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捕まっている、という状態というのはやはり経験不足のたまものだという気がする。アルカトラズから脱出した、フランク・モリスを不意にうらやましく想像する。白鳥由栄は針金で手製の鍵を作る。
僕は思春期の時分みたいに紅潮していた。
雷のせいさ、と誰かが言った。
嵐が来るのさ、と誰かが言った。
いいね、―――イイネって言え。そして、弦楽器やホルンの練習が始まって、もう一方では、ハンマーとのこぎりの音が聞こえてくる。
(困った時、何故眠たくなってしまうのだろ―――う・・・・・・・)
(黒や、オリーヴ、鳶色、そして金色へとうつりかわる瞳)
そんな風に、降霊術のようなシーン。
彼等の超能力は僕を地面へと、言葉のねじれのようにゆっくり下ろした。
浮かんでいる間、身動きできなかった僕は手足が動くのを確認した。
「おとなしくしてろ」
五人は別室に監禁したり、ロープでくくったりはしなかった、監視下に置いておけば抵抗する気も起きないだろうという判断のようだった。あるいは、何かをするために今しばらくの猶予が必要なのかも知れない。ふとした思考のはずみから、拉致するのが趣味という人間を想像してみたが、そんな奴はいるはずもない。そこにはやっぱり何らかの人間的欲望が介在する。
しかし超能力によって植え付けられた立場においては、自然な、突拍子もない飛躍を内包する。
ずうい、と、縁無し帽子の男が僕の前に立った。
どうも彼は、この五人の中のリーダー格らしい。
半端ない圧力だ。人質を手に入れたら、傲慢な態度にでも出たくなるに違いない。そういうところが既に、三下度数―――やられキャラの王道度が高いが。しかし僕は初めて彼等から声明を聞いた。
「立場上のこともあるが、俺達は第二人類だ」
―――第二人類、という言葉をピックアップする。
[新人類]や、[超人類]という意味合いなのだろう。それとも、第二というところに、彼等のアイデンティティとか、ネーミング・センスがあるのだろうか。部屋の隅にある埃をかぶった地球儀が前時代的だと言っていた。
突然の事態にアタフタして当然だが、ここは毅然として、状況を見定めなくてはいけない。どうやらいきなり殺すというようなアクシデントは起こらなさそうである。ロボットは助けに来てくれるだろうか、と思う。
いや、何事も独力で行うべきだ。自己責任の放棄は、勇気がない、まどろっこしい、決断の先延ばし・・・それは、僕が獲得した価値観である。彼等を油断させておいて、自分で脱出する道を模索すべきだろう。食事を取れば睡眠を取りたくもなるだろう。好機はいつかやって来るはずだ。それに殺害が目的ではないのなら、一度本気で逃げてみるというのも挑戦してみるべきだ。
>と、軽いノリで考えてはいるが・・・・・・。
>もちろん、発見されれば殴る蹴るは平気でされるだろう。
「貴様は、交渉の道具だ」
どうやら説明しているようだが、さっぱり理解できない。またそれ以降、いかなる言葉も続けてはくれなかった。なので、僕が想像するよりほかにない。しかし、そもそも、何故彼等がロボット、つまり施設側にこんな誘拐劇を実行せねばならないのだろう。これは、つまらない火種となりうる。スピーカーと内蔵無指向性マイク。
前提としてだが、彼等が誘拐するのは、誘拐する理由があるからだ。
つまり施設側が、僕を取り戻す理由もおのずと生まれてくる。
―――しかし闘争なんて本当にナンセンスなものだ。しかし彼等においては反射係数の高い、きれいに目鼻立ちをつくる、理由とやらがあるのだろう。
僕は『革命軍という立場』や、『テロリストの立場』を不意に想像した。
『正義とか悪とかでは単純に処理しきれないグレーの部分』が露出している。
―――表示装置又は補助装置の電源投入。
僕はどうしてこの縁無し帽子がこんなことを言ったのかに不意に思い当たる。多分、それは、同情だ。あるいは、最低限のやさしさなのかも知れない。
―――もちろんこういう心理は、【ストックホルム症候群】の初期症状だろう。
救助してくれる側を否定的にとらえ、誘拐した側を肯定的どころか好意的にとらえる心理のことだ。自分だましとも言う。でもそういう人間のつながり、平安をもとめる悲しみ、虚無的諦観をあげつらったような心理はさておいても、彼が非常に頭の鋭い、豪胆な奴とは言えそうだ。個人的に、きちんと話せばこいつとは分かり合えるんじゃないかという気もした。
そのせいなんだと思いたい。
―――そのせい。
これから逃走を考える上で問題は起こしたくなかったがあえて言おうと思ったのは。いや、心の何処かで、話せばわかるという論理を引きずっているのだ。
これまでの会話に付け入る隙が、ヒントがあるはずだ、と希っているのだ。
「別に僕はあなた達が何でも構わない―――あなた達は超能力が使えるようだ、それで、第二人類と呼称する。それで僕は交渉の道具なんだろう。でも、お互いに話し合いをする余地はなかったのか? いまからだって間に合うんじゃないか?」
やさしさや灯かりについての夢―――。
しかし僕はますます孤独になることになる。僕は眉間に皺を寄せ嫌な気持ちになる。ゲームの画面にプレイヤーがいなくなってもサウンドだけが聞こえ続けているような不思議な感触。ビスケットの缶に残り滓だけがあるような状態。希望という毒杯。黒から白へとロンダリングされる決定的瞬間。
「銃を持っている奴の目の前で同じことを言ったら信用するぜ」
野球帽の男が冷笑を伴いながら言い放った。茶化すような、うつろな笑い。おおよそ知的コードでの議論など続けられないという確たるしるしがそこにあった。
空気ポンプ式の玩具の蛙が跳ねる。
人類のたゆまぬ歩み? 叡智?
―――消えた可能性・・・消えてゆく選択肢・・・・・・。
その表情は徐々に失意に染まっていく。
僕は立場のわかっていない、身の程知らず。
ああ、と僕は思う。多分、彼等に僕の言葉は聞こえない。それは第二人類というよりも以前に、陽の光も射さず、何処から何処へ流れてゆくかも知れない地上を這っている爬虫類のような無感情だ。大きく拡がってゆく隔絶感覚。
彼等の行動原理、分析できない衝動は、宣戦布告をつくりだす部族形成の作用。
げらげら笑い声が拡がった時に、支配者のプロマイドへ―――拳をぎゅっと握りしめる。心の中に意味のない奇妙な紋様が浮かび上がってゆく。
短絡的な挑発に乗ったというわけじゃないが・・・。
いや結局そうなんだろう・・・・・・。
―――波紋・・・・・・。
「別に僕はそれでもいい。ただ、こんなことをすれば施設側も黙っていないだろう。これは宣戦布告で、まずい状況になった時に命の保証のあるものじゃない」
そう言いながら、考えてもいた。いままでのところ彼等からは何の要求も出されていないが、無法な要求には絶対に応じないでおこう、と。施設側がどういうシステムになっているかはわからないが、要人との交換などがあれば、助けないでくれと、見捨ててくれと、勇気を持って言おうと思った。いたずらに過去の鋳型にはめこんでゆく観察者の姿勢には自虐的な要素もあるが、決断は必要だ、絶対に拒否しなければならない。テーブルの引き出しの一番奥にあるのは、いつも勇気である。
理性での説得の対岸にある野獣の智、まことに及ぶべからず、だ。
僕は自分の脳内にプログラムをしまう金庫のようなものを想像する。僕だって、やわだ。弱いとも思う。でも、いざという時には本当の人間でありたいと願う。僕のウェアラブルコンピュータ。
(そこには、それ相当の長所があると同時に短所もまた多く含まれている)
(―――結局、僕は馬鹿だっていうことだ)
校舎が遠い記憶となって呼び起こされる―――異議申し立ての合図・・・。
イジメ、仲間外れ―――僕はそういうのに一切関わり合いたくないと思った。英雄願望とは違う、それは自殺願望に等しい。命より大切なものはない。そうだ。でも、自らの保身のために誰かが犠牲になるという構造に首を振る。それにかこつけて、言い訳をし、人間は弱いからとでも言うのか。暴力に屈する、卑怯な奴等の言いなりになる、挙げ句、のうのうと人畜無害のふりして生きつづけているろくでなしの自分がいたとしたらどうだろう。そんな心の栄養失調状態で、人間だからとでも賤しく、無知蒙昧し続けるのか。
―――そんなせせこましさに、嫌気が差す。
でも世界は相変わらず、巨大な蜘蛛の巣を作り続けているらしい。そこには、常緑樹も、青い芝生も、流れる水もないらしい。ある時代の思想では、セーフティ・ネットかも知れないが。
しかし、いわずもがな折り合いなんていうものはない。
予想していたとはいえ、その答えはあっさりと終いを引き取られた。
小石につまずいて死んだ男というのを何故か想像した。
もちろん、それは僕の良心のことである。
「施設側の奴等なんかにやられるような、へまはしないさ」
*
黒い土からあらわれでたくちびるや。
樹の蔭からあらわれでた眼。
*
平和な世界を想像していたわけじゃないが―――。
がっかりした、と思わなかったら、嘘だと思う・・・・・・。
公式の見解、世界の構造、常識、傍若無人―――脳トレのソフトの視覚探索力を鍛えるトレーニングや、言葉を記憶するトレーニングなどを行っても、鍛えられるのはそのソフト特有の問題を解く力だけだという話を思い出す。それより三日に一回でも、有酸素運動として四十五分間のウォーキングをするだけで前頭葉の脊髄灰白質の減少が止まるというデータがある。
―――どういうことだって、まあいいから聞けよ。
自己啓発やサブリミナルの効果は嘘だという話もある。様々な言葉が薄気味の悪い冗談のように多様性の企てのなかで繰り広げられる。情報なんていう畸形なものに心を売り渡した二十世紀。僕等はその見世物小屋で好き勝手なことを喋り続けた。どういうことかって、見たまんまだよ。大きなオスのハーレムに忍び込んで、ばれないようにちゃっかりと子孫を残すゾウアザラシね。交換可能な要素がファンタジーの色彩だよ。永く果てしない共鳴の痙攣はなく、眼の奥が熱く沸くということもなく、時代の景色に心を寄せるというでもなくただノイジーの気怠さのなかに香水のようにまとわりつく、嫌悪感をこもらせながらカタストロフの瞬間をぼんやりと夢見ている君。君。君だ。
蚊に刺された処女の太腿みたいな僕の無垢と、神々が流させた無益な血―――。
―――そこには歩きづらい道がある。
―――それから曲がりくねった道が・・・・・・。
敵と味方の人間は対等になりえるのか?
それは今の僕の嘘偽りのない、適切な問い掛けだった。
―――しかし、残酷なほどあっさりと、そのリクエストに答える・・。
もう一人の僕がいる。
答えは〝否〟だ。
プカプカ浮き沈みしている、言葉の欠片。
まやかしの蔓延、人類の霧。悪心。跳梁跋扈。
都会では星空さえ見えない、ということだろうか。
>想像して御覧、と僕の中に住んでいる悪魔が言う。
>想像して御覧。
何をだい、何をだって、げらげら、固定された、まっすぐにとがって、貫通するであろうという仮定のもとにある釘に、てのひらをあてがうような場面さ。痛いよ。血が出るよ。怖いだろう。どうしようもないって思うだろう、げらげら、心の中には、真新しい墓標があり、そこにはけだるく、小やみなく蝉の声が聞こえていたりするものだね。うるせえよ。うるさくない、げらげら、踏切の音がし、救急車の音がきこえていたりする。この街の悲鳴、いま、プラットフォームの白線のむこうがわへゆこうとする理由、横断歩道のある赤信号で待機中のはずの通行客が一歩まえにゆこうとする理由―――。
*
もし僕に銃があれば本当にこの状況で撃たずにいられるか・・・?
そんなことを考えながら、僕は俯附く。
―――ともあれ僕等はここで仮眠。