390.その時アルトワールで 後編
「――あの子はあの子じゃないのよね?」
アリューの発したそれは、決定的な言葉だった。
恐らく、リストン家の全員が薄々勘づいていながら見なかった、真実。
色々とやらかしているという話を聞いて、見て見ぬふりをしていた、事実。
不自然など数えきれないし、もはや理不尽さえあった場合もある。
それでもリストン家は、それらについては何一つ言及することはなかった。
――だが、今ここで、ついに触れてしまった。
「…………」
リノキスは何も言わない。
いや、言えない。
あのニアが、滅私に努めてニア・リストンであろうと努力していたのを、傍でずっと見ていたからだ。
八年間ずっとだ。
苦手な宿題から逃げることなく。
……時々ぐずったり愚痴ったりはしたが逃げることはなく。
常軌を逸した魔法映像の超過密撮影スケジュールにも、「家業だから」と嫌な顔をして精神不安定になりながらもこなし。
何より、ニア・リストンとしての生に誇ることはしても、恥じる行為は一切していない。
隠しておきたい色々はたくさん、それはもうたくさんあるが、それでも恥ずかしいことはしていない。
多少ニア・リストンとしても子供としても逸脱することが……少しばかり、いや、多々……いや、まあまあほんのり逸脱することはあったが、それでも根本には「ニア・リストンであろう」という気持ちは確かにあったと思う。
ここで頷いては、あの人の覚悟も努力もすべてがなくなってしまいそうで。
――せめて、そのすべてを傍で見てきた自分だけは否定したくない。それを認めたくなかった。
そんな想いが通じているのかいないのか。
だが、きっとニアを思って黙ったのだろうリノキスに、アリューは予想外の言葉を投げた。
「ああ、そういえばあなた。問題の映像は観てないのよね?」
「はい?」
「ニアの本気? で、いいのかしら。色々と言い訳ができない映像が放送されて、今アルトワールでは話題の的よ?」
「ほん、き……?」
それこそリノキスには本気でわからない。
ニアの本気とはなんだ。
いったいなんの映像が放送されたというのか。
「アンテナ島で水晶竜に襲われたでしょう?」
「あ、はい」
「その水晶竜を一瞬で粉砕するあの子の映像が放送されたの」
「はっ!? ……あっ!」
リノキスは思い出した。
確かあの時、誰が倒したのかわからない水晶竜が三体いた。
討伐後の回収やら何やらで報告をし合った時、原型など一切残らず、魔核まで粉々になっていたその三体について話題に上ったのだ。
「誰がどうやってここまでできるんだ」という話で盛り上がり、結局わからないままで終わったのだ。
――あれはニアがやった。
――その映像が撮られていて、放送された。
とてつもなく納得できる答えである。
というかニアの弟子たちは軒並み「まあたぶんニアだろうな」と普通に予想し、だから予想さえ言わなかったのだ。
普通に予想したその答えは、普通に当たっていたらしい。
予想が当たっても嬉しくもなんともない。
「やっぱり」という気持ちしか湧いてこない。
「ね。さすがにもう、……あの子はあの子じゃないって、動かぬ証拠を突きつけられた感じがしてね」
「……そ、そう、ですね……」
ニアはリノキスの弟子、という言い訳である程度周囲を誤魔化して来た。
だからそれなりに強いのだ、と。
だが、あのアンテナ島の戦闘では、リノキスこと冒険家リーノも対処に動いていた。
リーノができる限界の動きを、ニアは軽々上回っていた。
あの時はサポートしかできなかったリーノに対し、ニアは単騎粉砕という、誰の目から見ても差がよくわかることをしてしまった。
誰がどう見ても、冒険家リーノよりニアの方が強いと思ったことだろう。
奇しくも同じ場所で同じ魔獣に挑むという、言い訳できない条件まで揃っていた。
「ベンデリオがウーハイトンの映像を持ち帰ってきたわ」
ウーハイトンでの生活には、ベンデリオほかリストン撮影班が合流していたが、年末年始はアルトワールに帰還している。
なお、先のセレモニーに合わせて帰郷し、来年また来る予定だ。今度はベンデリオではなく新人の現場監督や撮影班を寄越すという話になっている。
「ニアってすごく強いわよね?」
「え、ええ……」
「でもアンテナ島のアレは、もはや常人のできるものじゃないわ」
「…………」
今まで目を逸らして来たリストン家でも、さすがにもう見て見ぬふりはできなくなったようだ。
「もう八年だものね。ゆっくりだけど、ちゃんと受け入れたわ」
「……そうですか」
「私たちは、あの子があの子として振る舞っている以上、何も言わない方がいいと思っていたの。
ニアのことは忘れたことはない。忘れられるわけがない。
でも、あのニアの性格からして、ニアの人生を故意に乗っ取ったとは思えないもの。
もしそんな人なら、もっと利己的で受け入れがたい性格をしていて、とてもじゃないけどあの子としては見れなかった」
あのニアは一歩引いた感があり、両親に甘えるような真似はしたことがない。
向こうも、家族として接するのは難しかったのだろう。
その代わりとでもいうのか、家のためだ家業だと、リストン家に貢献だけは必至でしてきた。
そして――
「あの子は二言目には『ニールを褒めろ』、『ニールに構え』と言っていた。……病気だったニアに構いすぎていたあの頃、決して二人に差をつけていたわけじゃないけど……ニールはほったらかしだったの。
今思えば、あの子の言葉に従ってよかったと思っているわ。ニールの立場で考えたら、親にないがしろにされているとしか思えなかったでしょうから」
その辺のことはリノキスも覚えている。
決して表には出さなかったが、学院から里帰りした家族団欒の時、まだ十歳にもならない子供だったニールが何か言いたげに両親を見ている時があった。
そんな時は、決まってニアに話しかけている時だった。
そしてニアは、そんな両親に「兄を褒めろ」だのなんだのと、関心をニールに向けようとしていた。
「お嬢様は、ニア・リストン様に恥じない生き様を見せています。それはずっと近くで見てきた私が保証します。
今回のことも、絶対にそれに類することであるはずです」
ずっと専属侍女として傍にいたリノキスが断言すると、アリューは「そう」と呟き、離縁状をテーブルに置いた。
「私は……私たちは、あの子が本当は誰であるかなんて知らなくていいわ。これからも聞くことはないし、私は娘として接する。あの子が拒否してもね。
――リノキス、今この場であなたを解雇します」
いきなりの解雇通告にリノキスは目を見開く――が、アリューの微笑みを見て真意に気づいた。
「そういうことですか?」
「ええ。もうあなたはリストン家とは関係ないし、当然リストン家から籍を外すニアとどうなろうと勝手よね」
「……行きたいのは山々なんですが、私には家族が……」
「ハーバルヘイムの件に決着が着くまで……いえ、あなたとニアがここに帰ってくるまで、あなたの家族はリストン家で匿います。
指名手配されないよう、あの子を支えてちょうだい。
それはきっと、あの子とずっと一緒にいた、あなたにしかできないことだから」
そしてリノキスは、リストン家に一泊も滞在することなく、今度はハーバルヘイムへと向かうのだった。