329.忘れていた恐怖の
「――なっ……嘘……っ!?」
見た瞬間の違和感。
知らない顔だと思っていたのに、知っていた顔だったから。
それも、絶対にここにはいない顔だったから。
それに伴う謎の悪寒と言い尽くせぬ不安に、胸が締め付けられる。
気づいた瞬間に走る驚愕。
嫌でも蘇る過去の記憶に、冷や汗が頬を伝う。
なぜだ?
奴か?
本当に奴か?
目の錯覚ではなく、本当に奴なのか?
本当に奴だと言うなら、なぜここにいるのだ? なぜここに――
「――あっ、ニアちゃ~ん! 久しぶりだねぇ! おお、すっかり大きくなってぇ! もう立派な淑女だねぇ!」
奴が私に気づき、にこやかに笑いながらやってくる。
相変わらずくどい顔だ。
もう四十前後のはずの年齢にしては、若さとさわやかさを感じる笑顔だが。
私はもうその笑顔に騙されるほどの子供でも、この時代知らずでもない。
思わず逃げ出したい気持ちになるのをぐっと抑えつつ、その場に踏みとどまった。
「――お久しぶりです、ベンデリオ様」
長く会っていなかったせいだろうか。
かつて私を、過密スケジュールという名の地獄に度々落としてくれたこの男を見た瞬間、はっきりと恐怖を感じた。
戦うだけでは済まない複雑な世界で、単純な世界でぬるま湯に漬かっていた私を、散々追い込んでくれた輩だ。
そしてその世界では、彼は私の師匠である。
…………
やはり、どんな世界においてもどんな業界においても、師とは弟子にとって頭の上がらない存在だということなのかもしれないな。
鳳凰学舎への通学が始まり、ウーハイトンでの日常生活が始まってすぐのこと。
起床し、軽く修行して通学。
学校で戦ったり戦わなかったりして過ごし。
帰宅。
訪ねてきた武闘家たちをささっと処理し、己の修行に入る。
それから風呂に入って就寝。
そんなサイクルで日々が回るようになってきた頃。
「今からニアちゃんの家に行こうと思ってたんだ。いやぁ、ここで会えるなんてツイてるなぁ」
学校からの帰り道、上台には珍しく六人ばかりの集団が歩いていた。
ここはアルトワールやマーベリアで言うところの、貴族街になる。
馬や馬車が移動している姿は見ても、集団がぞろぞろ自分の足で歩いている風景は、非常に珍しいのだ。
何事かと見れば――その中に知った顔を見つけて、思い出したくない過去の記憶に恐怖した、というわけだ。
ベンデリオ。
なんだかんだで付き合いは長いくどい顔だが、詳しい身分は聞いていない。
リストン家当主である父オルニット・リストンの部下で、放送局のお偉いさんだということしか知らないが……まあその辺の肩書は私にはどうでもいいか。
「もしかして撮影班?」
ベンデリオの後ろには、五人の大人がいて――なんとなく見覚えの顔もある。恐らくマーベリアに留学する前に、何度か撮影現場で見かけたリストン放送局の局員だろう。
「そうだよ。先に言うけど、僕は現場監督として、君を長期に渡り撮影するために来た」
えっ。
「長期に渡り……?」
いるのか?
この男、まさか、この先しばらく私と一緒にいるというのか?
不安が……あるいは不満が顔に出たのか、ベンデリオは苦笑する。
「その節は悪かったよ。ニアちゃんが下手な大人よりもできるばかりに、あれもこれもと隙間なく無理に押し付けてしまった。
でも、今回は決して無茶なスケジュールは組まないから。もうあの頃とは事情が違うし、そもそもそういう撮影じゃないしね」
…………
「…………あの、今更信用できないのも無理はないかもしれないけど、無視はやめてね? おじさん悲しくなるから」
…………
まあ、なんだ。
ベンデリオがわざわざ外国まで会いに来たということは、これは確実に父親の、リストン家の意向だろう。
彼に八つ当たりするのは、ちょっと筋違いになってしまう。
――なんて簡単に納得できれば苦労はしないが。
だが、リストン家の意向なら、私に断るという選択肢はない。
……まあ、マーベリアに留学して楽をした分が、今になってようやく回ってきただけの話なのかもしれないな。
「何を撮影しに来たの?」
「ニアちゃんの戦う姿だよ」
……戦う姿?
借りている邸宅に向かいつつ、ベンデリオがここに来た理由を簡単に説明してくれた。
「この前の夏休みの映像がね、少し前にアルトワールで放送されたんだ」
ああ、ヒルデトーラとレリアレッドが来たあの番組か。
「二年ぶりのニアちゃん登場で、大いに話題になったんだけど――最後の方に映った、ニアちゃんと武闘家が戦ったシーンが特に話題になってね」
あ、あの。
古式なんとかとかいう流派の武人が突っかかってきたあれか。
「あれ放送したの? カットになると思っていましたが」
一応カメラは回っていたが、あれはイレギュラーもイレギュラーだったから。
完全に撮影の予定にない事故のような出来事だったし、番組の傾向にも沿っていなかったので、あの辺は全カットするかと思ったのだが。
しかし、放送したのか。
「武勇国ウーハイトンを語る上では、決して邪魔にならない映像だったからね」
そう言われると、ウーハイトンを知れば知るほど反論はできない事実ではあるが。
この国を語る上で、武を欠くことはできないから。
「でも子供三人のウーハイトン観光みたいな番組でしたよ?」
子供たちの夏休み海外旅行的な、明るく楽しいだけで、大人には刺激が少ない子供向けの番組だったはずだ。
で。
果たしてそこに赤 (血)が出るような暴力シーンが混入していいものなのか? という話である。
「大丈夫。却ってニアちゃんが武客として呼ばれている、という説明の裏付けになったから。だから邪魔じゃなかったんだよ。
それに……言い方は悪いけど、冗談みたいな勝ち方だったじゃない?」
確かに言い方が悪いな。
あの挑戦者は、決して弱くはなかった。
素人が「冗談みたいな勝ち方」なんて語られる程度の武人では断じてなかった。
……「子供が大人に拳一発で勝った」という事実だけ見れば、まあ、冗談みたいではあるが。
ただ、それは私が強すぎるだけで、そう見えただけだ。
ヒルデトーラたちが飛行船で発つ直前で、時間の余裕がなかったから、さっさと済ませてしまったが……うん、断じて弱くはなかった。少なくともこの国の武人の中では。
「そこが話題になったんだよ。――果たして本当にニアちゃんは強いのか、ってね」




