295.空賊列島潜入作戦 本体 7
時刻は明け方。
まだ世界が半分寝ていて、半分が朝陽に照らされている頃。
聖王国アスターニャのとある下層の領空で、一隻の船が空賊船に襲われていた。
まあ、見た目だけの話だが。
約束の日時に、約束の場所で、約束した合図を交わして。
薄暗い闇夜の中でも目立つ白い空賊船が、聖王国アスターニャの紋章が入った大型船に接触した。
人目のない時間を狙ったが、遠くから誰が見ているかもしれないので念のために「適当に追い駆けっこの末に捕まった」と対外的に見せつつ、打ち合わせ通りに合流する。
船を横付けし、足場となるハシゴを掛けて、まずリーノとガウィンが先行。
簡単な打ち合わせの後、四人の人間が新たに空賊船に移ってきた。
「――というわけで、聖女のフィリアリオ様と、護衛のライジ殿だ」
と、船員全員を集めた甲板の上で、ガウィンは新たな乗員を紹介した。
つややかな銀髪が美しい女性と、白金に輝く聖騎士の鎧をまとった背の高い青年。
見るからに品がよく、美しく、汚れなく。
どちらも敬虔なる女神教の信徒であり、また高い意識で教義を体現して高潔さを身に着けた者たちである。
聖女も聖騎士もかなり身分が高いだけに、船員全員にちゃんと紹介したが――見た目からして、紹介せずともこの二人を軽視し無礼を働くような者はいないだろう。
だが、まあ、念のためだ。
「あとフィリアリオ様の身の回りの世話をする侍女が二人」
――この侍女二人は、アルトワール第二王女アーシアセムと侍女ルナリナなのだが、あくまでも今回は聖女の世話をする侍女役である。
さすがに大っぴらに王族までいることを喧伝するのもアレなので、名前は言わないことになっている。
アルトワールの王族は、瞳を見れば一目瞭然だが……ここで紹介しないことの意味くらいは皆察してくれるだろう。
「フィリアリオです。奴隷として精一杯努めたいと思います。よろしくお願いします」
「ライジです。鎧はすぐに脱ぎますので。よろしければ誰か空賊の振る舞いを教えてくださいね」
こうして、命を捨ててでも聖女を守る高潔にして優秀な聖騎士と、フィリアリオの誘拐……
歴代の空賊にもできなかった「聖女誘拐」という、世紀の大悪事が達成されたのだった。
冒険家リーノ改めキャプテン・リーノが船長を名乗り、空賊団雪毒鈴蘭はすでに空賊活動を開始し、着実に知名度を上げていた。
というのも、仕込みである。
最初から十八通りのポイントと日時を決めておき、そこにセドーニ商会が商船を送ってくれるので、それを襲って荷を奪うという、いわゆるマッチポンプ式の実績作りを行っている。
もちろん商船側には事情が伝わっているので、下手な抵抗はしないよう互いに理解している。
そもそも奪う荷物だって、食料や燃料などである。いっそもう「ただの補給」とでも言った方が相応しいアレである。
時々元空賊リグナーが商船に乗ってきて、空賊業に関するレクチャーをしたりもする。
空賊団雪毒鈴蘭の船には、四国を代表するような優秀な人材ばかり集まっているが、生粋の空賊なんて一人もいない。
なので、これが何気に役に立っていた。
そして、今――
「撃ってくるぞ!」
「高度を下げて回避する! フレッサ、まだ撃つな!」
――「あいよ!」
操舵室の窓から周囲を見ているキャプテン・リーノの声に合わせて、豪快に舵輪を回すガウィン。そして彼の注意は、管声官を通して甲板で大砲の標準を合わせているフレッサに届く。
そして今――本物の空賊との戦闘が行われていた。
これで三回目だ。
最初こそ戸惑うことも多かったが、数少ない実戦は着実に見に付いてきている。
空賊列島に行ってからも、何があるかわからないので、空中戦の経験は必須だとガウィンは考えていた。
それだけに、逃げることは考えず、いろんな作戦を練っては実戦で試している状況である。
今度の敵戦は二隻。
空賊のマークからして、空賊団双頭鮫だ。実績はそうでもないが、それなりに長く空賊業をやっているだけあって、知名度だけは高い。
なんとか二隻で挟み込もうと、挟撃を仕掛けてくるのを注意しつつ、今は――
ドン! ドン! ドン!
向こうの砲撃を必死で回避していた。
船の上の方なら、甲板にいるガンドルフとウェイバァ・シェンが、ある程度は砲弾を受け止めるが。
船体、横っ腹の方はカバーできない。
なんとか船体を狙わせないよう立ち回るのが、この船での基本である。
――「ガウィン! アンゼルが左舷の船に乗り込んだ!」
管声官から、勝利を告げるガンドルフの声が聞こえた。
できるだけ敵の興味を引きつつ避けていた――その間に、アンゼルが単船で敵戦に乗り込むことに成功したようだ。
これで左の船はもう落ちた。
リーノ、アンゼル、フレッサ、ガンドルフ。
この四人はかなり強い。
強い者などたくさん見てきた軍属のガウィンが驚くほどに強い。
武勇国ウーハイトンで最強とも言われるウェイバァ・シェンが強いのは知っていたが、彼に勝るとも劣らないのだ。
誰一人としてヴァンドルージュの民ではないところが惜しくもあり恐ろしくもあるが――今はとても頼もしい味方、頼もしい戦力である。
「わかった! ――フレッサ、寄せるぞ! 撃つ準備を!」
――「いつでもいいよ! ……あれっ聖女様!? なんでここに……えっ撃ちたい!? 大砲を!?」
…………
――「撃ちたいならしょうがないなぁ……標準はここを見て――」
パタン
何やら聞こえてはならない声が聞こえた気がして、リーノは管声官の蓋を閉めた。
彼女がやらなければ、舵取りに忙しいガウィンがやっていただろう。舵から手を放してでも。
「なあリーノ。今なんか聞こえたか?」
「いいえ。私は何も聞いてない。聖女ともあろう方が空賊に対して砲撃を行うわけがないし。そんなの常識だし。やるわけないし。やることさえ考えないし」
ドン! ガィィィン!
飛んできた金属製の弾が、空中で弾かれた。
――まるで見えない壁……魔を退ける「聖女の結界」にでも当たったかのようだが、もちろん聖女が空賊業の手伝いなんてするわけがないので、絶対に目の錯覚だ。きっと偶然飛んできた鳥か飛行魚にでも当たって弾が逸れたのだろう。
まあ、なんだ。
あれだ。
とにもかくにも今がチャンスだ。
弾込めには時間が掛かる。
敵戦は今大砲を撃ったので、今なら近づける。
一発お見舞いして怯んだところを更に接近、ガンドルフ辺りが敵船に飛び移れば終わりである。
「リーノ! 頼む!」
「う、うん……――撃てぇ!」
かなり気乗りはしていないようだが、チャンスはチャンスである。
リーノは、船を寄せつつあるガウィンの指示に従い、蓋をした管声官を開けて極々短い指揮を下す。
そしてすぐに蓋を閉めようとした、が――
ドン!
――「当たった! 当たりましたよフレッサ!」
その声に本当に驚いてしまい、蓋を閉じるタイミングを逸してしまった。
まさか本当にやるなんて、と。
――「おーすごーい」
――「お見事です、フィリアリオ様。でも聖王国では絶対にこのことは言わないでくださいね。許した、いや私の目を盗んで撃ってしまったことですが、私の責任問題にもなりえますので」
パタン
…………
「何か聞こえた?」
「いいや? 昨日の酒のせいかな、今の俺には幻聴しか聞こえないね」
「ああそう。……私は今飲もうっと。忘れるまで飲もうっと」
空賊団雪毒鈴蘭の実績作りは、順調に進んでいた。