第十三話 死闘
また、白の中だった。
音も風もない。時間の輪郭が欠けたような空間。
『大丈夫! 最初に作った時より弱体化させたから! パターンを掴めば勝てるの!』
(……お前が作ったのかよ)
皮肉のように思考が舞った。
体が描き直されていく。
光が絡まり、皮膚が、呼吸が、形になる。
そして、世界が戻る。
◇
森の匂いが急に濃くなった。
湿った土の感触。焼け焦げた木材の匂いが鼻を刺す。
小屋の中では、デイジーが倒れていた。
彼女の肩口から血が滲み続けている。乾くほどの時間は経っていない。
(世界は止まってない。俺だけが作り直されたのか……)
掌を見る。
縄の跡も消えた綺麗な手。
消えた腕の痛み。
不死の権能――それは、死を超える力なんかじゃない。
死んだ俺の体を再構成するだけの仕組み。世界はそのまま進み続ける。
《鑑定》。
視線を定めると微かな熱。
MP:6 → 5
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HP:262
状態:理行動中 第3段階
スキル:影喰いLv.7/理反転Lv.5/不在の一撃 Lv.3
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(やっぱり進化してる……俺が死んでる間、時間は動いてた)
風も音もない森。
すでに、生きている盗賊の姿はない。
奥に沈む影が見えた。
黒曜の輪郭がゆっくりと揺れる。
音のない低周波のような圧が、肺を押しつぶしてくる。
デイジーの方にその影が動く。
俺は咄嗟に近くの木片を投げた。
黄色い眼がこちらに向いた。
◇
何度か死んで分かった。
黒曜のベリウスのスキルは以下の特性がある。
影喰い:黒曜のベリウスの影が伸び、自分の影が食われると動けなくなる。影に気をつければ避けるのは容易。
理反転:黒曜のベリウスの周囲の色が反転する。黒曜のベリウスは動かないが、攻撃すると自分にダメージが入る。攻撃をしなければ影響はない。
不在の一撃:視認できない攻撃。発動前のモーションが独特で、タイミングを盗めば回避は可能。
注視していれば避けられるが、頻繁に影に消えるため、運が悪いと死ぬ。
ただ、このままではジリ貧だ。
俺は囮になるように、森の奥へ足を進めた。
視界の端に盗賊の死体とナイフを捕らえる。
「セーブ」
『セーブしました』
泥が靴底から冷たく染みてくる。
息を合わせるように、空気が緊張した。
胸を焼かれる感覚とともに、体が途切れた。
◇
視界が赤に変わる。
そこは、今までと違った空間だった。
赤い光と、静止した空気の中に、二つの月が浮かんでいる。
一つは白く、もう一つは鮮血のような赤。
互いの光を溶かし合うように、無風の世界で並んでいる。
(……何だここは)
胸の傷は消え、光が体を満たす。
だが、体温も鼓動も感じない。
言葉のない赤の世界。
次の瞬間、白に覆われ音もなく消えた。
◇
再生。
場所は元の森、時間は進んだまま。
黒曜のベリウスが、こちらを向いている。
(……一瞬、何かを見た。あれは夢か、仕組みか)
体から力が戻る。
息を整え、ナイフを拾い逆手で構える。
理反転に乗じて踏み込む。
理反転が切れたタイミングで、すれ違いざまに脇腹にナイフを刺した。
鈍い感覚が手に伝わる。
《鑑定》。
MP:5 → 4
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HP:259
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たった3のダメージ。
それが、この世界に来て初めての一撃だった。
大きな一歩だ。
影が消える。
視線を巡らし、姿を探す。
ーーー少し離れた背後の森の中。
横に回り込み、影食いを避けながら、間合いを詰めていく。
間合に入ると、不在の一撃のモーション。
冷静にタイミングを見計らい、間一髪で回避して無防備な脇腹にナイフを刺す。
冷静に対応すればいける---
確かな手応えを感じた。
影が消える。
次は目の前に影が現れ、すぐに不在の一撃のモーションが始まる。
こちらはまだ体勢が整っていない。
「しまっーーー」
そして――また、闇の中。
俺の体が再構成されていく。
空間が弾け、光が外へと流れた。
現実へ戻る。
予想通りナイフはまだ手の中にあった。
服と同じ扱いなのだろう。
「これを繰り返すのか……」
これから始まる攻略作業にうんざりしながら、影に向かっていった。
何度死んだかわからなくなる頃ーーー
最後の一撃が影の脇腹に突き刺さる。
黒曜の体が崩れ、空中で細かく砕けていく。
残ったのは、掌に収まる黒い石だけだった。
表面は冷たく、光は一切ない。
《鑑定》。
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魔石:魔獣を倒すと手に入る結晶。
エネルギー源になる。
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「……これが、魔石……か」
元の世界にはない言葉を、確かめるように呟いた。
***
視界の端で、デイジーがうっすらと動いた。
まだ意識は戻らない。息だけは浅く続いている。
俺は膝をつき、彼女の肩に手を当てた。
「……もう大丈夫、だと思う」
森は静かだった。
風も、鳥も、戻らない。
セオリアを積んだ車が傍にある。
鍵を捻るとわずかに振動した。
まだ、動きそうだ。
***
デイジーを抱えて、車の中へ運び込む。
置いてあったセオリアを押し込み、エンジンをかけた。
唸るような音だけが森に響く。
車はゆっくりと動いた。
道は暗く、車灯は壊れていて、何も見えない。
枝の影を拾い損ね、何度かハンドルを切る。
同じ場所をぐるりと回っているような錯覚。
(……道、間違えてるな)
それでももう止まれなかった。
方向感覚だけを頼りに、森の外を探す。
しばらく進むと、草木が薄れ、風が少し吹いた。
森の端、夜が揺れる。
車が止まった。
空はわずかに明るんでいた。
二つの月が、並んで白金色に霞んでいる。
世界が静かだ。
「……もう少しだけだ、デイジー」
彼女を背負って数歩進む。
地面が軋み、足裏の感覚が遠のく。
車のハンドルに残っていた黒い石を、俺は手に握り直した。
指の温度が次第に消えていく。
「……きれいだな」
呟いたあと、視界の端で二つの月が重なり、
世界がゆっくりと白へ溶けた。




