神の次元を降りて人の世へと来た。」
「その正体は分かったの?」
「ああ、私は、ある人の心に触れて、そして恋焦がれてしまった。」
彼はまた歩き出した。
「あなたが人間に恋を?」
「そうだ。」
彼は振り返らずに言った。
「それなら、その人は今どこに?」
シルフィーは前を歩く彼の背中に言う。
「亡くなったよ、ずっと昔に。」
シルフィーとオルガが遅れているので、彼は振り返って足を止めた。