283.空賊列島潜入作戦 9
「これで、一応は一段落でしょうか?」
暗い顔こそ変わらないが、生活態度と発言は一番変わったアシールは、今日はリリーの治療の手伝いをしていた。
リリーは「うん」と頷き、凝り固まった首をコキコキ鳴らした。
「あとは大きいのだけ残ったわね。治療はしたいけど時間が……」
と、執務室の半分を占める無駄に大きなベッドの上で、子供数人と豹獣人ルシエドを寝かしつけているルイザに目を向ける。
二番目に年長者であるルイザの母性は惹かれるものがあるのか、彼女に懐いている子供は多い。
特に、奴隷生活にまだ慣れていない子供は、ルイザを頼りにしているようで、彼女と一緒に寝たい子も多いのだとか。
「少なくとも一週間だものね。長いわよね。まあ、私はいつまでも待てるけど」
そう、なんだかんだでまだルイザの足の治療ができていない。
そのほか、欠損や重い病などを抱えている奴隷も居て、そちらもまだ手付かずだ。
先天的でなければ指や四肢も再生できる。
ただし、欠損部位が大きければ大きいほど、やはり時間が掛かってしまう。指くらいならすぐに再生できるが、腕や足ともなると手間も暇も掛かる。
今のリリーは、この先の予定が不安定だ。
ある程度は予定通りだが、細かい部分はだいぶ予定から逸れている、というのが現状である。
暴走王フラジャイル不在も、その予定外の範疇である。
――めぼしい空賊団は襲ったし、大きな娼館もだいたい制圧した。
すでに五百人を越える奴隷が集まっているし、そろそろ打てる手が少なくなってきていた。
もしあと数日、待ち人たるフラジャイルに動きがなければ、予定にない次の行動を始めるべきだろう。
四空王が支配する四つの島の他、生産島と呼ばれている畑がある島があり、奴隷たちはそこで空賊たちへの食料やら何やらを作り続けているのだとか。
この赤島でやることがなくなったら、そっちの調査をしてもいいかもしれないと、リリーは漠然と考えていた。
「足の腱の治療……リリーちゃんは本当にできるんですか?」
ルイザの足を見ていたアシールの改まった質問に、リリーはさっきと同じように「うん」と頷いた。
「あの……では、もしかしてリリーちゃんは聖女なの……?」
「聖女? ああ、違うわね」
――かつては世界中で大きな権勢を誇っていた教会……その総本山と言われている聖王国のシンボルともなった存在。
それが聖女である。
色々な逸話はあるが、それらを削ぎ落して現代風に言うと「治癒能力の高い神聖魔法が得意な者」という認識になる。
女神への祈りや節制、清貧という制約の下、聖なる力はその強さを増していくのだが……
しかし「世界が狭くなった現代」で言うと、やはり時代遅れ感が非常に強い。
聖女の力に代わる魔法薬が開発されたり、古代魔法が見つかったり、とある国では死亡率が高い流行り病も隣国では治療薬があったりと。
各国間を非常に早く移動できるようになってからは、聖女の需要が落ちたのだ。
聖女じゃなくても聖女ができることを代用できる方法がある。
この事実が、聖女の価値を大きく下げ、それと同時に教会の権威を下げることになった。
昔は一国を相手取り法外な治療費を吹っ掛け、あらゆる国と肩を並べる最大勢力とも言われた教会。
聖女にしか使えなかった強い癒しの魔法は、外交で使える唯一無二の強いカードだったのだが……
――聖王国アスターニャは、宗教色こそ強いものの、今では割と普通の国となっている。
「私の治療は魔法じゃないからね。それにほら、聖女って銀髪が多いんでしょ? 私は見ての通りだし」
「そう、ですよね…………正直に言って聖女にできないすごい治療をしてますけど……」
リリーの治療は魔法ではない。
この島の奴隷が着けている「隷属の首輪」は、色々な制限をつけることができるが――一番普及しているのは「魔力封じ」である。
アシールとしては、やはりリリーの治療法が気になるのだが……
「もしかしてアシールはシスターなの?」
祈りだの聖女だの神聖魔法だのと、彼女からはそれに属するキーワードがよく出てくる。
そんなルイザの質問に、
「正確に言うとなり損ねですね。私には神聖魔法の素質があるので、聖王国の学校へ行く予定だったんです。向かう途中で空賊にさらわれましたが」
本当に人に歴史ありである。
「事情はどうあれ、もうこの身は穢れてしまいました。女神様のお膝元と言われるあの国の学校へは行けなくなりました」
「ん? そうなの?」と首を傾げるリリーに、「はい」と応える。
「女神様の教えで、穢れを知る身は聖女にはなれないそうです。なので男を知らないことが聖王国の学校の入学条件なのです」
「女神の教えで? 聖女になれないの?」
「ええ」
「えっと……教会の主神は、女神アキロロナティスだっけ? 愛と慈しみの象徴だったわね」
「はい、そうです」
「――ああ、ならそれ後付けの嘘よ。聖女にはきっとなれるわよ」
「え。あ、あとづけ……?」
「うん。アキロロでしょ? あの子、旦那や恋人の浮気には怒り狂うけど自分の浮気には甘いタイプだから。まあ人と神の感覚ってかなり違うから、解釈の違いなんかもあるんだろうけどね」
表情の乏しいアシールでさえ驚く発言だった。
「あの……アキロロナティス様は、夫や恋人の不貞は許さないけど、女性の不貞には、その、大らかだと……?」
「癒しは愛。愛は慈しみ。愛を知らずして誰かを癒し慈しめると言うの? だから女はたくさん愛し、たくさん愛されるべきなのよ、とかなんとか言ってたかなぁ。でも献身と誠意がない男の愛はこの世で最も穢れた感情だから嫌なんだって。
だからアキロロを信仰する聖女になりたいなら、別に処女じゃなくても大丈夫よ。むしろ多少色々あった方がご利益もあるんじゃない?」
「は、はあ……」
まるで顔見知りかのように、文献では見たことのない新説を唱えるリリーの言葉に、なんとも返せなくなる。
「でも聖王国と言えば、今度聖女がこの島に――」
更にリリーがかなり気になることを言いかけたその時、荒い足音とともに執務室にエイダが飛び込んできた。
「リリー!」
毎日食事を作ったり洗濯したり掃除したりと、元気な奴隷たちにテキパキと指示を出して子供たちの母親みたいな立ち位置になっている年長者のエイダが、まっすぐにリリーを見る。
子供が寝てるから静かに――と言う前に、彼女は告げた。
「フラジャイルが帰ってきたって! もうすぐ港に着くらしいよ!」
なるほど、焦って急ぎもする用事だった。
「わかった。ありがとう」
ここ数日……いや、この島に来てからずっと標的としていたフラジャイルの情報である。彼女らはリリーがそれをずっと待っていたことを知っているのだ。
流れに任せて思わぬ宗教の話となったが、世間話はここまでだ。
「ちょっと行ってくる」
ようやく待ち人が来た。
標的と定めていたリリーも、逃げようにも逃げられなかった空賊たちも、多くの者が待っていた暴走王の帰還である。
リリーは早速、港へ向かうことにした。