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―――と、そのようなことを考えている場合ではないのだが・・・。
全体像を通路の断片から想像するにはいくらか僕の知性が足りない。目覚めてから一時間ほど経過したのだろうか、通路に車輪のすべるようなスムーズな物音が断続的に響いてきた。少しの間のあと、電動の車椅子のようなものを想起する。こもったような音の出所を注意深く見つめる。心のざわめきがシュールリアリスティックなラプソディのように伝わってきて、それは不確かな触手をさしのべる。鍵穴まで閉がっている―――んだ・・。
率直に言うと、鼠とりの罠のようなものを想起した。そういうわけで一瞬身構えたが、僕に武器と思しきものはない。無秩序な暴君のいる王国で突如民衆が牙を剥いて掌をかえされる王みたいな無力感覚。足掻くだけ無駄だ。なので、隠れることはしない。だが、判断は保留にしておいた。それは一時的に与えられた情景のように浮かび上がってくる。やがてヒッチコックのサスペンス映画みたいにロングショットからやがて視界に入った。緊張した僕を見つめながら、挨拶してくる。テレビゲームの続きでもしているような気分になった。しかし自分以外の誰かと接することは、ストッと地面に足がついたと思った瞬間でもある。
>まず何をしますか?
>そうだな、まず、―――話そう・・。
世界では誰かが悪魔を呼び出す呪文を唱え続けているみたいに、誰かが、自分はこうなんです、と自己申告している。僕もその一人に戻る。それだけのことだ。
(白いくっきりとした、輪郭へ手を伸ばす。)
(手を伸ばしている内に、僕の記憶は急激に過去へと遡ってゆく―――)
何の意味はないと知りながらも、それは大きな吸い取り紙である。
しかし少しずつではあるが記憶が戻り始めてくる。たとえば、僕は二〇四〇年にいたこと、などである。その時、僕に何かがあったのだろうと思うが、それにつけても、ここが死後の世界だとも思えない。
「オ迎エニヤッテ来マシタ」
それは数十年前に実現化された、汎用型の、手伝い用ロボットだった。ロボットというからにはだが、メタリック・シルバーである。ロボットは遊園地の迷子をさがす着ぐるみのキャラクターみたいにフレンドリーにやって来た。
合成音声は基本だろう。超音波距離センサーもとい様々なセンサーを用いて、人間以上の五感を持っていることも、―――実際、拳銃を用いた実験では弾道予測をして回避することもできたと記憶している。そういう、LEDのピカピカした眼。
他にも何か機能はあったはずだが咄嗟に思い浮かばなかった。
ともあれ、いきなり攻撃してこないところを見ると、救援であることに間違いはなさそうだ。
外見上の特徴とすべきところはやはり四輪駆動型であることだろう。それは二足歩行型と大きく使い分けられていた。四足歩行ではなく、四輪駆動型であるのは、そもそもがロボットの実用化は救助用からスタートしているからだ。
二足歩行よりいくらかは安上がりだったという話もあるが―――。
>人間の命に比べれば、ロボットは安上がりだ―――。
>と、言っているみたいだけれど・・・・・・。
地雷の除去も、地形・地盤の状況によっては機械が入ることのできない地域に導入されて捗ったという話もあったはずだ。進行を阻害する樹木などを伐採するカッター機能を附属し、なおかつロボットならではの猛獣、もっぱらは蛭とか、毒蜘蛛に襲われることなく可能になった衰弱した動物の救助、人の眼を媒介するのでより効率的な作業が可能になった。ほかには地下の鉱物の掘削。溶岩地域、極寒地域の調査。危険な実験での用途もあった。ある種、火星でどうやって生きていくかという問い掛けをしているみたいだ。
―――手伝い用ロボットとは名ばかりで、人間にいいように使われる道具。
それが―――『正しい認識』だろう・・・・・・。
ただ何事にも、色んな要望がある。こんな姿態でも、愛らしいスタイルと言う人はいる。言葉などでは到底表現し得ぬ、ロボットと人間の交流。
もちろん、純粋な労働での意見もある。ロボットは痛みを感じないのだ、指を折ろうが、頭を打ちつけようが、それは―――『故障』ないしは『破損』なのだ。
だが心理学的色合いという意味では、ダルマ女という都市伝説を想起させる。芋虫の恐怖―――もちろんそれは、難癖に違いないが、電子レンジに犬を入れるのだ、天井のひびが、人の顔に見えるのである。
それは鏡の上の曇りから意識に影を落としてゆく。
もちろんそういった恐怖症は不安障害の一種であり、精神疾患である為、あまりにも生活の支障になる場合には、行動療法という治療が行われる。その延長線上、放射状的な理解として、ロボットに対する盲目的な恐怖症も、少数派だが、存在するということである。
>それはさておいても。
>それはさておいても、だな。
そんな図体からは想像できないほど細かい作業が出来る繊細なアームと指先がある。確か、キーボードのブラインドタッチの実験で優秀な成績をおさめたという話があったはずだ。見かけによらないのだ。いやしかし、衰弱した動物を乱暴に救助している光景はむしろ暴力だが―――。
総合評価をすれば人間よりもはるかに信頼できるロボットである。まず、ロボットは愚痴をこぼさない。まあもちろん、愚痴を多少はこぼすようにプログラムされてもいるはずだし、ロボットに誕生した、かぎりなく人間に近い心のメカニズムは無茶なことを斥けるはずだと信じるけど。
そういえば、どこかの論文で、人間に似せすぎると感情移入しすぎて労働用に向かないという話を思い出した。それは白痴の解読だろうか。その拍子に、ロボット三原則を思い出す。
しかしながらだが、本当に残念なことに、非常に野暮ったい、ロボットらしいミスマッチなネジとボルトをくっつけた頭部なのである。型番は相当アンティーク気味だろう。アンティークという響きはフィルムを逆送りさせ、時間を退行させる。
―――率直に言ってしまえば、たくあんを食ってるロボット。
車のタイヤを外して、ボンネットを開けて内臓を引きずり出したようなロボット、が正確かも知れない。高性能なものとして発明されたものの外見上に気のまわらないロボットのデザインというのがピッタリとくるかもしれない。個人的には奈良県の「平城遷都一三〇〇年祭」のマスコットキャラクターみたいなものだ。それは間抜けと同義語である。ただそれだけのために、優秀かどうかの選択肢が天の配剤のように与えられる。ファッションやルックスという要素のまえで、そのロボットは、化石人類の産物としか見えなかった。もちろん気持ち悪いけど可愛いだとか、ダサいけどそこが可愛いとかいう逆心理ないしは特殊抱擁の論理みたいなものもそこはあると思うけど・・・・・・・。
「本人確認ノ為、DNA認証ガ必要トナリマス。オ手数デスガ両手ヲ検査台ニオイテクダサイ」
どうやら頭の上に置けということらしく、頭の上に手形が浮かび上がる。
声紋認証、指紋認証、静脈認証、虹彩認証とかはどうなったのだろう―――。
この手の認証の恐い所は、悪意ある第三者の手によって情報が書き換えられ、まったく使用不可能になる場合だ。実際それがもとで、警察に不法滞在者と間違われ二週間近く拘留された人が、そのあと裁判にしたケースがあった。もちろん勝訴したが、社会的信用は帰ってはこなかったということである。しかしこの手の後味の話には、みな、それぞれの正義があったりする。ふっと僕は、生物学的死を迎えると脳細胞が死にはじめ、蘇生が不可能になることを想像した。脳は、少しでも延命を図るために重要度の低いものからゆっくりと機能を停止していくのだ、と。
「頭の上に置くけど、いいかな?」
「オ願イシマス」
ロボットの音声は留守番電話のように正確だったが、いささか野暮ったかった。それになんだか、その決まり文句は、頭を殴ってくれといっているみたいで思わず吹き出しそうになる。そんなコントがあったような気がする。その時、ロボットの背中にボタンが三個あるのに気付いた。どういうボタンかは知らないが、押すな触るなは間違いない。その眼は、廻転をするし、その眼瞼は開閉するし、口、それから発音――それらの動作は、殆ど人間とちがわない。どうでもいいことかも知れないが・・・。
―――置く。
―――読取開始。