280.空賊列島潜入作戦 6
「――戦蚊軍船の船が二隻やられたってよ!」
「――見張りはぶっ飛ばされてて武器とか財布とか取られてたって!」
「――もしかして今噂の『空賊狩りの盗賊』の仕業か!?」
等々、朝から赤島は大騒ぎとなっていた。
空賊らしき連中から、商人から、ここでそれなりの生活をしていそうな奴隷たちまで。
港に停船していた空賊船が二隻もなくなった大事件に、右に左に走り回っている。
真偽が怪しい酔っぱらいの目撃情報から、船は海に落ちたらしいが――
海面を調べて、浮かんでいる船らしきものの残骸……それも空賊戦蚊軍船の旗やマークが発見されたことで、誰かに墜とされたという線が濃厚となった。
原因はまちまちだとして、偶発的かつ偶然で飛行船が墜ちることはあるかもしれない。
だが、二隻同時に墜ちるなんて偶然は、早々ない。
それゆえに、「船を墜とした犯人がいる」と考える者が多かった。
空賊戦蚊軍船は、小型船七隻からなる空賊団だ。
暴走王フラジャイル傘下の空賊一味の一つで、総員百名を超えるなかなかの規模の空賊団である。
「――物騒ね」
大の大人から悪党まで大騒ぎしている中、黒髪の少女と金髪の奴隷が落ち着き払って道の端を歩いていた。
「……本当にやったのね」
リリーとオリビエである。
彼女たちは、ここ数日で圧倒的に消費量が増えた食料や生活用品の買い出しに出てきたのだ。
ちなみに買う者と買う場所を変えて数回の買い出しに分割することで、消費量の多さを誤魔化している。
一度に買うと、何十人分の大量買いとなってしまう。
そうなると相当目立つ。怪しむ者が出てくる可能性も上がる。
――いつまでも通じるとは思えない苦肉の策だが、やらないよりはマシである。
「これからどうするの? このままだときっと数日以内でバレるわよ?」
オリビエの推測に、「でしょうね」とリリーは頷く。
空賊連中にはバカが多いが、バカしかいないわけではない。いずれ必ず暗躍するリリーに辿り着く者が出てくるだろう。
そしてその時こそ、あの娼館の最期となるだろう。
空賊狩りを匿っていた娼婦たちも、未だ生かされたまま地下牢に押し込められているバイラスたちも、最悪保護して集めた子供たちも。
きっと全員殺されるか、死んだ方がマシという罰を受けるだろう。
呑気に買い出しに出ている場合ではないとも思うが――
「そろそろ高級娼館も狙い所よね。貯めこんでるわよ、きっと。あと綺麗どころもきっと多いわ。私は知っての通り下級奴隷市場から始めたから、中級から上級の扱いって気になっていたのよね」
「……」
どうやらリリーは、止めるつもりも自粛するつもりもなければ、ほんのわずかな危機感さえもないようだ。
それどころか、今夜どこを狙うのかまで考えている。
この大騒ぎの様子を見て、だ。
いったい何の余裕なのかはわからないが――もう引き返せないオリビエたちは、このままこの少女に付き合うしかないのである。
どうせ最初から逃げ場はない。
今更情報を漏らすのも、初動で動かなければ意味がなかった。むしろこれまで黙っていたことから却って罰を受けかねない。
こうなってしまえば、もう何をどうしようが、この先に待ち受ける悲劇は変わらない。
――いや、変わるかもしれない。
このままリリーのやることについて行けば、考えうる悲劇には、繋がらないかもしれない。
そんなありえない希望を持つのはやめていたはずだが――この数日で、そんな人間らしい希望が心にしっかり根付き、芽を出していた。
「ねえ、どこが狙い目?」
リリーは楽しそうに笑いながら、今夜襲う場所を聞いてくる。
まるで「今度はどこに遊びに行く?」と、先の楽しみの予定を立てるかのように。
「……このままちょっと遠回りして、下見に行きましょうか」
心中穏やかとは言い難いが――それでもオリビエは心の赴くまま、彼女の欲する情報を提供することにしたのだった。
「――じゃあ行ってくるわね」
その日の夜も、リリーは闇討ちと略奪のために、娼館から出て行った。
昨夜、空賊船が墜とされたことで、島中が厳戒態勢にある。
こんな時に出歩けば、見つかるのも時間の問題だが――
――「てめえが空賊狩りだな!?」
出て行ってすぐ、そんな怒鳴り声と、闇夜に轟く笛の音と、男たちの怒号が聞こえてきた。
「……えぇ……」
見送りしたオリビエが頭を抱えた。
リリーが出て行ってすぐにこの騒ぎだ。
見つかるのも時間の問題――どころか、あっという間のことだった。
やはり昨日のことで、相当な厳戒態勢が敷かれていたようだ。
船は空賊たちにとっては命も同然、一蓮托生の存在である。
それに手を出されればどれだけ怒り狂うか、空賊じゃないオリビエにだって想像くらいはできる。
そして恐らくは、オリビエの想像以上に怒り狂っているのだろう。
だからこそこの早さで発覚したのだ。
「ね、ねえ……もしかしてこの騒ぎって……」
二階から、子供たちと寝ていたはずのエスターと、
「まあ、どうせ今日も行くとは思ったけどねぇ……」
エイダが降りてきて、頭を抱えていたオリビエに歩み寄る。
「オリビエ、これまずくない? 逃げた方が……って言いたいところだけど……」
言葉が途切れたエスターが溜息を吐く。
「逃げる場所なんて最初からないだろ。もうなるようにしかならないよ」
リリーを支える決断をし、覚悟を決めているエイダは、このくらいで動じることはない。
「――祈りましょう」
と、アシールまで降りてきた。
「あの子は聖女……ではありませんが、もしかしたら聖女より貴く得難い存在なのかもしれません。運命の神があの子をもたらしたのなら、きっと大丈夫。そうであることを祈りましょう」
祈り。
奴隷としてどん底まで沈んだ彼女たちには、どうしたって触れたくないものである。
神はいない。
自分を助けてくれない。
それがよくわかっているから。
だが――しかし、そう。
自分ではなく他者のためになら、少しだけ、ほんの少しだけ、祈ってみたいと思わなくはない。
「……紅茶でも飲む? 今日あの子が買った秘蔵の茶葉があるわ」
祈る気にはなれない。
だがどうせもう眠れない。
いつ荒くれどもが乗り込んでくるかもしれないが、今更右往左往したって無駄だ。
そんな達観した想いは、オリビエだけではなく、この場の全員がだいたい同じである。
「いいね。じゃあ私は薄いパンケーキでも焼こうか。豪勢にジャムも出そう」
「何を呑気な……でもどうしてもって言うなら付き合うけど」
「では、私はエイダさんのお手伝いをしましょう。祈りながら」
突発的な夜のお茶会が始まる。
最後の晩餐と呼ぶにはささやかすぎるが、これでも彼女たちには贅沢なのである。
途中で豹獣人ルシエドの襲来があり、パンケーキを全部食べて逃げるという一幕もあったが。
久しぶりに楽しい時間だった。
水平線の向こうが明るくなってきた頃、リリーが帰ってきた。
「ただいま。今夜はまあま楽しかったわ」
これまで以上の戦利品を持って。
「あ、それとこの子たちのこともお願いね」
あと綺麗どころの女と男と子供たちも連れて。
――そして陽が昇った頃には、空賊戦蚊軍船が全滅、船員百名余りが血の海に沈んでいたという衝撃の事実が飛び交うことになる。