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だがそういう第二人類たちの芝居の幕はあっさり下ろされることになる。
―――狙撃する声。
救援者は―――全身黒のレザーを着た豹のような印象の女性・・・・・・。
強行突破という暴走機関車の選択。状況分析シークエンス開始。
顔面構成要素分析、人数確認、良好。
―――作戦指示なし。殲滅対象なし。
「いいこと言うじゃない」
笑い顔でほのめかされる、非日常感。
氷のように音もなく、心の中に入りこんでくる、格子。
それが幻のように美しく彩って、人の心を捉える―――。
(何処から入った―――)と瞬きをし、超能力で攻撃をしようとする野球帽。
(一人なのか・・・・・・)とリーダー格の縁無し帽子。
しかし五人が、違和感を覚えている―――空回りする感覚・・・。
―――気配察知できなかったことから連想させる、予想。
彼女は、いきなり笑い声をあげた。
一瞬、全員の眼が点になる。
油断とはどういうことだろう。
油断とは、一瞬の間をつくりだすことにほかならない。
油断させたあとの速攻。勢いよく踏みしめる靴の音。
ハッと事態を察知した時には、彼女の手によって地面に叩き伏せられていた。低くこもったような、打撃音の異なる領域の重さ。そこにもやはり、超能力のような加算があるのだろう。瞬発力―――筋力値の向上。加速。増幅。きっと、ゲームやアニメだったら、その攻撃は金色とかアンティークゴールドで表示されるだろう。みじめなほど、相手が違ったとしか言えない。
こういうのを『蛇に睨まれた蛙』というのだろうか。
いや、たとえるなら、ジュラ紀に棲息した剣竜を相手にしているような格の違い。その肉体の躍動感は、野生回帰とでもいえる別次元のものだった。スピードを伴った回し蹴り―――鳩尾への狙い澄ました正確な攻撃、音もなく振りおろされるギロチンのような背中への踵落とし・・・進行方向にキラキラと張り巡らされた無数の糸でもあるような、流麗な動き。悪魔祓い。
―――圧倒的な強さによる鎮圧。
そして五人の顔は月面のクレーターのように変わり果てている。僕は僕で、ガリバーが小人の世界を彷徨ったような巨人の気持ちを想像している。ペパーミントの後味・・・それにしても僕はこんなにも冷たく笑える女性を初めて見た、それでいて恍惚を阻む醒めた光の眼だ。
まるで防犯用のCCTVカメラでも睨いている気持ちにさせられた。
一瞬眼があった。そのすずしい眼元がニコリとしたような気がした。
射抜かれる、とはこのことだろうか。
―――それがまた、宙返りをしてみせた小鳥のような印象で。
「あんた達、運がいいよ。ユウト君がトラウマになる恐れというものがなかったら、全身切り刻んで、ちんすこうを標本に入れているところ」
ぎょっとした。
もしかしたら僕はぎょっとしただけに魚の顔になっているのではないか。
魚人伝説。
それはねえよ。
というか、いま、普通にこの人、シモネタ言わなかったか・・?
「・・・・・・」
アメリカ人のオーバーリアクションをする。
まさか、そんなことあるわけない。
多分、ちんすこうという施設のスラングみたいなものがあるのだろう。
それにしても、なんて魅力的なんだろう。その吸引力は、一秒刻みで、僕を引き寄せる。いやだが、こういうシチュエーションなら、やむをえないかも知れない。吊り橋効果、電光石火の早業、圧倒的な強さ。苺のような唇をゼリーみたいに一瞬ぷるんとさせてから、
「はじめまして、ユウト君、あたしはサラよ」
こんな場面だというのに、近寄って、彼女は握手を求めてくる。
僕は促されるまま、―――した。
今しがた、五人を殴り倒したとは思われない―――。
小さな―――繊細な、きれいな、手。
「サラさん・・・・・・」
「サラでいいわよ」
ブルーターコイズの髪を掻きあげながら、そう言った。
サラは抜群の八頭身で、モデル体型のいわずもがなスレンダーで、夏の暑い日の催眠爆弾のような破壊力を持っていた。画面輝度と画の鮮明さの両立。豊潤で、複雑で、神秘的な本質を失わずに伝える性能を持っていた。それは帆に刺青のある船みたいなものだった。
肆しいまま美しい眺めが照らし出されている。だからだろうか、眼や耳や鼻やそして咽喉の中に、視線が迷い込んでしまう。魅せられ、心を動かされ、気が付くとサラの表情を追っている自分に気付く。でもかぶりを振って、冷静に考える。
「何をしたんですか?」
一瞬、眼の表情を読み取ったような気がした。
「一緒よ。彼等がロボットにそうしたように、わたしも、彼等に超能力が使えなくなる特殊な電波を聞かせた。鼠は鼠らしく、下水道でホモっていればいいのよ」
というか、いま、この人、サラだけに、サラッと問題発言しなかったか・・・?
いやさすがに、―――二度目はないな。
でも、もしかしたら第二人類の欠点は男性しかいない、ということなのかも知れない。でも超能力を使えなくなる特殊な電波というのを解釈すると、もしかしたら実験動物のような意味合いでもあるのかも知れない。人体実験―――未来が心温まる世界だと思い込むのは幼稚すぎる。
「まあ、抜け出せない生活の憎悪を何かに託したくなるという心理もわかるわね。でも、誰も差別も迫害もしていない。勝手に絡んでくるヤクザみたいなものよ。すごく迷惑してる」
自由放任的な立ち位置らしい。
常識という絆創膏をむしり取ろうとしているようにも見えた。挨拶したあと、二足歩行型のロボットが、突入してきた。そして、おそらく超能力が使えなくなる装置付の手錠を掛け、連行していった後、どうも僕が心配そうに見ているのを気にしたらしく、
「まあ、彼等は拘束具をはめて檻の中に入れるから安心して」と言った。
人質の救出、そして犯人たちの生け捕りという最高方針。
それは僕に冬の蒼白い病院の通路の真ん中にいるような気持ちにさせた。
「そうですか」
―――眼には眼を、暴力に暴力を、というのは仕方ないことだ。必要性や、急迫性というシチュエーションはあると思うけど、必要最低限であればいいとも思う。でもそれはやはり理想論なのだろうという気もしながら・・・。
*
何が『常識』で―――。
そして何が『非常識』であるかは時として区別がつかな―――い・・。
*
「それより、帰らなくちゃね」
どうやら彼女がエスコートしてくれるようだ。どうも地下通路らしく、それは施設の裏の顔とでもいえるべきものらしい。
しかし、サラの態度が明らかにおかしい。
最初こそ、クールでカッコいい二枚目のお姉さんという路線だったが、次第にブレ始め、ものの数分でボディタッチが多くなった。
肩や背中、肘やお尻に触ってきた―――。
もちろん、最初は気のせいかなと思った。自意識過剰だよ、と。
満員電車で美人の女性が男性に痴漢をして嫌がる男などいるものか、というのは極論すぎるとしても、四十代のおばさんならいざ知らず、いやもちろんそういう熟れた女たちが好きな男性もいるとは思うが、―――実際それが偶然とか、何かの間違いだという感じが出てくるのだ。空港の検査場で美女が麻薬を持っていても気付かないというのは極論すぎるとしても。
心理学的には、積極的にボディタッチをして親密な関係を醸成し、相手の視線の中に入り眼を合わせることを繰り返すうちに親密になる、ということは知っていた。そういう延長線上なのかな、と。といって、僕は戸惑いしか思えなかったが。
だが、助けられた手前もあるし、どうしてこんな美人がという気持ちもある。でも友好的なロボットよろしく、彼女も友好的ということなのだろう。
―――しかし、それは好意のプロセスの兆しである。
*
距離感を把握するためには平面鏡を。
広い視認性を得るために凸面鏡を。
世界中の風景・情景を1/87スケールで再現しているジオラマテーマパークでもあったらいいな、と思う。 (Miniatur Wunderland Hamburg GmbH )
ダンスとダンスの間にインターバルを挟め・・・・・・。
*
でもそこから、エスカレートしていき、やたらと僕のことを「発情期のオス」だとか、「繊細の欠片もない肉慾の奴隷」だとか滅茶苦茶なことを言い始めた。会話の陽動戦術―――それは天使のふりをしたモーツアルトの挨拶という風にも思えた。しずかに僕の弱点を探っていく・・・。
しかしそういう電気ショックは、コミュニケーションの基本がユーモアであることを改めて思い出させてくれた。
しかし、あろうことか、である。
「この先のぼると、先程のところに出るわ」
―――校舎が見えるということか。
地下室から地上へと続く階段部。その手摺りにサラが手を掛けた時だった。おもむろ立ち止まり、お尻を向けて何かなまめかしく挑発的に僕の股間に突きだしてくる。そして臀部を、犬みたいに振ってくる。
時の支配する―――長く大いなる沈黙。
一瞬ふざけているのかなと思ったが、サラは大真面目である。
口許のはしは、水蜜桃からしたたり落ちる甘い滴・・・。
「ここだけの話、早くやっちゃってよ。
後ろにファスナーがあるからすぐ、下ろせるでしょ。」
心の異常な軽やかさ―――。
は・・・?
不意をつかれた僕は目が点になる。
「な、なっ、何言ってるんですか?」
「何って、この人ちょっとカッコいいなと思ったんでしょ」
それは否定しない―――でも、いまは、否定し始めている、すごく、猛烈に、何故だか、急激に。幻滅はしない、でも、痛いな、とは思う。
「よくあることよ、カッコいい女性を、下劣に後ろから改造ドリルをねじりこんで亡命地域に贐のボヘミアンラプソディしてやりたいと思うことはね。それで、どうせガバガバなんだろ言うのよ、濡れてんだろ、欲しがりなんだろ、ダブルピースなんだろ、愛なんて囁けるかいいからしゃぶれよ、そういうことでしょ?」
―――この人・・・・・・。
―――色んな意味で・・・ヤヴァイ・・・。
サラはそのあとも嬉々として、男性の反応について語り続ける。
彼女は散々扇情的なことを喚き散らしながら、段々気持ちよくなってきたのだろうか、ついには、ハァハァ・・・はあはあ・・・とキメてきて・・・、頬を紅潮させ・・、あたかも乱暴された感満載の出来立てほやほや湯上り美女の出来上がり。
野球の審判に来てほしいよ、そして言って欲しい、アウト(笑)
某ネット掲示板より、明け透けである。独善的狂気のアップダウンは続く、暗闇の後の轟音―――。しかし、女性の悪意のない、むしろエロティックな深みさえも感じさせない軽口に少し楽しくなっている自分がいた。不思議なものである。それはもしかしたら、画家の変な絵を見て共感するような心理かも知れない。それは妄想である。人の夢に侵入する奇想天外な展開の夢物語。
*
悪夢のような脅迫的な灰色の腸には、ガイドレールや、バネや油圧ダンパーがついた緩衝器が見え、非常止め装置がある。それは機械いじりの抜け殻とがらくたの中間のように存在している。
*
そういえば、どんな世界もそうであるが、プロというかマニアというのがいるが、AVを観るという人にもそういうのがいる。年間千本以上AVを視聴すると聞いて、多くの人はどう思うだろう。この人、ガチで頭大丈夫かな、病気と違うかな、と思う。ネット廃人、エロゲ廃人。いや、それ間違いなくアダルトビデオ廃人である。ネトゲ廃人シュプレヒコールを歌うしかない、
そうでなければ、こりん星へ連れていってやるしかないだろう―――。
もうナニが、『針金のたわし』のようになっているんじゃないかとさえ思う。あるいはもはや、『漆黒のうろこを持った蛇男』になっているのではなかろうかと思う。でも演説をしろというなら、なになにひとつ、峠越えてみようか。
「本品は、多量摂取により疾病が治癒したり、
より健康が増進するものではありません。
一日の摂取目安量を守って正しく―――察しろ・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/」
*
長く見つめていると、シンメトリーの構図になっていくように感じる。
魚眼レンズ。そして。
チェレスタの透き通るような音色を活かした不気味な雰囲気が特徴のくるみ割り人形。ジョン・ケージ『四分三三秒』や、ジョン・スタンプの『妖精のエアと死のワルツ』
その経過を通して、眼を見開いて、休息状態に入る。そして。
―――モーリス・ルイスのデルタ・ミュー。
*
選択肢は以下からお選び下さい。
〔A〕あなたはパッパッパッパラパッパと叫んで彼女を笑わせる
〔B〕あなたはとりあえず黒光りした股間の宝刀を抜いてみる
*
選択肢は無限に続いていく。
〔A〕「それは下の口だけですか? 上の口でもいいんですよ」
〔B〕「世の中には、腋とか、膝とかのプレイもあるんですよ」
〔C〕「差し出すなら、耳の穴がいいね」
*
だが、それはそれ、これはこれである。音響心理評価実験みたいな、呼吸の音がしていた。それは急激に向きを変えたように思われた。そこには完璧なサークルがあり、内部統制システムがある。失くした旗のような額―――。
明日にはエアロゾルだとか透明人間にだってなっているかも知れない。
(真っ暗闇の中で、郊外の、家屋のうちのひとつだけ・・・、)
(あかりがともっているような、サイコロ状の空間・・・・・・)
そしてそれは、地下から湧いて出てきた蛇の子供みたいだった。
僕はゆっくりサラに近付いて申し訳なさそうに言った。
それがせめてもの武士の情けというものだろう。
「―――いや、普通にないです」