360.本日の予定は
「こういう展開は珍しい気がするわ」
「そうですね」
旧空賊列島、赤島に到着した翌日。
朝食を取るため、リノキスを伴って食堂へと足を向けると、兄ニールやベンデリオ、レリアレッドが入れ替わるように出てきて出入り口でばったり会った。
「――ニアはゆっくりするといい」
これから撮影だという兄らは、私を置いて足早に行ってしまった。
なんというか……撮影する流れで私の出番がないというのは珍しい。いや、珍しいどころか、もしかしたら初めてのことかもしれない。
昨夜聞いた通り、私がいなくなった後、兄が私の代わりに参加しているようだ。
……となると、だ。
「私、今日は何も予定がないんじゃない?」
「確かに何も入ってませんね。スケジュールは空いてますよ」
ほう。
学校もなく、撮影の仕事もなく、来賓を出迎えるような出番もなく、丸々一日何もないのか。
「今日はのんびり過ごしましょうか、って言いたいところだけど」
皆、明日のセレモニーに向けて、慌ただしく準備に奔走している。
私が他国からの来賓ならまだしも、ホスト側のアルトワール王国所属だからな。本物の子供じゃないんだ、さすがに遊んだり何もせず過ごすわけにはいかないだろう。
特に、まだ成人していない兄が働いているのだ。
さすがに子供の兄が働いているのに、中身は大人の私が休んでいるわけにはいかないだろう。
朝食を食べながら、私ができることでも考えてみようではないか。
だが、考えるまでもなく、今日の予定は決まった。
「――ニア様。遊びに行きませんか?」
昨日は会えなかった、私服に剣を帯びただけの聖騎士ライジを伴い、聖女フィリアリオがやってきた。
それと、
「――ニア! ああ、ニア! 久しぶり! 俺のこと憶えてる!?」
忘れるはずもない、艶やかな黒髪に左目の下にある二つのホクロが特徴的な青年。前に見た時より遊び人のような雰囲気と、独特の色気のようなものが増している。
飛行皇国ヴァンドルージュの第四皇子、クリスト・ヴォルト・ヴァンドルージュだ。
「本当にお久しぶりです」
聖女と聖騎士は空賊列島の作戦で会ったが、クリストと会うのは数年ぶりである。あの頃の彼は、確かまだ十代だったはずだ。
「大きくなったね。もう子供扱いはできないな」
と、クリストは跪いて私の手を取り、手の甲にキスをした。ややナンパで胡散臭さもあるものの本物の皇子様である。なかなか様になっている。
――あ、そうだ。
クリストを見た瞬間、脳裏にアイデアが閃いた。
「聖女様、カニを採りにいかない?」
「はい? カニ?」
クリストを見て、今やヴァンドルージュの名物になっているカニ料理を思い出した。
あれは美味かった。リノキスも好きなんだよな、カニ。
この群島は、小さい物も含めれば本当に数が多い。
海に接した島もいくつかあったし、きっと海産物も採れるだろう。ここに潜入していた頃、普通に海産物も出回っていたしな。漁をやっている島があるはずだ。
要するに、明日のセレモニーとパーティーに使う食材を調達に行こうと。そういう話である。
「私は、奴隷の移り住んでいる島に様子を見に行こうと誘いにきたんですが」
ああ、かつてここでやった治療のアレをしたかったのか。
「せっかくの淑女からのお誘いだけど、悪い。中継島だの開局のノウハウだの、ヒエロに聞きながら手伝いに行く予定なんだ」
クリストは、アルトワールの王太子夫妻にちょっと挨拶に来ただけ、だそうだ。第二王子ヒエロと同じように知った仲らしい。
――と、そんな方針から予定を立て、私たちは一時解散とした。
私は、すでに明日のための仕込みを始めていた料理関係の責任者……アルトワール王城から連れてきたという王宮料理長に「海産物を仕入れたら使えるか?」と伺いを立てに行った。
「予算内分なら買い取る」という返答を受けて、仕入れることを決めた。特にカニを探すつもりだ。
なお、対価は期待していなかったが、くれるというなら貰っておこうと思う。
聖女フィリアリオは、一足先に多く奴隷が住む農業島を回り、治療が必要な者を集めておくそうだ。
私の漁は午前中に済ませ、午後からは聖女に付き合う予定だ。
もうすぐ引退するにしても、やはり聖女らしい献身の気持ちは、今も根強く抱いているらしい。
彼女の手伝いならば、労も時間も厭わないくらいには、尊敬に値するし好感も持てる姿勢である。
クリストは王太子夫妻に挨拶に行ったしその後の予定もあるので、合流はない。
……と思ったのだが、
「――俺が知る限りのカニ料理、一応シェフに伝えとくよ。ヴァンドルージュのカニ料理は日々進歩してるからな」
まあ、あまり期待しないが気持ちはありがたく受け取っておこうと思う。
こんなところにまで持ってきた書類仕事に忙しそうな両親にほかの島を見に行く許可を取り、私とリノキスは港へ向かった。
聖女たちとは午後に合流なので、午前中は別行動だ。
今頃はもう島を出ているかもしれない。
港へ到着すると……おお、これはこれは。
――本日到着予定の来賓が多いとは聞いていたが、こんな朝早くから、港にはたくさんの人が溢れていた。
身形がいいのはセレモニーの客で、そうじゃないのは飛行船の乗組員や使用人だろう。
そこに各局の撮影班も混ざり、なかなかにぎやかなことになっている。
なんとはなしに人の群れを見ながら、島間移動に使っている単船か小型船を借りようと桟橋の方へ行き――
「……?」
私の目が止まった。
身形の良い子供である。
ミトと同じくらいだから、十歳くらいだろうか。
男の子なのか女の子なのか判別しづらい中性的な顔立ちで、あの頃の兄に負けず劣らぬ可愛い子供である。男にしろ女にしろ将来は美人になるだろうな、という感じだ。
引っかかったのは、表情だ。
ひどく暗く、無表情で俯き、瞳に生気を感じない。
まるで赤島にいた、人目を避けるようにして息を殺して生きていた、子供のような表情である。
どこかの国の要人の子だろうか。
なんだってあんな表情を……嫌なことでもあったのか? もしかして今到着した乗り物酔いか? 飛行船酔いか?
…………
「お嬢様? どうしました?」
「――なんでもない」
アルトワールの者なら声を掛けたかもしれないが、あれは他国の子だ。不用意かつ無遠慮に声を掛けるべきではない。
……気に止めておくか。あとでどの国の子か調べておこう。
その子の名は、アルコット・ジェイズ・ハーバルヘイム。
ハーバルヘイム貴王国の第七王子であり――
とある事件を引き起こす元凶とも言える存在だった。