41.ヒルデトーラの大それた野心の具体的だが無計画な第一歩目
「お待たせしました」
ちょうど話が一区切りしたところで、店主の老紳士が紅茶の入ったポットと、バターの香りがするスコーンを運んできた。
うむ、昼食前だけになかなか胃袋を刺激してくれる匂いである。
それに、老紳士が手ずから入れてくれる紅茶もすごい。
私が大切に消化している祖父に買ってもらった紅茶とは違う香りだが。
あざやかな紅色と甘さを感じる柔らかい香りは、いかにも高級茶葉使用という感じだ。
恐らくはヒルデトーラが好きな銘柄なのだろう。
第三王女とはいえ、姫君はやはり姫君ということか。いいもの食ってるんだろうな。
誰も手を付けないまま、老紳士が部屋を出ていき――ヒルデトーラが動いた。
「――そうでしょうね。お二人が断る理由はありませんよね」
と、紅茶を口にし、さっきの話の続きを始めた。
「それで、現状はどうなっているのかしら?」
大それた野望こそ聞きはしたが、今度はしっかり地に足が付いた話題が振られる。
「リストン領の魔法映像と魔晶板の普及率は、ニール・リストンに聞きました。まだ一割にも達していないのですよね?」
お、私が答えなければならないやつか。こっち見てるし。
「私もそう聞いています。というか私は詳しくは聞いていません。あまり教えてくれないので」
一ヵ月ほど前に、ようやく八パーセントを越えたとか越えないとかいう話を耳にしたが、真偽を確かめたわけではない。
リストン家にやってきたベンデリオが、くどい顔をして両親とそんな話をしていたのを、ほんの少しだけ小耳に挟んだ程度である。
相変わらず、裏側の事情は、私にはなかなか教えてくれないのだ。
……まあ、まだ私は六歳である。
金の話、借金の話、仕事に対するギャランティーの話等々。
親としてはあまり明け透けに話したくはない、というのは理解できる。
仮に私に子供がいたとしても、私だって自分の子供に率先して話したい内容だとは思わない。
「ちなみに王都ではどのくらいなのでしょう?」
「六パーセントくらいかしら。ただ、とにかく王都は人口が多いので、単純な売却数ならリストン領を越えているはずです」
なるほど。確かにそうだろうな。
「シルヴァー領はどうですか? まだ放送局ができて半年ほどだし、まだまだかなり低いのではないかしら」
「え、ええ、はい……えっと…………――エスエラ、説明して」
どうやらレリアレッドもその辺の事情を知らないようで、背後に立つ背の高い侍女を振り返った。――私もたまたま聞いただけだし、実際は私も彼女と似たようなものだ。
「――まだ四パーセントに満たない、と聞いています。リストン領領主オルニット様のご指導により、普及するペースは早い方ではあるようですが」
すらすらと返事が返ってくる。父親の名前まで入れて。
……半年で三パーセントを越えているなら、確かに早い方である。リストン領では、放送局ができてから一年以上掛けても、そこまで普及してなかったはずだから。
「――では、これからの一年間で、各領地で魔法映像普及率一割以上を目指しましょう」
…………
「無理では?」
目標を掲げた姫君本人にはなかなか否を言えないので、他人事のように紅茶を飲みスコーンを食べている兄に言ってみた。
今魔法映像は、かなりの速度で広まっているそうだ。
私やヒルデトーラ、よく知らないがレリアレッド、もちろん放送局の人間などの努力が実り、存在そのものを知らなかった一般人が魔法映像や魔晶板に触れる機会も増えてきたからだ。
だがそれでも、一年間で各領地の人口の一割普及、という状態にできるかどうかを問われると……難しいだろう。
何せ一割ということは、単純に考えても、十の家庭の内に一つは魔晶板がある、という状態だ。
魔晶板は俄然高値を保っているし、魔晶板を動かす魔石だってタダではない。
その辺を考えると、とてもじゃないが……という私の心情を察してか、兄も気軽に同意した。
「ああ。私も正攻法では無理だと思う」
正攻法では……あ、なるほど。
「正攻法以外の方法があるんですね?」
これまでは、とにかく魔法映像に出演することで、私と魔法映像の知名度を上げることを考えていた。
それ以外のことは周りがするので、何も考えていなかったが――そこに手を入れようと。そういうことか。
「その通りです」
ヒルデトーラは、出演以外の方法で普及速度を速めようと考えているようだ。
そうか、確かにそっちは手付かずのままである。何かできることがあるかもしれない。
果たしてヒルデトーラは、どこに手を入れようというのか――
「――その方法を皆で考えましょう!」
…………
えっ?
まさかの無計画?
ヒルデトーラから堂々放たれた投げっぱなしの言葉に、しばし呆然としてしまった。
言い方からして何か計画があると思うじゃないか。
それも、画期的かつ悪魔的閃きと言わざるを得ないようなアイディアがあると思うじゃないか。
なのに、ないらしい。
……ないのか。そうか、ないのか。
いや、まあ、仕方ないことか。
いくら大それた野望を口にしようと、彼女とてまだ十歳にもならない子供である。
そう都合よく天啓が降りてくることもないのだろう。