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398.ハーバルヘイムと交渉する 三日目 向こう側





 ――ここだ。

 ――ここからが、勝負所だ。


 宰相ナーバル・クーガは、今まさに、勝敗を分かつ境界線の上に立っていた。


 左に転がれば勝利。

 右に転がれば敗北。


 たとえるまでもなく、ギャンブルのそれと同じ。


 ――ただし、賭けているのは、ハーバルヘイム王国そのものだ。


 下手を打てば、今度こそ怒らせるかもしれない。

 賭けに負けてニア・リストンが怒れば、この国はきっと終わる。


 そんな危険なギャンブルに、追い込まれたナーバルは挑もうとしていた。

 否、挑まざるを得なくなった。


 宝物庫から目ぼしい物を抜いたことを、見抜かれてしまったからだ。

 時間がなかったせいで、もしもの時のためのイミテーションを用意するだけで精一杯だった。パッと見ではきっとバレないはずだ。


 そもそも宝物庫の中に何があるのか、知っているのは国の中枢でもごく一部の者だけ。

 さすがにこの情報が洩れることはないだろうと思う。


 ゆえに、ニア・リストンには宝物庫に何が入っているのか知る術はないはずだ――が。


 その強さもおかしいし、強さを利用した手慣れた交渉もおかしい。どれもこれもただの子供のやれることではない。


 最初からずっと得体の知らない人物である以上、油断できる点はない。できる限りの警戒をして然るべきである。


 目の前で、分厚い金属製のドアがゆっくりと開いていく。

 兵士数名の力でやっと動くほど重く、分厚いドアである。見た目より重く強固なのは、魔法処理を施し強化しているからだ。


「さあ、どうぞ」


 ――ここが勝負所だ。


 すっかり公務に慣れて、大事な交渉事……それこそ綱渡りだって一か八かの交渉だって何度もこなし経験を積んできた。


 だが、これほど危険な賭けは、ナーバルも初めてだった。


「どうぞゆっくりご確認ください」


 ランプを持ったナーバルが一歩その部屋に踏み込み、分厚いドアを押さえるように立ち、ニア・リストンに宝物庫の中を検めるよう進言する。


「さすが一国の宝物庫、大きいわね」

 

 宝物庫の中は、昨日のうちにわざと散らかしてある。足元には旧時代金貨や宝石の原石などが無造作に転がり、蓋の開いた宝箱にはこれ見よがしに金目の物が溢れ、壁には刀剣が飾られていたり、建国から伝わる極彩シルクを使用したハーバルヘイムの国旗が貼り付けられていたりする。


 そんな宝物庫に、ニア・リストンはゆっくりと足を入れ……きょろきょろ周りを見回す。


 ――まだだ。


 ――まだだ。


 ――気取られれぬよう、余計なことは言わない。


「どうぞ」


「ああ、ありがとう」


 奥まで見通せるよう、ランプを差し出すと、ニア・リストンは礼を言って受け取り――奥の方を覗き込む。


 ――まだだ。


 ――まだだ。


 ――まだ……いや今だ!


 ニア・リストンが奥に二歩足を進めたところで、ナーバルは素早く宝物庫から飛び出した。


 その後、打ち合わせ通りに事は動いた。

 一時的に重量の魔法処理を解除し、軽く動かせるようになった宝物庫のドアを、兵士たちは一気に閉める。


 ガチャン、と大きな音がした。


「――っ!」


 そしてナーバルは、すぐに魔法処理した重量を戻した。


 …………


 うまく、いった。

 ニア・リストンを、ハーバルヘイムに牙を立てようとした逆賊を、この城で一番堅牢な部屋に閉じ込めることに成功した。


 ナーバルは、賭けに勝った。


「はは、は、はははははっ! やった! やったぞ! ……はは、はあ……」


 喜びも強いが、それよりも安堵の息が漏れた。


 己の双肩にハーバルヘイムの命運が懸かっていた。

 宰相だけに大きな話などいくらでも決めてきたが、さすがに国そのものを賭けたことはなかった。


 しかも、国王の補助や補佐ではなく、全責任を己が負う覚悟だった。


 ――ふと、さっきニア・リストンに言われたことを思い出す。


 国王の命でも取り立てる、と。


 暗に「国王になるなら協力する」と言われたわけだ。

 ニア・リストンが本気で言っていたかどうかはわからないが――あの時はそんなことは微塵も考えなかったし、今では違う答えが出る。


 国の命運を分けるような重い決断、自分には無理だ。

 自分は国王の器ではないということだけは、今この時、よく理解できた。


 国王ともなれば、こんな危険なギャンブルを何度も経験するのだろう。

 自分は二度と御免だ、と心底思った。


「だ、大丈夫ですか?」


 宝物庫のドアに手を着き、うつむいたまま動かないナーバルに、兵士が声を掛ける。


「大丈夫だ。……私は陛下に報告してくる。君たちは上階で見張りに立ってほしい。決して、誰も、宝物庫に近づけないように。絶対にだ」


 ナーバル自らしっかり魔法錠も掛けたので、誰が来てもそう簡単には開けられない。


 宝物庫内は密閉されている。

 普通であれば(・・・・・・)、人が入れば一日もたずに窒息死するはずだ。

 普通じゃない(・・・・・・)あの子供でなら、最低でも一ヵ月はそのまま置いておきたい。それくらいあればさすがに死ぬだろう。


 己の背負える額をはるかに超えたベットの一勝負に勝利したナーバルは、これだけで疲れ果て、疲弊した身体を引きずって歩き出した。


 ――早く、心労に倒れた陛下に朗報を。


 足は重いが、気持ちは軽かった。





 

「やったか! やったのか! よくやった! よくやったぞ、ナーバル!!」


 もったいぶることはせず、ナーバルはすぐに朗報を届けた。


 国王ルジェリオンの部屋にやってくるなり告げたそれに、国王は逆の意味で心配するほど興奮し、こちらで待っていた高官も歓声を上げた。


 なんとか乗り切ったのだ。

 すでに色々と国の恥となる失態を数々犯しているが、終わりよければすべてよしだ。

 今のところ汚点は外に漏れていない。漏れていないならなかったも同然、いくらでももみ消せる。


 とにかくこれで、ハーバルヘイムの危機は去った。

 ハーバルヘイムは、予想外にして想定外の危機を、乗り切ったのだ――

















  ドォォォォォォォォン!!!!


 城が揺れた。

 巨大な何かが突っ込んだかのような大きな音を立て、ハーバルヘイム城が、確かに大きく揺れた。


「は、……あ、あ、……」


 寝間着のままベッドを飛び出し、両手を上げて小躍りして大喜びしていた国王の動きが止まった。

 喜色満面な顔のまま、顔色だけがどんどんドス黒くなっていく。

 

 一緒にはしゃいでいた高官たちもだ。

 動きが止まり、ニア・リストンを罵る声や陛下を讃える言葉が止まり、まるで時が止まったかのように動くものはなくなった。


 ナーバルも、同じである。


 まさか。

 まさか。


 心の底から、恐怖とともに生じる「まさか」という言葉がどんどん湧いてくる。

「そんなわけない」「ありえない」「人間があれだけ頑丈な部屋から出られるわけがない」という気持ちを塗りつぶすように、「まさか」の想いが止まらない。


 すぐに確かめに行くべきなのだろう。

 だが、誰も動けない。


 真相を知るのが怖いのだ。


 もし知ってしまえば――今度こそ本当に、ニア・リストンを殺す方法が、思いつかない。


 宝物庫に閉じ込める策は、確証が持てない最終手段だった。

 ニア・リストンが中身を確かめるのを拒否したり、確かめはするが宝物庫内に入らなかった場合、勝負することもできなかった。


 不確定要素が多かったから、策とも言えない策だったのだ。


 その策が上手く行った――と、思えば、これである。


 どれほどの時間が経っただろう。

 長くはなかったはずだが、この部屋の誰もが長い長い「まさか」の時間を過ごしていて――


  コンコン


 外界からノックの音が聞こえて、ようやくこの部屋の時間が流れ出した。


 ドア付近にいた高官の一人がのろのろ動き、ドアを開ける。


「失礼します」


 招かれて入ってきたのは、飛行船からニア・リストンを見張る役を命じられている暗部の女である。


「な、なんだ。どうした。何か、あったのか」


 絶対に聞きたくないであろう国王が、しかし聞かないのも怖いのか震える身体と声で問う、と。


「ニア・リストンからの伝言です。中を検めたけどやっぱり金目の物は抜かれてるから応じない、だそうです」


 …………


「……は、あ、あ……そんな……」


 誰よりも早く言葉の意味に気づいたナーバルは、崩れるように膝を付いた。


 中を検めた。


 つまり――ニア・リストンは宝物庫に閉じ込められた後、特に焦ることもなく中を物色し、出てきた。そういう意味だ。


 もし策に失敗して怒らせてハーバルヘイムが終わる?


 否。


 宝物庫に閉じ込められる程度のこと、ニア・リストンにとっては怒るほどのものでもなかった。

 成功しようが失敗しようがどうでもよかった。


 そういうことになる。


「また明日、四日目の交渉しましょう、だそうです。では失礼します」


 交渉期間は、残り二日。





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― 新着の感想 ―
>「だそうです」 キトンの心情の呆れ具合や国王への忠誠や敬意が低下と見なすこともできる。
[一言] 外に出るまでは 「宝物庫だから用心して閉めるわよね」 から 「建て付け悪いわねこの扉」 としか考えてない感
[良い点] 絶望とは、希望からの落差でより大きくなる。 さあ絶望がやってくる。
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