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第十九話 黎枝の種が芽吹くとき

 ――俺は、自分の子どもに、『好きに生きろ』とは言えない。


 その言葉が、物置部屋の冷たい空気の中で、確かな形を持って凝固した。

 古時計が、カチ、カチ、とセオリアの動力で時を刻む。その音だけが、世界の連続性を証明しているようだった。


 気づいてしまった。

 五つの国、五つの種族。そのバランスを取るために、子供を作る。

 それは、父親の思考ではなかった。どこかの誰かの、都合の良い道具を作るための理屈だった。

 俺は、まだ見ぬ我が子を、この世界の秩序を保つための駒としてしか見ていなかった。


 国が必要としているのは、俺でも、妻たちでもない。

 “勇者の血を引く子ども”――ただそれだけだ。

 子どもだけが国に奪われ、都合の良い教育を施され、それぞれの国の道具として育てられる未来。それが、あまりにも容易に想像できた。

 何も知らない子どもたちは、国にとって都合がいい。どうとでも染め上げられる。

 最悪の未来は、俺の子供たちが、それぞれ別の国の旗を背負い、互いに争うことだ。



 転生前のことが頭をよぎる。

 同期のことだ。


 彼の元嫁が浮気をしていた。

 調査の際、俺は彼を金銭的にも精神的にも支えた。できる限りのことをした。

 だが、離婚が決まったとき、彼は親権を争わなかった。

 気力が尽きていた。知識もなかった。

 そして何より――もう、戦う力が残っていなかったのだと思う。


 あの時、俺は何を思ったか。


 「自分のそばで子どもを育てたいとは思わないのか? 最後まで戦って、親権を確保しろよ!」


 そう思ったのではなかったか。

 同期の疲れ切った表情を見ながら、心の底で、そう叫んでいたのではなかったか。


 それなのに――今の俺は何をしている。

 自分の子供を、最初から"取られるもの"として数えている。

 手放すことを前提に、"どう使うか"だけを考えている。


 それは、親じゃない。



 エミリアの家族を思い出す。

 バウワー家の食卓。

 笑い声と、スープの匂いと、温かい光。


 子供たちが笑い、親が見守り、祖父母が優しく言葉をかける。

 当たり前の幸せ。

 何も特別じゃない、ただの日常。


 それが、俺が欲しいものだ。

 勇者としての力でも、国の称賛でも、歴史に名を残すことでもない。

 ただ――家族と一緒に、朝を迎えて、夜を過ごすこと。


 子供たちに「おはよう」と言い、「おやすみ」と言うこと。

 泣いたら抱きしめて、笑ったら一緒に笑うこと。


 それだけでいい。


 けれど、その"当たり前"が、この世界でどれほど難しいかもわかっている。

 五カ国すべてが俺を探している。

 勇者の血を、誰もが欲している。

 俺が"普通の父親"として生きることは、世界が許さない。


 体が震えた。

 恐怖じゃない。

 あまりにも無謀で、あまりにも不可能で、あまりにも愚かだと――わかっているからだ。

 ヴィルヘルムの言葉が、再び脳裏をよぎる。


 『少なくない血が流れることになるだろう』


 それでも。



 壁の古い時計が、静かに時を刻む。

 窓の外で、風が草を撫でている。

 夜は深く、世界はまだ何も知らない。


 俺は、声に出した。

 震える息と一緒に、心の奥からすくい上げるように。


 「俺は、この世界で新しい家族と幸せに暮らしたい」


 そして――もう一度、はっきりと。


 「たとえそれが、全ての国を敵に回すことになったとしても」

ようやくタイトル回収……


次の章は少し時間をいただきます。

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