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第十五話 世界の景色

 朝、静かな淡い色の光で目が覚めた。

 窓の外は乾いた風と、小さな鳥の声がいくつも重なっている。

 今日は昨日よりも冷たく、けれどどこか目にしみる明るさがあった。


 隣の寝台で、デイジーがわずかに身じろぎをした。

 目を細め、誰かを探すようにまばたきを繰り返す。

 声はまだ出せないが、その表情が家族を安心させた。

 賑やかな朝食も、今日はどこか静かだ。


 けれどエミリアだけは、黙ったまま牛乳の入った瓶を見つめていた。



 朝食が終わると、エミリアの母が俺の袖を小さく引いた。

 振り向くと、家族に聞こえないくらいの声で、「エミリア、買い出し行くから一緒に。……家族よりも、他人の方が話せることもあるでしょ」と囁く。


 なるほど、と頷いた。

 相変わらず遠い視線のままエミリアは立ち上がり、玄関を開けた。

 俺も黙って靴を履き、後を追う。

 雲は低い。草の匂いが濃い。

 歩くたび、昨日の泥が乾いて爪の間をかすかにざらつかせた。


 道すがら、人の気配はほとんどない。

 車の走る音、向こうの家で誰かが木を割る音、時々すれ違う近所の老婦。

 牛車や馬車は見当たらない。この村には動物を動力にする車はないらしい。

 エミリアの耳が時折わずかに動きはするが、その瞳は地面を見たまま。


 「何かあったのか?」


 そう切り出すと、彼女はわずかに首を振るだけだった。

 しばらくして、「街の女学校、通ってたんだよにゃ」と低く笑う。

 猫耳が風に揺れる。

 「高等女学校ってやつにゃ。先生には"手伝いをしすぎる"って怒られたにゃ。でも、勉強は好きだったにゃ」


 俺はポケットから昨日もらったメモ帳を出した。

 「……実は最近、物忘れが多くて。生活もちょっと、よく覚えていない」

 記憶喪失とも言えず、そのまま日差しを見上げる。

 「この世界のこと、ちゃんと知っておきたい」


 エミリアの足取りがほんの少し軽くなった気がした。



 「セオリアって――何?」


 足を止めて振り返る。

 「燃料にゃ」

 「いや、そうじゃなくて」

 「知ってるにゃ。これは、百五十年前、魔王が討伐された後で生まれたものにゃ」


 そこから始まる話は、長いけれどどこか童話のようでもあった。



 百五十年ほど前、魔王が討伐。

 その後、勇者によって討たれた魔王の"魔石"は丸耳族の国が独占した。

 "魔王の魔石"は、数十年分の国家予算にも相当。

 丸耳族は技術を総動員して魔石を細かく砕き、性質ごとに圧縮して「セオリア」を開発。

 こうして性能の均一化、大量生産、共通格納庫の発明――ここから始まった産業の飛躍を「第二次魔石産業革命」と呼ぶ。


 「第二次? 第一次があるのか?」


 「第一次は三つの神器にゃ。

  それは大昔、古い神殿から見つかったものらしいにゃ。

  一つ目は魔石から"光"を生むもの。

  二つ目は"熱"。

  三つ目は"回転"。

  全て、今の産業の基礎にゃ」


 なるほど、と納得する。

 燃料から直接、動力――車もランプも静かな理由が、不思議なほど腑に落ちた。


 「話が逸れたにゃ」

 エミリアが息をつく。


 「昔は、魔石をそのまま燃料にしてたにゃ。その時に魔石を詰め込む場所を"魔石格納庫"って呼んでたにゃ。大きければ大きいほど燃料がたくさん入るから、用途で大きさがバラバラだったにゃ。でも、セオリアが生まれてからは共通化されて、今じゃ誰も"魔石格納庫"なんて言葉すら使わないにゃ」


 「なるほど……それで、セオリア開発以降はどうなった?」


 「で、丸耳族はセオリア技術を持って細耳族の国に攻め込んだにゃ」


 戦いは苛烈だった。細耳族は他国に援助を求め、四国連合軍と丸耳族の戦争が三年続く。

 最後に決着をつけたのは、その時代の勇者。

 「勇者は細耳族の女性が好きで、その人の故郷が荒らされて激怒したにゃ。

  それで連合軍に味方して、一撃で戦争が終わったらしいにゃ」


 戦後、成立した五カ国条約。

 ・異種族の奴隷禁止

 ・他国への侵攻禁止

 ・勇者独占禁止、魔王討伐魔石配分の協議制

 ・貢献度は話し合い――

 (後に航空機の発明で領空侵犯禁止が追加)


 「条文は勇者の趣味がだいぶ入ってるにゃ。あと、丸耳族には細耳族のインフラ整備用の重い賠償金と、"セオリア生成技術の公開"が命じられたにゃ」


 細耳族の国はインフラを作る技術がなく、結局は鬼人族が設計、獣人族・竜人族が整備を担当。

 「細耳族は、その後とてもきれいな街道や建物を持つようになったにゃ。他民族との交流の中で個別主義が浸透し、全体主義から個別主義に変わった、と本には載ってるにゃ

 細耳族も近代国家の道を歩み始めて、めでたしめでたし、と言うところにゃ」

「……えげつないな」

 名目上は細耳族への賠償金だが、他国が利益を得る構造になっている。

 細耳族は賠償金による恩恵を十分に受けられず、貧しいままだ。

 ふと、細耳族の国で寄った宿場町を思い出す。

 古い街並みでどこか幻想的だったが、身も蓋もない言い方をすれば、

 建物を建て替えるだけの経済力がないだけなのかもしれない。


 「ちなみに、戦争の少し前に丸耳族は鬼人族と不可侵条約を結んでたにゃ。戦時中は後方支援だけだったみたいにゃ。

 なので、一番得をしたのは鬼人族と言われてるにゃ」


 「不可侵条約? 丸耳族と鬼人族って隣の国なのか? 細耳族じゃなくて?」

 少し混乱した。話を聞いていても国の位置関係が掴みきれない。


 エミリアは人差し指で空を描く。

 「この大陸は円になってるにゃ。北から時計回りに、竜人族、獣人族、細耳族、丸耳族、鬼人族の順。だから丸耳族と鬼人族は隣り合ってるにゃ。そして内側は海、その真ん中に……魔王の島があるにゃ」


 その瞬間、記憶の片隅でかすかに女神の言葉がよみがえった。

 ――環の箱庭。

 この世界は、確かに"環"だった。


 その言葉が出ると、エミリアの影が少しだけ強くなった。



 足を止め、エミリアは誰もいない川辺に目を向ける。

 「ここからは、秘密にゃ。独り言にゃ」


 しばらく黙ったあと、低い声で呟いた。


 「この世界は……もう終わりにゃ」


 それきり何も言わず、水音だけが風に混じって流れていた。

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