最終話.それから……
「――結局、アルコット王子にあんなことをさせた理由ってなんだったんですか?」
約束通り、リノキスが不在だった間の、ハーバルヘイムとの交渉の経緯を話す。
帰り際、王妃に土産として持たされた「薔薇の聖棺」の初摘み十三年物の紅茶を楽しみながら、今ようやく話し終えたところだ。
借りている部屋中に広がる高貴なる香りはどうだ。素晴らしいの一言である。
長い話になったが、どうせ飛行船で移動中だ。
大したこともできないので、時間を潰すのにも丁度良かった。
「あまり詳しく聞いてないけど、やはりアルトワールに対する牽制の意味が強かったみたい」
あの国王、愚図ではあるが為政者としては愚かではなかった。
空賊列島を手に入れたアルトワールの躍進に危機感を抱いたがゆえに、とりあえず横槍を入れておこう、というのがあの事件の動機だ。
周辺国に広まり、さらに勢力を拡大しようとする魔法映像というよくわからない文化を危険視し、いずれハーバルヘイムまで侵食してくるのを防ぐ国防の意味合いがあったんだとか。
そういう風に言われると、少しわかる気がした。
アルトワール以外から見たアルトワールの魔法映像業界拡大は、確かに横槍の一つも入れたくなるような、危険な物に見えるのかもしれない。
とりあえず、で捨て駒にされたアルコットは気の毒だが。
しかし上手くいけば各国の要人を始末し、その罪をアルトワールになすりつけることができたわけだ。
末端の王族一人を犠牲にして得られる利としては、望外の破格だったらしい。
――だがまあその辺は、私には関係ないからな。アルコットのことは一要因であって、私の目的は別だった。だからあまり聞かなかった。
その辺の詳細は、アルトワールとの話し合いで明らかになるだろう。
ただ、それを私が知る機会があるかどうかはわからないが。
「それより驚いたのは、アルコットがいなくなっていたことをほとんどの人が知らなかったことね」
王妃も、側室であるアルコットの母親でさえも知らなかった、というのは本当に驚いた。まあ国王を始めとした中枢が隠そうと思えば、なんだかんだ理由を付けて会わせないようにすることは簡単だったのだろう。
だからこそ、アルコットの母親は国を捨てて、我が子と共にいることを選んだ。元は男爵家の娘で、高い魔力を有していたから国王に呼ばれたのだとか。
家格の低い男爵家の娘なので王族としての教育も受けておらず、周りは見上げるばかりの高位貴族ばかり。
王宮暮らしには馴染めず、肩身の狭い想いで過ごしていたらしいが――今回のことでハーバルヘイムを出る覚悟が決まったらしい。
国王のことは憎からず思っていたそうだが、我が子を使い捨てするような王族にはなれないしなりたくないと言い張り、彼女の追放が決定した。
色々な始末があるから、それを済ませた後日ウーハイトンに向かう。
それまでアルコットを頼む、と言われている。
「結局墓穴を掘った形になるんでしょうね」
「でも、すぐ馴染むと思いますけどね」
「そう?」
「ええ」
リノキスはおかわりをそそぎつつ、言った。
「――あのお城の人たち、もうお嬢様のファンですよ」
「――ははあ。なるほど。こう来たか」
アルトワール城の執務室。
暗部を兼任する侍女が持ってきた書類に目を通すと、国王ヒュレンツはニヤニヤし始めた。
「報告書ですか?」
たまたま仕事の話をするためにやってきていた王太子アーレスは、いつになく機嫌の良さそうな父親に問う。
「この前のアンテナ島での事件、ハーバルヘイムは自国の浮島五つを差し出すってよ」
「……まさか」
信じられないほど大きな慰謝料だ。
これまでのらりくらりと責任問題をかわしていたハーバルヘイムからしたら、急すぎる提案とも言える。
自国の浮島を五つ渡す。
即ちそれは、ハーバルヘイム王国内にアルトワールの領地ができることに他ならない。
「おまえの成果だ、アーレス」
「は……?」
そう言われても心当たりはない。
ハーバルヘイムに意思を変えさせるような何かをしたつもりもない。
「アルコット王子をニア・リストンに渡しただろ。その結果だよ」
「……」
具体的に言われても心当たりがない。
いや、まあ、ニア・リストンが色々な逸話を持っているのは聞いているが、しかしそれがどう作用してこの結果に繋がったというのか。
そもそも、だ。
「父上。ニア・リストンとは何者なのでしょう?」
「――知らん」
と、ヒュレンツは書類をテーブルに投げ出し、悪い笑みを浮かべる。これからの展望に思いを馳せているのだろう。本当に悪い顔だ。
「知らん、って」
「あれは知らない方がいい奴だ。おまえも覚えとけ」
「意味がわからないのですが」
「――知ったら利用したくなるだろ? でもアレはそういう風に考えちゃダメな奴なんだよ。利用されていると悟ったら姿を消すだろうぜ。
アレはな、金の卵を産む高潔な何かなんだ。決して知ろうとしない、急かしてはいけない、もちろん産めと命じてもいけない。野に放って好きなようにやらせて卵を産むまで気長に待つ。それが一番いいんだよ。
そうすりゃほれ、こうして金の卵を産んでくれるわけだ」
「……」
それでもアーレスには納得が行かない。
「おまえはもう少し器を大きくしないとな。何もかも知ろうとするな、任せて放っておいた方がいい物もあるんだよ。――まあ、いずれわかるだろ。それまで忘れるなよ」
だが、ひねくれた父親が言葉を切るなら、もう何も話すことはないだろう。
「アーレス。契約が終わったらハーバルヘイムへ飛べ。放送局を作るに適した浮島を探してこい。今年中に建てるぞ」
「わかりました。また忙しくなりそうですね」
「ああ。――そうだ、おまえニアになんかお礼の品でも送っとけ。俺とおまえの連名でな」
「お礼の品ですか? ……あの年頃の女の子が喜びそうなものと言えば、ヒルデトーラ監修の料理本とか、シルヴァーブランドの服ですかね?」
「……おまえも贈り物のセンスねぇな」
「さすがに父上には言われたくない言葉ですね」
――後日、ニア・リストンの下に、お礼状とともに冷凍した高級蟹セットが届けられることになる。
それから。
慰謝料としてハーバルヘイムから受け取った浮島に建てられた放送局から、魔法映像は更に勢力を拡大する。
ありとあらゆる国に浸透していく魔法映像ととも、「最強のニア・リストン」の名が徐々に世界へと広まり始めることになる。
そして、これより先の歴史には、信じられる記述や信じがたい記述が多く書き連ねられていく。
――白猫王バンディットに下り空賊となり、種族間戦争が止まぬ獣人王国を統一しただの。
――聖王国の聖女らが設立せし聖歌隊がうっかり天使軍を呼び出してしまい、あわや世界が滅びかける大惨事となるところをたった一人で軍勢を蒼炎で焼き尽くしただの。
――英霊として現世に甦った魔王殺しのアルフィン・アルフォンと激突し、デコピン一発で葬っただの。
――海底に眠りし渇く者オロと酒を酌み交わしただの。
――神々のケンカに仲裁に入り昼夜を殺す大抗争を巻き起こしただの。
――大地を裂く者ヴィケランダと相打ちとなり死亡しただの。
どこまでが真実で、どこまでが虚偽なのか。
世界中のありとあらゆる場所に足跡を残していったニア・リストンという英雄の謎は、まだ解き明かされることなく、色濃く残っている。