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第二十三話 誠実でなきものに味方なし。人を動かすのは常に人の心なのだから

 朝食の席で、エミリアが口を開いた。


 「父さん、母さん、みんな。話があるにゃ」


 いつもの明るい声色とは少し違う。

 背筋を伸ばし、テーブルの向こうの家族全員を見渡してから、エミリアは言葉を続けた。


 「わたし、家を出るにゃ。トウヤとデイジーと一緒に、旅に出ることに決めたにゃ」


 空気が一瞬、止まった。


 双子の兄フランツが驚いた顔でエミリアを見る。

 弟のフリッツも、スプーンを持ったまま固まっている。


 母のマルガレーテが、静かに目を伏せた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


 「……そう。それがあなたの決めたことなのね」

 「うん。わたし、この人を支えたい。父さんが言ってくれたにゃ。『好きに生きろ』って。だから、わたしは自由に生きるにゃ」


 エミリアの声には迷いがなかった。

 だからこそ、俺は胸が苦しくなった。


 父のヴェルヘルムは、何も言わず、ただじっとエミリアを見つめている。


 マルガレーテは少し考えた後、娘の目を真っ直ぐに見て言った。


 「エミリア、異種族とは子供ができないことはわかっていますよね」


 その瞬間、エミリアの表情が一瞬だけ揺れた。


 「う……うん、わかってるにゃ!」


 俺は、その"間"が何を意味しているか知っている。

 デイジーもきっと、気づいているだろう。


 エミリアは既に、《鑑定》で確認した通り「勇者の母体」状態にある。

 妊娠とほぼ同じようなものだと、本人は言っていた。


 だから、エミリアは嘘をついている。

 いや、嘘をつかざるを得ない。


 その後ろめたさが、あの一瞬の揺れに滲んでいた。


 家族は、その微妙な空気を別の意味で受け取ったようだ。

 「エミリアの中に、まだ割り切れていない何かがある」と。


 真実とは違う。

 けれど、その真実を知っているのは、俺とデイジーだけだ。


 実はいつでも……そう考えた瞬間、見てはいけない光景が脳裏に映った。


 今のバウワー家に、エミリアの子供が加わった四世代の食卓。

 騒がしくて、温かくて、当たり前のように笑顔が溢れる未来。


 ――それは、夢だ。


 全てが明らかになった時に初めて実現できるはずなのに、全てが明らかになった時、最も遠ざかってしまうかもしれない夢。

 自分の考える『家族の幸せ』の中に、エミリアの家族も含まれていることを、俺は痛感させられた。


 俺は何を言えるわけでもなく、ただ歯を食いしばって無反応を貫くしかなかった。


 そんな中、ヴェルヘルムだけは、じっくりと全てを観察していた。

 娘の揺らぎ、妻の心配、そして俺の沈黙。

 その全てを見透かすような鋭い眼差しで。


 「あなた」

 マルガレーテに促され、ヴェルヘルムは口を開いた。


 「私はエミリアの選択を尊重する」


 低い声が、部屋の空気を引き締める。


 「ただし、自分で選択したことは、自分で責任を取らねばならん。分かっているな」


 「……わかってるにゃ」


 エミリアは、まっすぐに父の目を見て答えた。

 その瞳に、もう迷いはなかった。


 ヴェルヘルムは小さく頷き、それ以上は何も言わなかった。



 マティルデから魔導通信で連絡が入った。

 魔石の売却が完了し、『賢者』への紹介ルートが確保できたとのことだ。


 俺たちはヴィーゼンブルクへ向かうことになった。

 運転はエミリア。


 連絡を終えた後、エミリアがぽつりと言った。


 「魔導通信は盗聴されやすいにゃ。大事な話は直接会ってからの方がいいにゃ」


 その言葉に、俺とデイジーは顔を見合わせた。


 車の中で、俺たちは今後の方針を話し合った。


 「まず、デイジー」


 俺は後部座席を振り返って、デイジーの目を見た。


 「敬語と、様付けをやめてほしい。俺は、君と対等でいたいんだ」


 デイジーは少し驚いた顔をして、それから頬を染めて俯いた。


 「……わかった。でも、いきなりは難しいかも」

 「少しずつでいい」


 エミリアがハンドルを握ったまま、横目でこちらを見て笑う。


 「それと、第一夫人とか、そういう序列は作りたくない。妻同士は対等でいてほしい」


 デイジーが小さく頷く。

 エミリアも「それがいいにゃ」と同意した。


 「嫉妬や不安を感じたとき、隠さないで言ってほしい。溜め込まず、三人で話そう」


 そして、エミリアは、どこか自分にも言い聞かせるように言う。


 「そうにゃ、三人の間では、隠しごとはなしにゃ。……トウヤは何考えてるか、ちゃんと教えること。わたしたちも、怖いのは“知らされないこと”にゃ」


 胸が少し痛んだ。

 これまで、どれだけ一人で抱え込んできたかを思い知らされる。


 「……わかった。できる限り、そうする」


 もちろん、それでも外に対しては隠さなければならないことがある。


 「ただし、外に向けては別だ。俺が勇者であること、恩恵やスキルのこと、転生前の世界のことは完全に秘密にする」

 「当然にゃ」

 「外から見たら、俺たちは探索者パーティとして振る舞う。女性二人を連れている理由も、それで通す」


 三人で頷き合った。


 ふと、俺は前から気になっていたことを口にした。


 「そういえば、盗賊団が『黎枝の種』っていう言葉を探していたんだけど、知ってる?」


 エミリアが首を傾げる。


 「聞いたことないにゃ。多分造語だと思うけど、"夜明け"とか"新しく始まるもの""純粋な新しさの象徴"みたいなニュアンスにゃ」


 デイジーが、少し考えた後、静かに言った。


 「……多分、それは父がトウヤのことを表したものだと思う。細耳族の希望の象徴として」


 その言葉に、車内の空気が重くなった。


 「盗聴されたのか……」


 エミリアが呟く。


 「デイジーのお父さんの魔導通信が盗聴されていた可能性が高いにゃ」


 俺たちは顔を見合わせた。


 「じゃあ、『黎枝の種』という言葉は今後一切使わない。魔導通信も、多用しないようにしよう」


 二人が頷く。


 その後、少し沈黙が続いた。


 「その他のルールは……」


 俺がそう言いかけた時、デイジーとエミリアが目配せをした。


 「……それは、後で二人で相談するにゃ」


 エミリアが少し照れたように笑う。

 デイジーも頬を染めて、小さく頷いた。


 きっと、自分の前では話しにくいことなんだろう。

 なんとなく想像はできるが、俺は何も聞かないことにした。


 ただーー

 「……あれ? 隠し事はしないって」

 「それとこれとは別にゃ」「別だから」

 「はい……」



 ヴィーゼンブルクの 《探索者協会》に入るとマティルデが出迎えてくれた。


 「お疲れ様。……あら、エンミー、なんか顔つき変わった?」


 「そうかにゃ?」


 エミリアが視線を泳がせる横で、マティルデは三人を一人ずつ見て、すぐに何かを察したように、にやりと笑った。


 「……ふふ、何かあったわね。今までで、見たことないすっきりした顔をしてる。なるほど、なるほど……」

 「ちょと、まつにゃ! 今日はそう言う話をしにきたんじゃないにゃ」

 「またじっくりと話を聞かせてね」


 少し顔を赤くして静止するエミリアに、マティルデは仕方がないと言う顔をすると、こほん、と一つ咳払いし、仕事モードに変わった。


 「例の魔石ですが、相場の十倍近い値段で売れました。あなたの持っていた魔石は、かなり珍しいものだったみたいです」

 「そんなに……」

 「おかげで、『賢者』への紹介ルートも確保できました」


 マティルデはテーブルに地図を広げた。


 「『賢者』は竜人族の国にいます。ここ、ヴィーゼンブルクは細耳族の国境に近いので、いきなり竜人族の国に入るのは難しいです。まず獣人族の首都を経由して、そこから竜人族の国へ抜けるルートが良いでしょう」


 地図を見て、俺は初めてこの世界の全体像を把握した。

 大陸が輪のような形で、その中央の海岸線近くに各国の首都が並んでいる。

 ――転生前の世界でも、主要国の首都は海岸線近くにあった。


 交易や交通の要所として、海が重要だったからだ。

 この世界も、同じ理屈なのかもしれない。


 マティルデは少し声を潜めて言う。

 「遠回りになるから通らないと思うけど、逆側の細耳族の国境は、検問がかなり厳しくなっていて、事実上封鎖されているらしいわ。勇者転生の放送以降、他国の調査団も拒否しているってニュースで言ってたし……細耳族は勇者を自国で囲い込もうとしているわ」


 マティルデの表情が、少し曇る。


 「これから世界情勢は混沌とするかもしれないわね」


 俺たちは適当に相槌を打つしかなかった。


 マティルデは地図を畳むと、エミリアの方に視線を向けてから、俺に向かって、意味ありげに微笑んだ。


 「私に見る目はあったようね」


 それは探索者職員ではなく、エミリアの友人としての微笑みだった。


 「エミリアを、よろしくお願いします」


 その言葉に、俺は静かに頷いた。



 俺たちは探索者として正式に登録し、竜人族の国を当面の目的地に定めた。

 その後、今夜の送別パーティ用の買い物と、デイジーの服を買いに街へ出た。

 デイジーは体力が完全には戻っていないので、休み休み買い物を楽しんだ。

 これからの長旅と探索者として行動することを考えると、あまり可愛い服は選べないが、

 エミリアの「トウヤは中身がおっさんだから、派手な服より質素な服の方が好き」「外見より中身を大胆にした方が刺さる」と言う状況に則した的確なアドバイスにより、デイジーが気にしている様子はなかった。

 ただし、下着を購入後、「その時のお楽しみにゃ」と言っていたエミリアの晴れやかな顔と、耳まで真っ赤にしたデイジーの俯いた顔が印象的だった。

 ーーもちろん、俺は下着の購入は付き合わせてもらえなかったことを付け加えておく。



 一通りデイジーの服を購入した後、エミリアは途中で別れ、普段から世話になっている知り合いへの挨拶回りへ行っていた。

 牛肉や牛乳を卸している鬼人族の女性、瀬田の店にも顔を出していた。


 「エミリアがいなくなると寂しゅうなるわー」

 「双子の兄のフランツがお世話になると思うにゃ、よろしくにゃ」

 「わかりましたわ。どちらまで行きますのん?」

 「竜人族の国までにゃ」

 「そら遠いところやなぁ、きいつけてな」


 エミリアが去った後、瀬田は小さく呟いた。


 「これも仕事やから、勘弁してな」


 彼女は何かの紙にサラサラと文字を書き、木箱にそっと入れた。

 そして、瞬きもしないうちに、その紙は風に飛ばされるように消えた。



 その夜、バウワー家でささやかだが、少し豪勢なパーティが開かれた。


 家族と親しい知人たちが集まり、エミリアの旅立ちを祝った。


 テーブルには、いつもより多くの料理が並んでいた。

 二つの月の光が、窓から静かに差し込んでいる。


 俺は、この家族の温かさを、忘れないようにと心に刻んだ。



 翌朝、家族に見送られて俺たちは出発した。


 街まではヴェルヘルムの運転する車で向かう。


 助手席には俺が座り、後部座席のデイジーとエミリアが寄り添うように眠っていた。

 昨夜も遅くまで話をしていたらしい。

 流石に若くても二日連続で夜が遅いのは疲れたのだろう。


 車の中は静かだった。

 セオリアを動力とするエンジンの木の擦れる音と、窓の外を流れる風景だけが、時間を刻んでいる。


 俺は、ヴェルヘルムの横顔をちらりと見た。


 ――この人だけには、伝えておきたい。

 この人ならこの一言で理解するだろう。


 「ヴェルヘルムさん」

 「なんだ」

 「俺は……異世界から転生した勇者です」


 ヴェルヘルムの手が、一瞬だけハンドルの上で止まった。


 彼は目を見開き、俺を見た。


 「そうか……そういうことか!」


 彼の中で、全てが繋がっていくのだろう。

 これまで欠けていたピースがはまる音がする。


 エミリアの言い淀み。

 俺とデイジーの関係。

 軍人時代の勇者に関する検討内容。


 「……迂闊なことを言うな。私は何も聞かなかった」


 「すみません」


 ヴェルヘルムの目には、これまでなかった光が灯っていた。

 少しの沈黙の後、彼は静かに言った。


 「私は軍人ではない。娘を頼む」


 その言葉の真意を、《言語解釈》が拾う。


 ――軍人でない間、私は娘が選んだ君の味方でいよう。娘のことをよろしく頼む。


 俺の胸の奥が、熱くなった。


 「……ありがとうございます」


 ヴェルヘルムは小さく頷いた。

 それ以上、何も言わなかった。



 ヴェルヘルムが帰宅すると、マルガレーテが待っていた。


 「あなた……」


 マルガレーテは、ヴェルヘルムの目にこれまでなかった光が宿っていることに気がついた。


 「すまん、少し一人にしてくれ」

 「はい」


 マルガレーテは少し嬉しそうに微笑んだ。


 ヴェルヘルムは24時間時計のある部屋に入り、古いクローゼットを開けた。

 そこには軍服が入っている。


 家族のために脱いだ服だった。

 だが、次は家族のために着ることになるだろう。


 ――完全に盲点だった。


 神託があってから、国内調整、国外調整、発表、報道までの時間を考えれば、平気で一週間程度はかかる。

 逐一情報が入ってくる軍とは違うのだ。

 報道前に獣人族の国にいてもおかしくはない。


 報道前に抜け出せたのは光明か。


 誰しも細耳族の国にいると思い込み、疑っていない。

 この国で最も勇者に詳しいはずの自分が気づかなかったのだから、誰も気がつかないだろう。


 勇者個人と国家の違いは、その圧倒的な人員の差だ。

 本来であれば太刀打ちできないが、今、国家のリソースは全て細耳族の国の状況把握に割かれ、自国は疎かになっている。

 そして、本人たちは気がついているかどうかは不明だが、彼らはその優位点であるフットワークの軽さを最大限に活かして別の国に行こうとしている。


 世界が、獣人族の国に抜けたと気づいた時にはもうそこにはいないだろう。


 まだ、可能性はある。


 ヴェルヘルムは自分が笑っていることに気がついた。


 こんな感覚は何年振りだろうか。


 トウヤに期待している自分がいる。

 理想論など捨ててしまったはずなのに。


 ――私は何も聞いていないし、何もしない。


 何もしないという形で時間を稼ごう。

 軍人として招集されたのなら話は変わるが。


 退役軍人が招集されるのは国家が危機に瀕し、なりふり構っていられない時。

 ある種、国家のプライドとして、私は勇者の知識があるにも関わらず招集がかかっていない。

 それが、足を引っ張ることはよく知っている。

 勇者が転生した今、私の過去の報告書を必死になって読んでいるだろう。


 ヴェルヘルムはいつのまにか手に取っていた軍服を戻しながら、小さく呟いた。


 「お手なみ拝見と行こうか、婿殿。世界は意外に手強いぞ」

ここで一息つけようと思います。


少し間を空けます。

次が最終章の予定。

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