253.時期尚早の訪問
「お久しぶりです、ヒエロ王子」
私がいない間に応接間に通されていた第二王子ヒエロ・アルトワールは、優雅なティータイムを楽しんでいた。
丸一年以上会っていない彼だが、特に変わりはなさそうだ。
子供たちとサクマを締め出し、密室でリノキスと近況を話していたようだ。
つまり、完全にお忍び入国というやつだろう。
「久しぶりだね、ニア。元気そうで何よりだ」
「そちらもお元気そうで――でも呼んでませんが? 時期尚早でしょう」
一国の王子がお忍びで国境を跨ぐなんて、もし周囲に漏れたら大変だぞ。
ただでさえこの屋敷にはマーベリアの王族もちょくちょく……いや、毎日のように出入りしているのに。
「そうだな。でもどうしても君の状況を知りたくてね」
……そうか。来てはいけないことも承知しているが、承知した上で来たのか。
まあ、アルトワールから追放されて丸一年経っているし、気にはなるか。
「それとヒルデにも頼まれたんだ。もしマーベリア付近に行くことがあれば顔を見てきてくれ、と」
ヒルデトーラがか。
……ああ、そうか。ヒエロが来たのは、ヒルデトーラのためでもあるのか。
「いきなり来てすまなかった。それこそ先触れを出したら情報が洩れると思って、完全に秘匿してやってきたんだ」
私が向かいに座ると、ヒエロは突然の来訪を謝罪した。
「いえ、理由はわかりますので」
私だって同じだ。
アルトワールからの物資や手紙を、なぜ直接港でやりとりしているのか、という話である。
それは、外国に面するやりとりは、どこかでマーベリア側からのチェックが入る恐れがあるからだ。
手紙は勝手に開けて中を検めるし、荷物だって確かめる。そういうことをする――かどうかは実際わからないが、本気でやりかねないと判断したから。
それくらいマーベリアは鎖国気味で、外国人に当たりが強いのだ。
それを裏付けるように、この一年でもいろんなことがあったしな。夜襲とか。
「あまり長居する予定はないさ。すぐ発つつもりだ。だから単刀直入に訊くが――」
リノキスが私の紅茶を淹れテーブルに置くのを待ち、ヒエロは言った。
「マーベリアに魔法映像を導入させることはできそうか? 君の見立てで構わない、意見を聞かせてくれ」
――一年ぶりに会っても、この人はやはり仕事の虫か。働きすぎで倒れなければいいが。
「私はできると思っています。でももう少し時間が掛かりそうですね」
王族、それも次期国王リビセィルと浅からぬ関係を築くことができた。
三女クランオールは魔法映像に夢中だし、商業組合とも組合長と個人的なコネでずぶずぶの関係だ。
一年でこれだけのコネが作れたと思えば、進捗具合は決して悪くないだろう。
ただ、問題はここから先かな。
「でもこの先……マーベリアの鎖国政策を止めさせるには、少しばかり大きなきっかけが必要かもしれません」
「なるほど、目指すは鎖国政策の打破か。……うん、足掛かりには悪くない」
というか政治に明るくない私には、その辺しか思い浮かばなかったしな。あとはもう、トップ陣を暗殺して無理やり国を動かすかくらいだ。
「きっかけか……今度はマーベリアの要人の結婚式でも撮るかい?」
「お国柄からして無理でしょう」
後ろ盾がある私の周辺こそ色々融通が利くようにはなっているが、マーベリアは依然として鎖国気味だ。
海外のよくわからない文化を、大切な結婚式に入れようとは、絶対に思わないだろう。
「まあ、その辺は任せるよ。ニアなら上手いことやってくれるだろう」
元よりそのつもりなので文句はないが、丸投げされるとちょっと引っかかるな。まあ、やるけど。
「アルトワールはどうですか? ヒルデもレリアも変わりありませんか?」
とりあえず、簡単にこちらの状況は知らせた。
次は私の番だ。
私も、私がいなくなった後のアルトワールは気になっていた。
「その二人は、そんなに変わっていないかな。だが魔法映像界隈は大きく飛躍しているよ」
ほう。
「あの『王様落とし穴事件』は、一つの番組ではなく、一つの変換期を告げる代名詞になったんだと思う。
王族、貴族の権威の失墜……まあ元から怪しい感じではあったけど、そのとどめを刺した。
明確な支配者階級社会の終わりを告げた、と解釈した者が多かった。
その結果、それまで魔法映像を静観していた貴族たちが、こぞって参入してきた――今までのように、権力にしがみついているだけではやっていけないと危機感を抱いたんだろう。莫大な資金が投入され、無理やりのように発展が進んだ。
それが君の去ってからの、アルトワールの一年間の動きだ」
…………
「チャンネルも一つ増えた。恐らく今後数年で、もう一つか二つは増えると思う。
それと同時に、ヴァンドルージュにも正式に魔法映像が導入された。まあまだアルトワールとは繋がっていないが――だが過去アルトワールで作られた番組の再放送なんかがもう流れている。
軌道に乗せるまでは我々も協力し、普及率が一定に達したらアルトワールの番組も観られるようにするつもりだ」
……へえ。
「随分動いたようですね」
「君のおかげで、良くも悪くもな。特に貴族たちが本腰を入れ始めたのが大きい。番組も日々たくさん生まれているよ」
そうか、そうか。
「リストン家の事業としては?」
「気にしたことがない。つまりデータ上は順調か、安定した収入を得られている形だな。目に付くほど大きく上がりも下がりもしていないはずだ。
ウィングロード関係の番組をよく放送しているよ。君のお兄さんも頻繁に出ているし」
ほう、兄が。
…………
「それから――」
「ああ、もう結構」
大好きな魔法映像界隈の話だけに乗ってきたのか、ヒエロはまだ私の知らない新情報を語ろうとするが、私はそれを遮った。
「これ以上聞くとアルトワールに帰りたくなるわ」
私の生活の八割を占めていた魔法映像の仕事も懐かしいが、それより続々生まれているという番組が気になる。
建国物語を始め、なんだかんだ楽しい番組も多かった。まあ私よりリノキスの方がたくさん観ていたとは思うが。
まったく。
私もすっかり魔法映像に慣れたし、馴らされたものだ。
お忍びだけにすぐ発つと言っていただけあって、ヒエロは本当にすぐに席を立った。
これから間を置かずマーベリアから出るらしい。
「――ああ、そうだ。ニアに頼まれた建国物語の続きと、新しく追加した広報用の番組。君の侍女に渡してあるから。あとで観てくれ」
「あら……ああ、だから来たんですね」
クランオールからの要望を手紙に書いた、あの件か。
王子自ら荷物の届け物とは、なかなか恐れ多い。
「ニアの様子も見たかったからな。では、また会おう」
別室に待機していた護衛とともに屋敷を出た先で、最後にヒエロはそんなことを言い残して外套をかぶり、顔を隠して去っていった。