表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
352/405

351.虎尾の始末





「老い先短い爺の頼み、聞いてくれんか? ――この通りだ」


 ふむ、頼み事か。

 老人のこの雰囲気からして、内容は荒事っぽいな。


 ――というか、なんとなく、聞く前からわかる気がするが。


 でもまあ、一応聞いておくか。


「空賊列島の件ではお世話になったから、何事だろうと前向きに考えるけど。でも内容を聞かないとなんとも答えられないわね」


 あの件で、外交官であるリントン・オーロンとこのウェイバァ・シェンに借りができた。それが理由でこうしてウーハイトンに来ているわけだが。


 意外と、思ったより生活が楽しいんだよな。

 この時代の武にはもう一切期待していなかったのだが、意外や意外、武勇国の面でも悪くない。


 きっと私は、弟子を育てるのが基本的に好きなのだろう。

 この国で出会う者出会う者、ほぼ全員を弟子候補として見てしまっている。


 もちろん、実際に弟子に取るかどうかは別問題だ。

 ジンキョウだけでも結構せっつかれることがある現状、また弟子が増えたらいろんな人に文句を言われてしまうだろう。


 皇帝ジンジもよくしてくれているし配慮もしてくれているのだ、無駄な混乱を招くような真似はできない。


 ――まあ要するに、この国に招かれたことが貸し借りの解消となるなら、少しばかり釣り(・・)を渡してもいい気分なのだ。


 何より、ミトが学校に行くことになったのは、紛れもなく土地柄のせいもあるだろうから。


「内容か……」


 ひたりと、ウェイバァ老の双眸が私を見据える。


「――おまえさんくらいの境地に至る者なら、わかりそうじゃがの?」


 …………


「まさか『虎尾の始末』でもつけろと?」


 真っ先に脳裏を過った予想を口にすると、爺は瞳に殺意に似た色を宿してニヤリと笑った。


「やはりわかるか」


 やはりか。


 ならば、さっきリノキスは「漲っている」と言っていたが、それは間違いではないということになる。


 私が見た感じでも、相当仕上がっている。

 少し大きくなった肉体は、恐らくは鍛えなおしてきたのだろう。


 そしてまとう気配は、はっきり言うなら常在戦場。

 少しばかり戦場に身を置いて、ほんのすぐそばに生死の境を感じていれば、これくらい感覚が鋭敏になるだろう。


 ――つまり、今できる最大の準備を整えてきた、ということだ。


「おまえさん、英霊じゃろう?」


 おっと、急に来たな。


「追及するつもりはない。おまえさんが過去の誰で、何者であったかも聞かんよ。

 ただ――ここまで強ければ、人の百人や二百人は殺して来たじゃろう。よもや千人二千人でも足りんかもしれん。

 その中に、この爺を入れてほしいんじゃよ」


 ……ふうん。


「わしはな、わしより強い者を探すために外交使をやっておったんじゃよ。この国にわしより強い者はもうおらん。だから外国に求めるようになったんじゃ」


 それで、私を見つけたと。

 確実に自分より強い存在を見つけてしまった、と。


 …………


 虎尾の始末、か。


「武勇国ウーハイトンでも、今では珍しいんでしょう?」


 その「虎尾の始末」にしたって、ここウーハイトンでいろんな武にまつわる話を聞いた上で知り、そういえば昔もそういうのがあったなと思い出したくらいだ。


 そう、それは前の私(・・・)の時代にもあった、古いやり方なのだ。


「そうじゃな。滅多にないじゃろうな。――だが、わしはどうしても一つの武人として死にたい」


 と、ウェイバァ老はもう一度、深々と頭を下げた。


「後生じゃ。わしを虎として死なせてくれ」





 虎尾の始末。

 簡単に言えば、「死ぬための試合」のことだ。


 人は衰える。

 人は老いる。

 人は朽ちる。


 それは人間じゃなくとも、生物にとっては当たり前に存在する生死の宿命というものだ。どんなに抗おうと逃れられないものである。


 そしてこれらは、二重や三重の意味になっていることが多い。


 一つは肉体の衰え。

 もう一つは、魂の衰え。


 あとは個々の生き方や生き様で、いくつもあるかもしれない。


 ――武闘家にとっては、長い長い年月を掛けて身に着けてきた武そのものが対象となる。


 肉体の衰えに比例して、力も技も衰えていく。

 身体が自由に動かなくなり、あれだけ必死になって習得した奥義は二度と使用できない。爪先から砂となり散っていくように、自分の努力が亡くなっていくのだ。


 武に入れ込み、武しかない者にとっては、恐怖以外でしかない。


 強者が強者ではなくなっていく。

 どんなに努力しようとそれを止めることはできない。


 ならばいっそ――そう考えたのは、弱さゆえなのか強さゆえなのか。


 老いさらばえて衰えた虎であろうと、もはや虎の尻尾程度の強さしかなかろうと、虎として死にたい。


 虎が虎である内に――武闘家が武闘家である内に、武闘家として死にたい。

 

 そうして生まれたのが、虎尾の始末だ。





 確かにウェイバァ・シェンは、もう高齢だ。

 きっと今は、全盛期の強さとは比べ物にならないほど弱いはず。


 このまま老衰で武闘家ではなくなるくらいなら、武闘家として……と、そういう気持ちなのだろう。


 ――その気持ちがわからないわけがない。

 ――前世(・・)では、私もそれを望んだからだ。


 ただ、私は結局老衰で死んだんじゃなかろうか。

 誰も殺してくれなかったはずだから。


 ベッドの上で、ゆっくりと死んでいったのは覚えている。

 老人としても、武闘家としても。


 あの頃の私を何を思っていたのか……ただ、私も武闘家として死にたかったと思ったのは、間違いない、はずだ。


「気持ちはとてもよく理解できるんだけど」


「では、立ち会ってくれるか?」


「あなたがそれを望むなら。武闘家として死にたいという意気は理解できるし、私は特に拒む理由はないわ」


 ウェイバァ老はきっと、思いっきり戦って死にたいのだろう。

 そのために身体も感覚も仕上げて、できるだけ全盛期に近づけてきたに違いない。前に見た時よりは確かに強いと思うし。


 ただ――ただ、なぁ。


「ウェイバァ老は、今年でいくつ?」


「六十九。来年の頭には七十になる。長生きじゃろ?」


 うーん。


「死を望むにはちょっと早くない? 百二十歳前後までは伸びるでしょ?」


「……は?」


 そもそもだ。


「あなたはまだ、死を望むほど強くないと思うんだけど。そんな吹けば飛ぶ程度の武しかないなら、わざわざ武に入れ込んで死ぬことないじゃない。これから楽しいことだけしてしっかり楽しんで逝くといいわ。私だって好きで人を殺したいわけじゃないし」


 ざわ、とウェイバァ老の全身から殺気が放たれる。


「わしは弱いか?」


「あなた個人が弱いんじゃなくて、この時代(・・・・)が弱いのよ」


 そこまで言って、私の我慢が限界に達した。


 ――そう、この時代(・・・・)だ。


 私はこの時代(・・・・)に対して、もう、言いたいことがたくさんあるのだ。鬱憤が溜まりまくっているのだ。全員弱すぎて反吐が出るのだ。


「あなたは『氣』を身に着けて何年経つの? なぜそんなに弱いの? 師から何を学んだの? 師を馬鹿にしてるの? この程度習得すればそれでいいやとか半端に満足したの? それともちゃんと教えられる前に師から見放されたとか? ねえ、なぜそんなに弱いの?」


「…………」


 ウェイバァ老の殺気が消えた。

 呆然として、私の問いに、何も答えられないでいる。


「お……お、お……」


 お? なんだ?


「おまえさんがウーハイトンに『気』を伝えたんじゃろうが! 武神リュト・ビリアン! わしの師はおまえさんの弟子の弟子で、師はちゃんと免許皆伝したと言っておったぞ!」


 …………お?


 …………


 え?


「リュト・ビリアンって誰?」


「おまえさんじゃろうが!」


 え?


 ……いや。


「人違いというか、英霊違いだと思うけど」


 まあ私も、前の私(・・・)の名前なんて思い出せないけど。


 でも、その名前じゃないことはわかる。響くものがないから。

 この心の素通り感は完全に他人の名前だと思う。しかも全然知らない人だ。誰だ。武神? 気になる二つ名じゃないか。


「……ち、違うのか!? だったらおまえさん誰じゃ!?」


 誰と言われても。


「さっき追及はしないって」


「さっきとは事情が違うわい!」


 …………


 確かにちょっと、事情じゃなくて話の論点が違ってきているな。

 私も少しばかり気になることがある。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
英霊違い草、まあだろうな
ニアの前世ってかなり派手にやったにも関わらず武術家として伝わってないということは、神にカテゴライズされてない?笑
毎回最後にコメディー的な落ちを持ってくるの上手いな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ