第十六話 世界の終わり
エミリアは黙ったまま川辺に座り込んだ。
水音が小さく響いて、風が草を撫でている。
空は白く霞んで、太陽がどこにあるのかすらわからない。
「……父から聞いた話にゃ」
そう言って、エミリアは顔を伏せた。
◇
――私は軍人だった。
それは、エミリアの父、ヴィルヘルムの言葉。
静かな独白のように、エミリアの中で繰り返されている記憶。
ある時、私は極秘の任務を与えられた。
「勇者が魔王に勝てるか、調査せよ」
それは、この世界にとって禁忌に等しい問いだった。
誰もが勇者の救済を信じて疑わない。
その前提を揺るがすことは、社会の基盤そのものを崩す行為に近い。
だが、それは命令だった。
私はあらゆる手段を講じて情報を集めた。
過去の勇者の記録――丸耳族の国に保管された禁書まで。
近年の魔王観察記録――過去数十年から現代までの全てを。
そして導き出された結論――
「勇者は魔王に勝てない」
◇
エミリアは膝を抱えたまま、ゆっくりと続けた。
「理由は単純にゃ。時間が足りないにゃ」
転生した勇者が、前代勇者と同等の強さを持ち、
全盛期の力を一切衰えず維持し続け、
昼夜問わず休むことなく戦い続けたとして――
魔王を倒すまでに、当時で40年。
「でも、勇者も人にゃ。
睡眠も、食事も必要。
体は衰え、心も磨り減る。
そして何より、後の時代になればなるほど、勇者は"弱体化"してるにゃ。
この仮定自体、無意味なのにゃ」
風が草を揺らし、水面が揺れた。
エミリアの耳が小さく伏せられる。
「もう、この世界は滅びるしかないにゃ。
女神を信仰せず、勇者に依存して、
自分たちで問題を解決せず、先送りし続けた結果にゃ」
俺は何も言えなかった。
ただ、草の匂いと、水の音だけがそこにあった。
「父は、そのレポートを提出して軍を辞めたにゃ。
滅びるしかない世界なら、家族と過ごす時間を大切にしたいって」
そして父は、エミリアにこう言ったらしい。
「お前が家族のために家に残ってくれていることは知っている。
だが同時に、お前が外に出たがっていることも、私は知っている。
家やお金のことは私がどうにかする。
だから――」
エミリアは少しだけ笑った。
涙の跡が頬に残ったまま。
「『これからは、好きに生きてくれ』って言われたにゃ」
俺は喉が詰まる感覚を覚えた。
女神の言葉が蘇る。
『魔王が強くなりすぎちゃって…1人送り込んだだけでは対応できなくなったの』
この世界の人間が冷静に分析すれば、当然その結論に達する。
ここは彼らにとってゲームではなく、現実なのだ。
「勇者が前よりもっと強くなることもあるって、反論したにゃ」
エミリアの問いに対する父の答えは、鋭く、冷たかったという。
「『勇者が正常な判断をできると思うか?』」
その言葉が、俺の胸の奥深くに突き刺さった。
「『勇者はこの世界とは別の世界から転生してくる。
この世界の事情など知らない。
都合の良いことを吹き込まれ、我々が敵だと認識されれば、皆殺しにされるだろう。
魔王と共に』」
「『勇者を先に確保できなかった時点で、終わりなのだ。
細耳族の国の歴史はよく知っているだろう?』」
喉が渇く。心臓が跳ねる。冷や汗が垂れる。
それは、この物語の――別の世界線。
ただ与えられるだけの情報を信じたーーー一つの可能性。
今は違うと頭の中で否定しつつ、容赦のない言葉に俺は何も言えなくなった。
◇
「勇者がいい人で、みんな助けてくれるってしてくれれば、きっと大丈夫にゃ」
エミリアの声は震えていた。
「『無理だな。
一つの大きな力は人の欲を呼ぶ。
国家間の力のバランスは崩れ、少なくない血が流れることになるだろう』」
エミリアが黙り込む。
ヴィルヘルムは、わずかに――ほんのわずかに、可能性を口にしたらしい。
報告書の最後の一文。
「『ただ、万が一――
勇者が全ての国に平等に力を与え、
全ての国を束ねて魔王に立ち向かうのであれば、
可能性があるかもしれない』」
「『ただそれは、この世界の住人ではなかった勇者にとって、極めて困難な道であり』」
「『よほど強い志がないとできないだろう』」
「『そんな人間が転生する可能性は限りなく低い』」
「『そんな不確定な要素は、私の作戦には組み込めない』」
◇
「私はどうしたらいいのかわかんないにゃ」
エミリアが泣いている。
俺はしばらく黙っていた。黙るしかなかった。
けれど、やがて口を開く。
「……やってやるさ、やってやるとも。俺がなんとかする」
ただ、それだけを、捻り出す。
「……嘘でもそう言ってくれるとありがたいにゃ」
エミリアは少しすっきりとした顔をした。
それから、また色々な話をした。
エミリアの学校のこと、街のこと。
一通り話して、街に一緒に買い出しに行くことにした。
◇
歩きながら、頭の中であの言葉が何度もよみがえる。
『ただそれは、この世界の住人ではなかった勇者にとって、極めて困難な道であり』
『よほど強い志がないとできないだろう』
わかっている。
ストックはここまでです(汗
あと数話は早めに公開したい…




