401.ハーバルヘイムと交渉する 最終日
「――ねえ、さっきの何!? さっきの何!?」
城へ戻る途中、追いついてきたキトンがさっきのことについて聞いてきた。
「見ての通りとしか言いようがないわ」
むしろハーバルヘイムの民の方が知っていると思うが。
雨の中、ふと振り返る。
視線の先には一万くらいの兵と騎士と王族がいて、それだけいるのに雨音しか聞こえないほど静かで、ただただ去り行く私を見ていて。
生贄にされたわけでもないのに、魂を抜かれたように呆然としている。
「護国獣でしょ? ハーバルヘイムの切り札の神獣じゃない?」
「あ……神獣バルヘルム……」
へえ。やっぱり有名な切り札だったのか。
まあ、大方実在するのかしないのかって感じの、この国で有名な昔話にも出てくるのだろう。
「……いやっ! いやいやいやっ! バルヘルムも驚いたけど、正直あんたの方が気になるんだけど!」
ただの飛び蹴りだが。そんなに気にされるようなものではない。
――まあ、あのドラゴンには悪いことをしたとは思うが。呼び出されている最中、身動きできない時に殺されるなんて、奴も無念だろうな。
だが仕方ない。完全に呼ばれたら生贄の魂が回収されてしまうから。
ふっ……それにしてもまあ、色々やってくれるものだ。
「風向きが大きく変わったわね」
「風向き……?」
キトンは小雨の空を見上げるが、そっちじゃないぞ。
――明日の王妃、大変だろうな。
「――さて」
朝の支度を終え、朝食を済ませ、ゆっくり紅茶を一杯楽しんで。
そろそろ頃合いだ。
「……え? 何やってるの?」
「今日はきっと長くなると思うから。――ドアを開けて。あとティーセットも持ってきて」
私は立ち上がり、今使っていたテーブルを肩に担ぎ、椅子を小脇に抱えた。
今日は五日目の最終日。
必ず王妃が出てくるはずだ。
そして、交渉はきっと長く掛かる。
「まさか謁見の間でお茶する気? 国王陛下の前で?」
「今更この程度のことで、誰も文句なんて言わないでしょ?」
そう、交渉だ。
この四日間、まさかここまで交渉らしい交渉をしないとは、私も思わなかった。
「誰に運ばせれば? 対比が普通じゃないのよ」
この部屋は貴族の客が使うことを想定したものである。調度品も品の良い、高そうな物で揃えてある。
このテーブルも、誰かとお茶や食事ができるくらいには大きい。重厚な造りで飾りも見事な木製だ。たぶん単純な体重で言えば私と同じくらいある。
「大丈夫よ。軽いし」
私は構わず歩き出し、部屋を出た。
――これまでのハーバルヘイムの対応は、間違ってはいない。
確かに、私を排除するのが一番早い解決方法だ。
国側としては、その判断は間違いではないのだと思う。一番損害を受けずに問題が解決する方法だから。
ただ、私側から言わせると、ここまで誠意を見せてくれないとは思わなかった、ということになる。
なんというか……問題の本質が理解できていないのだろう。
私がここに来た理由。
私が交渉したいと居座る理由。
ぜひともその辺を考えて欲しかったが……結局どこまでも排除の方向性しか見せなかったからな。
――まあいい。今日からはさすがに話が進むはずだから。
「あ、そうだ」
「ん? どした?」
謁見の間に向かう途中、私は足を止めた。
思いついた。
時折擦れ違う侍女や侍従、兵士が、テーブルを担いでいる私にぎょっとしている姿を見て、これは良さそうだと思いついた。
「キトン、城中に伝言って出せる?」
「伝言? ……誰に、何を?」
後ろに付き従うキトンは、怪訝を通り越して疑惑の目を向けてくる。まあ、そんな顔をされるのも今回は仕方ないかもしれない。
「――ああ……うん、そうね。それなら……私も無関係とは言いづらいしな」
伝言内容を明かすと、キトンは深刻な顔で思案にふけり、
「わかった。あんたの命令で無理やりやらされたってことにするけど、いいよね?」
「ええ。やらないとこの国潰す、とでも言っておくわ」
「はいはい。あんたが謁見の間に入ったらやっとくから」
「お願いね」
お、今日は王族まで勢揃いか。
一日目は高官勢揃いって感じだったが、今日は王族まで揃っているようだ。
謁見の間には、すでにハーバルヘイム陣営が待ち構えていた。
玉座には、王と王妃。
国王の顔色はすこぶる悪いが、王妃の顔色は悪くない。化粧をした麗しき顔は、病床にいたあの女性とは別人のようだ。
国王の脇には高官たちが集まり、王妃の脇には正装の男子やドレス姿の淑女が並んでいる。
きらびやかな装いから、王妃側の連中はハーバルヘイムの王族だろう。側室や子供も含めて十人以上いるようだ。
アルコット王子が第七王子だから、少なくとも上に六人男子がいることになる。
まあ別に数える必要もないだろう。
私が対話するのは王族ではなく、王妃だからな。
赤い絨毯を歩く。
見るからに重そうなテーブルを担いできた私を見ても、もはや誰も何も言わない。
「――今日はちょっと長引きそうだから、失礼するわね?」
玉座を見上げるすぐ近くでテーブルを降ろし、小脇に抱えていた椅子を設置する。
「キトン、紅茶を」
「……」
さすがに玉座に座する国のトップを前に動くのは抵抗があったようだが、キトンは意を決して、持っていたティーセットを置いて行く。
「国王は風邪?」
顔色が悪い上にガタガタ震えている国王に言葉を投げると、彼はびくっと震えた。視線があらぬ方を漂い、私と目が合わない。
「体調が悪いなら下がれば?」
「――お気遣いは無用」
と、王妃が私の言葉を遮るように声を上げた。
凛とした声に、ピンと張った背筋。
高貴さが隠しきれない見た目も毅然とした態度も、昨日会った女性とは本当に別人のようだ。
「私がハーバルヘイム王国ルジェリオンが妻、シャエナです。どうぞよしなに」
…………
私はカーテシーを取り頭を下げた――とでもやろうかと思ったが。
「ニアです。ぜひ双方有意義な交渉になることを願っているわ」
と言いながら、椅子にどかっと腰を下ろした。
今は立場も身分も関係ないからな。
だから玉座に座ったままの彼らでも私は文句を言わなかったし、私も特に礼を尽くさなかった。
「ぶ、無礼者! なんだ貴様は! ここをどこだと思っている!」
王子の一人が騒ぎ出した。まあ無礼は百も承知だが。
「あら」
私はわざと胡乱げな視線を王族連中に向けた。
「今の言葉は、もう交渉を止めたいという意味? 私はそれでも構わないわよ? 無礼者は去りましょうか?」
「――申し訳ありません。まだ交渉前ゆえ、今のは聞かなかったことに願います」
即座に謝罪の言葉を口にしたのは、王妃だ。しっかり頭も下げた。
「は、母上……っ」
「黙って見ていられないなら出ていきなさい」
と、一人の王子を見る王妃の目は、冷めに冷めきっている。
……うん、まあいいだろう。
「では王妃、交渉を始めましょう」
「ええ、お願いします」
やれやれ、五日目にしてようやく話し合いか。長かったな。
「あなたの言い分は、先のアルトワールのイベントにて、うちの王族が迷惑を掛けた件よね?」
「正確には違うけど、それで間違いではないわ」
「――ならば関係ないわ」
王妃はきっぱりと言い切った。
「迷惑を掛けた王族、アルコット・ジェイズ・ハーバルヘイムはすでに廃嫡し国外追放の処置を取っています。ハーバルヘイムにはもう一切関係ないのです」
ああ、そう。
「つまりアルコット王子はすでにハーバルヘイムの者ではない、彼が勝手にやったことであり、ハーバルヘイムには一切責任はないと。そういうこと?」
「その通りです」
王妃の冷たい眼差しが私を射抜く。
「あなたの家族が危険に晒されたとか? しかしそれはアルコットが勝手にやったことです。追放されたことを逆恨みした腹いせかもしれませんね。
それともアルコットが、誰かの命令でやったなどと供述しているのですか?」
…………
さすがだな。
このぶれのなさ、容赦も情もない見事な切り捨て方。
やっぱり真正面からの交渉事となると、私では国王や王妃、宰相にさえ勝てないだろうな。
「そう。勝手にやった、か。へえ。そういう理屈をこねるんだ」
私は笑う。
「じゃあ私はどうなるのかしら?」
「どう、とは?」
「私は今、アルトワールから追放されている身なの。二、三年前にね」
「……それが何か?」
「で、ここに来る前に、家族との縁を切ってきたの」
「…………」
王妃の顔が一気に険しくなった。高官たちもちゃんと理解したようだ。
そうだろう、そうなるだろう。
「――キトン、お願い」
「え、このタイミングなんだ……」
近い私以外に聞こえない小声でそんな呟きを漏らし――キトンは出入り口に向かって手を上げ、合図を出した。
と――ぞろぞろと人が入ってきた。
それは兵士だったり、侍女だったりメイドだったり、侍従だったり、ここにいなかった騎士たちだったり。
あるいはこの場にいない、低位の貴族らしき紳士淑女だったり、ダリルやサエドと言った一見して所属がわからない暗部らしき連中だったり。
「な、なんだ……!?」
誰かが声を上げたが、入ってくる人の波は止まらない。
広々とした謁見の間に、千人近い人が入り――私の背後で、王族や高官たちを睨むように立つ。
彼らの姿は、まるで私の後援者であるかのようだ。
「ニア。これはどういうこと?」
氷の仮面を被り感情を見せない王妃の質問に、私は気軽にこう言った。
「別にいいでしょ? この交渉って彼らにも無関係じゃないんだし。この国のトップが今どんなことをしているのか、そしてどうしようとしているのか。知る権利くらいあるでしょ?
――また勝手に生贄に捧げられるかも、なんて心配もしたくないでしょうし?」
昨日のアレは、本当に失策だったと思う。
まさか兵士たちの命を使って何かをしようなんて、犠牲にされる方はたまったものじゃない。
前もって「国の危機だ。国を守るために死ね」と納得させていたならともかく、あの兵士の逃げ惑いようは聞いていなかった者の反応だ。
仮にアレで私を殺すことができていれば、まだ救いがあった。
でも、結局失敗した。
残ったのは喪失感と、――兵士たちの信頼だ。
あの一件で、大きく風向きが変わったのだ。
私がどうこうではなく、王族に対する不信感が急成長し、大木となってそそり立っている。
特に、昨日の一件はどういうことなのか、確かめたい者も多いことだろう。当事者にして犠牲にされそうになった兵士たちは殊更その気持ちは強いはず。
まだ、今この国で何が起こっているのか知らない者も多いのだろう。
だがここまで大事にしたのはハーバルヘイム側だ。私は痛くも痒くもないし、これまでの暗殺だのなんだののツケくらいは払ってもらいたい。
特に、勝手に犠牲にしようした分くらいは、責められるべきだろう。
――キトンに伝言を頼んだ結果がこれである。
私は、この交渉の場をたくさんの人に見てもらうために、「見たい者は来い」と言葉を回してもらったのだ。
これだけの数が来るとは予想外だったが……元から国に対して不信感が高かったのかな?
「さて問題です」
隣の国王は震えが止まらないが、王妃は微塵も揺るがず、睨むようにして私から目を逸らさない。
「国籍がない。家族もいない。
こんな私が今やっていることの責任を追及する場合、いったい誰に責任を取らせればいいのでしょう?
たとえば今ここで王族全員を始末するとか。
高官たちを始末するとか。
そんなことをした場合、誰が責任を取ると思う?
――これがアルコット王子に関するあなたの言い分なんだけど、これ通す?
私はむしろ、アルコット王子に同情しているからこそ、この国への被害をある程度軽減したいと思っているの。
この交渉だって、穏便に済ませるために設けたのに……全部台無しにするんだもの。驚いたわ。
でも、もしそのアルコット王子とこの国はもう関係がないと言うなら……」
紅茶を一口すすり、王妃を見据える。
「私が遠慮する理由がなくなるんだけど?」




