369.アルトワールアンテナ島開局セレモニー 08
「下は楽しそうね」
と、ニアがバルコニーの下を覗き込むと……今度は「おぉぉぉぉ」という貴族らしい静かな驚嘆の声が漏れた。
「おぉ……」
覗き込んだおかげで少しだけ聞こえた。計らずもニアまでその声に参加してしまった。
「聞こえた?」
「……何が?」
さっき人質に取られ刃物を突き付けられても、自白を聞いても、これから水晶竜がここに来ると知らされても。
どれか一つでさえ淑女でも子供でも騒ぎそうなものなのに……なんの反応も興味も示さない白髪の少女に、アルコットは怪訝な顔をするばかりだ。
「顔に傷のあるおじいさんが、ウーハイトンの要人に婚姻を申し込んだわ」
「え」
こんな状況でも、さすがにアルコットも少し気になる話だ――いや待て。
「それどころじゃないんだって。言っておくけど、本当に来るよ? 本当に水晶竜が来るんだよ」
「そうね。冗談にしては悪質だし、本当なんでしょうね」
バルコニーから視線を移し、ニアは笑いながらアルコットを見る。
「始祖竜が来るわけじゃあるまいし、たかが水晶竜でしょ? 面白い余興になりそうじゃない」
「よ、余興って……」
「でも、そうね、少し相談が必要になるわね。――おいで。悪いようにはしないから」
この落ち着きっぷりと、意味がわからない発言。
この時点では、アルコットはよく知らないニアに対する不信感が強かったが……
どの道、もうアルコットにはどこにも逃げ場はないのだ。
そして逃げるつもりもない。
これから起こる惨事を思えば、生きる資格があるとも思えず、逃げる資格なんてあるわけがないと思う。
いろんな覚悟を決めたアルコットは、ニアの言葉に従うほかなかった。
――そして、すぐに驚かされた。
「ヒルデ」
ニアはまず、小さな子供たちと一緒に自身の料理番組を観ていた王女ヒルデトーラ……ではなく、
「あの超特大魔晶板に映すに相応しい、面白い映像が撮れそうなネタがあるの」
魔法映像の玄人演者としてのヒルデトーラに声を掛けた。
「でも時間がないわ。すぐにでも用意しないと――」
言葉を続けるニアだが、全てを言い切ることはできなかった。
「――レリア! ニール様! 来てください!」
ブランクはあろうとも、ニアだって玄人の演者である。
そんな彼女が、「あの超特大魔晶板に映すに相応しい」とまで言い切ったネタである。
皆まで聞く理由がない。
そんなの撮影するに決まっているではないか。
子供たちに「ごめんなさい、用事ができてしまいました」と早口に断りを入れ、ドレスの裾を取って早足で動き出す。
「ニア、一階に王太子夫妻の部屋があるからそこで――アルトワールの要人に集まるように伝えて。緊急よ」
擦れ違う使用人に伝言を言い渡し、ニアとアルコット、急に呼びかけたので慌ててやってきたレリアレッドとニールを置いて、一足先に行ってしまった。
「さすがヒルデね……」
あのフットワークの軽さは、まさに現場に染まった者の姿だ。ニアもかつてはああだったが、さすがに一国のお姫様がやると少々感慨深いものがある。
――その後間もなく、アルトワールの主要人物が集められた。
アルトワールの王太子夫妻もいるし、王太子の弟である第二王子ヒエロもいる。知らない顔もいるが、ここにいる以上は大物ばかりのはずだ。
ニアの一言でこれが実現した。
この大物ばかりを集めるだけの力が、発言力が、影響力が、ニアにはあるということ。
唯一アルトワールの者ではないにしても、いろんな意味で、アルコットの驚きと戸惑いは大きかった。
そして一つの疑問が何度も何度も、何周も何周も頭の中を駆け回る。
――自分はいったい誰に、何に関わってしまったのか、と。
「そうか」
アルトワールの要人たちが注目する中、アルコットは名乗りを上げ、先にニアに告白した話をもう一度伝えた。
野次も罵倒もなく、それこそ戸惑いも焦りも不安も何もなく、二、三質問をされたくらいで聴取自体は静かに終わりを遂げた。
この場の最高権力者にして責任者である王太子アーレスが一つ頷き、言った。
「――確かにあの大型魔晶板に映すに相応しい映像が撮れそうだ」
何を言っているんだろう。
ニアに聞かせた時と同じく、理屈の通じない巨大生物が飛来するという報を受け取っても、誰もそれが引き起こす惨事を心配していない。
「ヒエロ、どう思う?」
いつの間にか怖い顔……いや、獲物を見つけた肉食獣がごときギラつく危険な目をしている第二王子ヒエロは、話を振られて即座に答えた。
「実に相応しい。正直、超特大魔晶板に映す一番最初の映像が、国王の挨拶なんてつまらないと思っていた。王命だから用意はしてあるが、――緊急事態ならば仕方ないと思う」
超特大魔晶板は、アンテナ島のシンボルになる予定だ。
この夜会で魔法映像と魔晶板がどういうものかを来賓たちに知らせた上で、明日の朝、解散の挨拶を事前に撮影したアルトワール国王ヒュレンツの映像を流すつもりだった。
従来の魔晶板を見せた上で、あの大きな魔晶板を見てほしいと。対比を見せつけたいと。そういうことである。
ただし、一番最初に映す映像だ。
確かにアルトワールの国王が出るのが、自然な流れではあるだろう。顔を合わせてはいないが、映像を通して要人たちに挨拶する必要があるのもわかる。
だが、つまらない。
時が流れるにつれ、どんどん面白い映像が撮影されている魔法映像においては、それに慣れ親しんでいる者たちの目は確実に肥えている。
それが視聴側ではなく、撮影する側ともなれば、想いはより強い。
より面白い映像を撮りたい。
より面白い映像を視聴者に届けたい。
王位継承権を捨ててまで魔法映像にのめり込んだ第二王子ヒエロともなれば、その想いは誰よりも強い。
というか、もう彼の中では、すでに映像の差し替えが決定している。実利主義の父なら絶対に許すという確信もある。
「――発言をよろしいでしょうか?」
と、手を上げたのは、第四階級リストン家当主オルニット・リストンである。アーレスの許可を得て口を開いた。
「国王の挨拶はきちんと放送するべきかと。ただし――」
普段の王子様然とした表情とは程遠い、野望と欲望にギラつくヒエロの視線を無視し、こう続けた。
「今夜放送するのならばどうでしょう?」
「今夜?」
「ベンデリオ、説明を」
「はい。私はリストン放送局の局員ベンデリオと申します」
この場において、あのくどい顔に見覚えがある者は多かった。彼もまた魔法映像の演者であったからだ。
「あまり時間がないようなので手短に説明しますが、ほぼリアルタイムで、撮影したものを魔晶板に映す技術があります。色々と制限がありますが、この島の中であれば条件を満たしています」
リアルタイムで。
つまり――今日これからいきなり映せる、ということだ。
「ただ、編集ができないのがネックですが」
「そうか。――ミュー、どう思う?」
隣でずっと扇に隠して笑っている王太子妃ミューリヒに話を振る、と。
「素晴らしいと思いますわ」
ただでさえ釣り目気味で鋭いそれが、楽し気に細められることで迫力を増す――具体的に言うとヒロインをいじめる悪役のご令嬢のようだ。
「放送するしないはさておき、これから多少の混乱はどうしても起こるでしょう。島に被害も出るかもしれない。
それに関して、アルトワールは来賓の方々に説明をする義務が生じます。
それを信じる者もいれば、信じない者もいるでしょう。なんとかしてアルトワールの傷になるよう、恥になるよう解釈する者も出てくるはず。
そんな面倒事のすべてを、リアルタイムの映像で観てもらうのは、説明するよりはるかに話が早く、また正確かと思います」
「論より証拠、百聞は一見に如かず、か。……うむ、私も概ねその考え方でいいと思う。何より――」
アーレスはアルコットを見た。
「運が良かったな、アルコット殿」
「……は、はい?」
「この島には今、冒険家リーノがいる」
冒険家リーノ。
凄腕の魔獣狩りにして、国でさえ手を出せなかった空賊列島を解放した、もはや伝説の存在である。
まあ、残念ながらアルコットは知らないが。
アーレスがそう言ったのと同時に、ドアが乱暴にノックされた。
「――失礼します! 緊急の報告があります!」
どうやらとびっきりのネタがやってきたようだ。