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 2068年11月14日10時23分、鶯谷は谷中氏に呼ばれて上野駅の駅長室にいた。

 わざわざ日暮里駅を避けて上野駅に呼ばれたことに谷中氏の思惑を感じたが、鶯谷は黙っていた。自分がもしも谷中氏の立場であったら、崩落の危機を抱えた駅になど、たしかに近寄りたくもない。

 谷中氏はのっけから上機嫌で、鶯谷の肩を気安くたたいた。

「聞いたよ、ききましたよ、K成憲章で暴徒を黙らせたんだって?」

「あれは、意図したことではなくて」

「いいのいいの、結果よければすべてよし、お手柄だねえ、君を抜擢した私の目に狂いはなかったわけだ」

 いくつかの文句が喉元まで付きあがってきたが、鶯谷はそれを言葉にすることはなかった。ただあいまいに笑って頭をさげて。

 谷中氏は笑顔は崩さず、だが声音はいくぶんひそめて鶯谷に囁いた。

「ところで鶯谷くん、政府が正式に日暮里沈没の発表会見を開いたの、知ってる?」

「あ、はい、テレビで見ました」

「そう、ならばいいんだけどね、これで日暮里駅の利用者はがっくりと減るだろうね」

「そうですね、いっそ、ウチも日暮里駅を早急に廃しますか?」

「そうじゃないのよ、鶯谷くん、君を呼んだのはその逆なのよ」

 谷中氏は急に真顔になって、鶯谷をまっすぐに見つめた。

「日暮里が沈むその日まで、我がK成電鉄は電車を止めない」

「しかし、それでは駅員たちの安全が……」

「わかってる、それはわかってるのよ、でもね、考えてごらんなさいよ、日暮里の街にはまだ住民が残っているでしょ、なのに、その住民の足である鉄道会社が真っ先に逃げ出してどうするのよ、日暮里民たちはどうやって避難すればいいわけ?」

 鶯谷は谷中氏をじっと見つめ返した。彼の真顔が崩れることはなく、その瞳には一点の曇りもなかった。

「なるほど、鉄道マンとしてのプライドということですか」

 鶯谷が尋ねると、谷中氏は深く頷いた。

「ジェエアールは自分たちが住民の足であるという職業倫理を金で売った、だけど、我がK成電鉄は、金などでは走らない、電車ってのはね、ハートで走るもんだよ」

 鶯谷は初めて、谷中氏が信用に足る人物であると心の底から思った。

「わかりました、ただし条件があります。最後まで駅に残るのは私と、千駄木運転手のみにしてください、あとの駅員は段階的に順を追って避難してもらいます」

 谷中氏の表情に笑みが戻った。

「いいよいいよ、現場のことは君に一任するから、好きにしてちょうだい、こちらとしては日暮里沈没のその日まで電車が止まることなく走るなら、なにも文句はないよ」

 その後で、谷中氏はポツリとつぶやいた。

「すまないね、こんな年寄りの意地につき合わせちゃって」

 いや、それはあなただけの意地ではない――鶯谷はそう思った。

 意地ならば鶯谷にだってある。最後まで駅舎に残る相棒として千駄木運転手を選んだのは、彼が性格は軽くても運転技術は確かであるからだ。もしも最後に崩れ落ちる駅舎から脱出することになっても、彼ならば必ずその任を果たしてくれることだろう。鶯谷自身も、ギリギリのその時まで電車を止めるつもりは無い。

 それは、かつて関東圏最強の名を冠していた鉄道会社としての意地でもある。K成電鉄そのものの意地だ。

 狂気じみている、と鶯谷は思った。

 日暮里が沈むことを知りながら電車を止めない谷中氏も、その谷中氏に同調する自分も。

 この狂気ある限りK成線は止まらない。日暮里という街が消えるその日まで――


 政府から日暮里沈没の正式な報があってから三日間、日暮里からの乗客が増えた。日暮里の外に実家や親戚のあるものたちが、まずは我先にと日暮里から逃げ出したのだ。

 朝一番で日暮里駅に押しかけた客は駅舎の外まで溢れ、上野へ向かう電車はラッシュアワー以上に混雑した。

 通勤にK成線を使う客は、逆にほとんど居なくなった。成田から青砥までの区間、車内には数えるほどの客しか乗っていない。その乗客も船橋まで出てジェエアールに乗り換えるか、青砥で下りて日暮里を迂回するか……かつてなら肩を動かすのも憚られるほど混みあっていたラッシュアワーでさえ、乗車率2%をこえることはない。今や、K成電車は、走らせれば走らせるほど負債の出る鉄の空箱と化した。

 そして日暮里の町も住人の大半を失い、人もまばらなゴーストタウンと化した。

 日暮里の街を歩けば、かつて繊維街として有名だった中央通りの商店街は軒並みシャッターを下ろし、歩道には粗大ごみが無造作に打ち捨てられ、その隙間に回収されなくなった一般ごみの袋が突っ込んであるという荒れ果てたありさま――しかし日暮里には、まだ二千余人の住人がとどまっていた。

 理由は地価の暴落だ。政府が日暮里沈没を正式に発表して以来、日暮里駅近隣の地価は下がり続け、ついにはゼロになってしまった。日本中どんな荒れ地であろうと、また未整備の原野であろうとも地価は必ずあるものだというのに、これは異常だ。

 日暮里の外に身寄りを持たない者たちは引っ越しのための資金さえままならず、この日暮里に閉じ込められる形となってしまった。

 日本政府はこの事態を重く受け止め、日暮里に残された二千余人のために仮設住宅を提供することを決定した。それが2068年11月23日のこと。

 しかしここまで日暮里に残った人たちは代々日暮里で暮らしてきた生粋の日暮里人であり、街への愛着もひとしおではない。どうせなら日暮里が沈むギリギリまでこの街にとどまりたいと願うものも多く、避難計画は難航を極めた。

 そんな中、所田教授による日暮里沈没の予測データが発表された、そのXデーは2068年12月14日――その日、この日暮里は消える。

 このデータをもとに政府は日暮里からの強制退去の期限を12月06日までとした。これを受けて腰の重かった日暮里民たちも一人、また一人と日暮里からの退去を始めた。

 しかし、どこにでも頑固者というのはいるものである。


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