第十九話 黎枝の種が芽吹くとき
――俺は、自分の子どもに、『好きに生きろ』とは言えない。
その言葉が、物置部屋の冷たい空気の中で、確かな形を持って凝固した。
古時計が、カチ、カチ、とセオリアの動力で時を刻む。その音だけが、世界の連続性を証明しているようだった。
気づいてしまった。
五つの国、五つの種族。そのバランスを取るために、子供を作る。
それは、父親の思考ではなかった。どこかの誰かの、都合の良い道具を作るための理屈だった。
俺は、まだ見ぬ我が子を、この世界の秩序を保つための駒としてしか見ていなかった。
国が必要としているのは、俺でも、妻たちでもない。
“勇者の血を引く子ども”――ただそれだけだ。
子どもだけが国に奪われ、都合の良い教育を施され、それぞれの国の道具として育てられる未来。それが、あまりにも容易に想像できた。
何も知らない子どもたちは、国にとって都合がいい。どうとでも染め上げられる。
最悪の未来は、俺の子供たちが、それぞれ別の国の旗を背負い、互いに争うことだ。
◇
転生前のことが頭をよぎる。
同期のことだ。
彼の元嫁が浮気をしていた。
調査の際、俺は彼を金銭的にも精神的にも支えた。できる限りのことをした。
だが、離婚が決まったとき、彼は親権を争わなかった。
気力が尽きていた。知識もなかった。
そして何より――もう、戦う力が残っていなかったのだと思う。
あの時、俺は何を思ったか。
「自分のそばで子どもを育てたいとは思わないのか? 最後まで戦って、親権を確保しろよ!」
そう思ったのではなかったか。
同期の疲れ切った表情を見ながら、心の底で、そう叫んでいたのではなかったか。
それなのに――今の俺は何をしている。
自分の子供を、最初から"取られるもの"として数えている。
手放すことを前提に、"どう使うか"だけを考えている。
それは、親じゃない。
◇
エミリアの家族を思い出す。
バウワー家の食卓。
笑い声と、スープの匂いと、温かい光。
子供たちが笑い、親が見守り、祖父母が優しく言葉をかける。
当たり前の幸せ。
何も特別じゃない、ただの日常。
それが、俺が欲しいものだ。
勇者としての力でも、国の称賛でも、歴史に名を残すことでもない。
ただ――家族と一緒に、朝を迎えて、夜を過ごすこと。
子供たちに「おはよう」と言い、「おやすみ」と言うこと。
泣いたら抱きしめて、笑ったら一緒に笑うこと。
それだけでいい。
けれど、その"当たり前"が、この世界でどれほど難しいかもわかっている。
五カ国すべてが俺を探している。
勇者の血を、誰もが欲している。
俺が"普通の父親"として生きることは、世界が許さない。
体が震えた。
恐怖じゃない。
あまりにも無謀で、あまりにも不可能で、あまりにも愚かだと――わかっているからだ。
ヴィルヘルムの言葉が、再び脳裏をよぎる。
『少なくない血が流れることになるだろう』
それでも。
◇
壁の古い時計が、静かに時を刻む。
窓の外で、風が草を撫でている。
夜は深く、世界はまだ何も知らない。
俺は、声に出した。
震える息と一緒に、心の奥からすくい上げるように。
「俺は、この世界で新しい家族と幸せに暮らしたい」
そして――もう一度、はっきりと。
「たとえそれが、全ての国を敵に回すことになったとしても」
ようやくタイトル回収……
次の章は少し時間をいただきます。




