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第二十一話 若き娘の広き度量は賞賛に値しよう。男はその想いに答え、責務を果たすとき

 カラン、カラン、と軽やかな音が部屋に響く。


 目を開けると、壁際の棚に置かれた白い羊を模したキャラクターの時計が、カチ、カチ、と12時間の針で時を刻んでいる。

 ベッドから香るどこか甘酸っぱい匂いと、窓辺に置かれた家畜の世話道具、そして、部屋の壁いっぱいに並べられた本は、この部屋の主人が誰であるかを主張していた。


 ――ああ、そうか。そのまま寝てしまったのか。


 窓の外に目をやると、すでに朝の光が牧場を照らしている。

 そして、エミリアの姿が見えた。

 早朝から家畜の世話をしている。

 昨日あんなに遅くまで起きていたのに、よくやるな、と思いながら――昨夜のことが、鮮明に蘇ってきた。



 エミリアに腕を掴まれ、引きずられるように部屋へ連れ込まれた。

 扉が閉まる音が、妙に重く感じられた。


 一人用のベッド。

 エミリアと、真っ直ぐに向かい合う。

 いや、正確には向かい合わされた、と言うべきか。


 エミリアは深く息を吸い、姿勢を正した。

 そして、胸に手を当てる。


 「トウヤ……様」


 いつもの陽気な口調ではない。

 静かで、けれど確かな声。


 「昨日、知らなかったとはいえ、私を元気付けていただいた立場にもかかわらず、父の言葉を語ったことで貴方様の人格、尊厳を傷つける発言をしたことを、心より深く謝罪いたします」


 「……」


 丁寧で、誠実な言葉。

 それが、深夜の冷たい空気に溶けていく。


 エミリアの目が、ゆっくりと閉じられた。

 そして――一筋の涙が、頬を伝って落ちる。


 目を開いた時、そこには強い意志が宿っていた。

 黄土色の瞳が、揺るがない光を放っている。


 「……トウヤ様の望みは……決して……独りで進められるものではありません。この、エミリア・バウワー、平凡な村娘で至らない点はございますが、微力ながら心得ております。貴方様のお力にはならないでしょうか」


 じっと、目を見られる。


 ――何を求めているかはわかっている。

 その瞳には、昼間のような迷いはない。

 むしろ、覚悟はできているから、早く言え、と黄土色の瞳で訴えている。


 ――答えは決まっているのだろう。


 少し日焼けした茶色い髪の毛と肌に、豊満で筋肉質な身体。

 そこに刻まれた歴史や想いを、受け止めなければならない。

 それを捨ててもらうことになるのだから。


 ――結果はわかっていても、言わないといけないときがある。


 ただ、結果が決まっているからこそ、これが本当に最初で最後だ。

 ここで失敗すると、一生言われることになる。


 ……ただ考えてみて欲しい。

 普通の愛の告白ですら、かなりの精神力を使うのだ。

 そして、失敗が許されないプロポーズが今晩で二回目だということ。


 正直、精神的な疲労でクラクラする。

 視界は霞み、エミリアの顔しか映せていない。


 ――この程度で挫けていては、全ての国を敵に回すことなど不可能か。


 エミリアには本当に申し訳ないが、「早く終わって欲しい」という逃げに入りそうになる自分を叱咤し、必死に頭を巡らせる。


 助けてくれた時のこと。

 どこまでも明るかった表情のこと。

 泣いていた時のこと。

 悩んでいた時のこと。

 そして、全てを知り、全てを受け入れて待っていること。


 俺はエミリアの目を――流れる涙すら厭わず強く光る目に、心意気だけは負けないようその答えを紡ぎ出す。


 「……これから俺は困難な道を進もうとしている。エミリア……俺は、また君を泣かせてしまうかもしれない。それでも、俺は君と家族が笑顔でいられるような世界にしたい。共に同じ道を歩んでくれないだろうか」


 一拍の間。

 エミリアの瞳が、大きく見開かれる。


 「喜んで!」


 エミリアは溢れていた涙を吹き飛ばし、満面の笑みで応えた。


 ただ――次の瞬間。

 涙目になり、押し倒された。


 「もうバカバカバカバカぁ〜〜! 独りで気負いすぎにゃ! わたしが悪かったけど! 私が悪かったけどさ」


 エミリア基準でポカポカと殴られる。


 いや痛い! 死ぬ! まじで死ぬ! 今死ぬとどこに戻るんだっけ? ちょっとやばい!


 「ごめん……ごめん、だから落ち着いて!」

 「うう……」


 エミリアの攻撃は収まった。

 防いでいた腕がジンジンする。エミリアの手は名残惜しそうに俺の腕を撫でる。


 「もうトウヤは独りじゃないにゃ! わたしがいるにゃ! ちゃんと悩んだら相談すること! わかったにゃ!」

 「はい……」


 なぜか説教される流れになる。

 ただ、こういうコミュニケーションは大切だ。


 ただ、エミリアは本当にこれで良かったのだろうか。


 「別にトウヤは気にする必要はないにゃ。わたしは、もともと『いい人』が見つかれば、家を出る気でいたにゃ」

 「そっか」

 「ちなみに、トウヤは話を聞く前は『ギリギリ合格』レベルくらいかにゃ」

 「え? 今は?」

 「ちゃんと家族のことを考えていたから全力で取りに行くレベルにゃ! むしろ、逃がさないからにゃ! 何があっても、全力で支えるからにゃ!」

 「ありがとう」


 自分の中から、無意識に涙が出ていた。


 ――そうか、俺は自分のやっていることを誰かに肯定して欲しかったのか。


 「……トウヤ、辛かったにゃ。大丈夫にゃ、わたしはそばにいるにゃ」


 涙を隠そうとする俺を、エミリアが感極まってぎゅーと抱きしめる。

 骨が軋む音が聞こえる。

 だから痛いって。


 「デイジーのことは、わたしに任せるにゃ。急だから少し驚いているだけにゃ」

 「助かる」


 エミリアは察しが良くて助かる。だから勇者であることを見抜けなかった後悔もあったのだろう。


 「多分、わたしよりもトウヤのことが好きにゃ。……心配しないで、結婚は始まりだからにゃ! わたしはもっとこれからトウヤのことを好きになっていくから大丈夫にゃ!」

 「ありがとう」


 エミリアの結婚観は達観している。

 だからこそ、自分を受け入れてくれたのだろう。


 「でも……」

 「ん?」


 エミリアは少し瞑り、あまり見たことのない、イタズラっぽい笑顔を見せた。


 「今日ぐらいは独占してもいいかにゃ!」

 「え?」


 次の瞬間、唇に柔らかいものが触れ、エミリアに押し倒された。


 ――――――この後の内容はレーティングのため削除されている――――――



 場面は早朝に戻る。


 俺はエミリアを手伝うため、靴を履き、外に出た。


 「エミリア、おはよう」

 「おはよう、トウヤ。もっと寝ててもいいにゃ」

 「そういうわけにもいけないな」


 ――《鑑定》


————————————————

名:エミリア 性:バウワー

性別:女性 種族:獣耳族

MP:39/40

年齢:19

職業:牛飼い

恩恵(ギフト):記憶力

技能(スキル):身体強化lv.3

状態:勇者の母体

————————————————


 それは、呪いか覚悟の証か、聖痕か。

 その身体に刻まれたものがある。


 ――もちろん、そのことはエミリアには伝えてある。

 エミリアとしては、今の状態は妊娠していることとほぼ変わらないという。

 あとは俺の意思次第で、いつでも……ということだからだ。


 恩恵の説明に『子どもを誕生させる』とあるから、おそらく『妊娠せず』生まれてくるのだろう。

 それがどんな方法か見当もつかないが。


 「つわりとかないから楽にゃ」と冗談めいて言っていたが。

 まさに一夜の過ちスキルだが、それで終わらせるつもりはない。


 「もう、家族には家を出ることを伝えるつもりにゃ。今日は準備が必要だから無理だけど、明日には発てるにゃ」

 「……何もかもすまないな」

 「父には『好きに生きろ』と言った責任をとってもらうにゃ!」

 「そうだな!」


 少しヴェルヘルムが可哀想なことになる姿が見えた。


 そして――エミリアは震える俺の手を握り、そっと耳打ちする。


 「トウヤが勇者であることは秘密にするにゃ。ただ、この人を支えたいという気持ちで押し通すにゃ。わたしは望んでトウヤの側にいる。忘れないでにゃ」


 重なった手から伝わる体温が、自分の心の澱みを溶かしていき、静かに交わっていく。

 エミリアの横顔は、その困難な前途にもかかわらず、晴れやかだった。

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