249.高みを見せる
「……あのぅ。ぼっこぼこにやられたんですけどぉ……」
はっはっはっ。
「知ってる。見てた」
「『見てた』じゃないでしょう!? めちゃくちゃ強いんですけど! あれ私が勝てる可能性ありました!?」
はっはっはっ。
「なかったね」
「お嬢様!? ねえお嬢様!? なんなのお嬢様!?」
はっはっはっ。
「なんで笑ってるの!?」
はっはっはっ。
いや、リノキスには悪いことをした。
そうだよな。
同じくらい「氣」を使える相手なら、そりゃ根本的な基礎能力が高い方が普通に勝つよな。
人間は虫や動物の力さえ得ようとした。
彼らの動きに習い、学び、模した拳法さえ確立するほど弱いのだ。
同程度の技術を持った上で人と動物が勝負すれば、やる前から勝負は見えている。
「それにしても面白いわね」
武を使う猿か。
猿の型の拳法は知っているが、猿の使う武は前世でも見たことがないはず。だから感動し、非常に面白いと思う。興味深いしもっと見てみたい。
初見の「雷音」をかわす身軽さと、身軽さを活かす長い手足。
隙あらば急所を狙える鋭利な爪。
そして、両手両足頭の上に、更に一つ付け加えた六つ目の武器とも言うべき尾。
いやはや、いいものを見た。
動物と武は、本当は相性がいいものなのかもしれない。
「キーキッキッキッ!」
リノキスの攻撃全てを避け、圧倒的手数で攻め立てた武猿――中くらいだから中猿とでも名付けようか――は、退散するように引いたリノキスを見て笑っている。
遊んでいるかのような戦いだったが、あの猿にとっては本当に遊び程度のものだったのかもしれない。
あそこまでリノキスとの力量差があるとはな。
いやほんと、私の見る目がなかった。奴らは想像以上に強い。
「致命傷は負ってないわね?」
「ええ、なんとか……」
何度か首や心臓、目などを狙われていたが、リノキスは急所だけは確実に守っていた。それ以外はボッコボコに殴られたし、身体中ひっかき傷だらけだが。
よしよし。
「じゃあ今度は私が行こうかな」
中猿はリノキスを殺せたはずだ。
しかし殺さなかった。……まあ、あの戦いぶりからして、殺すほどの相手じゃないと判断したのかもしれないが。あれも私と同じように、いつでも勝てる相手を無益に殺す気はないのだろう。
なればこそ。
もはや獣ではなく、一個の武術家と対するつもりでやらせてもらおう。
――ちょっと人ではないが、こういうちゃんとした他流試合は久しぶりだな。いや、初めてか?
「キッ? ……キッ」
本当に賢い。
前に出た私が、両手を合わせて頭を下げると、不思議そうに見ていた中猿は同じように真似をした。
生き物としては違う存在だが――私も彼らと同じ武の世界に生きる者であることは、やはり伝わっている気がする。
うん。
気に入った。
今より先の高みを見せてやる。そこへ行くきっかけとなるように。
「――ガァァア!!」
先と同じように、ボス熊が開戦を告げる合図に吠えた――と同時に、私は踏み込んだ。
リノキスと同じ初手の「雷音」。
動きの速さも鋭さも威力も似たようなものだろう。
「キッ――キイッ!?」
武猿も同じように避けた。
半歩引いて左後方に飛び、拳の届かない範囲に逸れて、カウンター気味に長い尻尾を振り回して下から顔を、顎を狙って殴り上げる。
しかし。
尾が私に触れるより早く、私の「雷音」が、がら空きの武猿の胴体にめり込んだ。
ものすごい勢いで巨木の方へ飛んでいった。――ボスたち避けたな。受け止めてやれよ。……いや、戻ってくる可能性もあるからまだ手出し無用か。
本来なら届かない位置への打撃。
殴られた瞬間の中猿も驚いていたが、今の不可解現象に周りの猿と熊も驚いているようだ。
「知らなかったでしょ? 『氣』は飛ぶのよ」
動きからして、中猿は「内氣」のみしか使っていなかったからな。
「外氣」を覚えたら、打撃も斬撃も飛ばせるようになる。特に爪の攻撃は殺傷力が上がるはずだ。
この様子からして、中猿どころか彼らにはなかった技術だったようだ。励めよ。まだまだ頂点は遠いぞ。
もしかしたら中猿が戻ってくるかと思ったが――
「……」
どうやら私と同じように、待ちきれない奴もいるらしい。
私の前に、ドス黒い血の跡が残る棍棒を持った大柄な猿が出てこようとしたが――
「ガアッ!」
それを留めるように、威嚇するように吠えながら熊が出てきた。「引っ込んでろ」と言わんばかりに。
そうだよな。
強い者を見れば挑みたくなるよな。
四足歩行でやってきた武熊は、ボス熊より大きい。この中では一番大きい。
そんな者が、後ろ足二本で立ち上がるのだから、より大きく見える。すごいな。機兵より一回り大きいぞ。
しかもこの「氣」の量。
ボス二頭は別格だが、こいつもかなりのものだ。マーベリアは恐らくこいつ一頭で滅ぶぞ。
うーん……あまり見立てに自信がないが、――ヴァンドルージュ皇国で戦った十文字鮮血蟹と同じくらい強いかな。たぶん。
だとすれば、ボス格はあれ以上か。
ふうん。なるほどなるほど。
こいつら全員が相手になれば、少しは楽しめそうだな。
まあ、それは彼らが嫌がらなければの話だが。あとで提案してみよう。
のっそりと壁のように立ち尽くす武熊――名付けるなら特大熊――に、さっきと同じように両手を合わせて頭を下げると、すぐに合図の鳴き声があり。
目の前の武熊が消えた。
私は震えた。
なんという速度!
その巨体でこの速さ!
それに――!
「お嬢様!」
リノキスの声と、一瞬で背後に回った特大熊の振るった一撃は同時だった。
全身を使って、右腕を振り下ろした。
シンプルだが速度も重量も申し分ない、まさしく巨体を生かした必殺の一撃だ。
ドン!
右腕を上げて受け止めると、「雷音」のような激しい音を発した。
いや、理屈では一緒なのだろう。
さっきのリノキスの動きを模倣したのか、それとも元から習得していたのかは知らないが。
「――ほう?」
だが、それで終わりじゃない。
打ち込んだ打撃はおまけとばかりに、振り下ろして来た右腕がそのまま上から圧力を掛けてくる。
このまま潰す気か。
――好い好い。やってみよ。全力で。
「グウウウウ! ガアアアア!! ――ガアアアアアアア!!」
小さな私を潰せない苛立ちの声を上げ、武熊は一度右腕を引くと、ガンガンと何度も何度も振り下ろしてくる。
そのたびに落雷のような音がする。
ほほう、連打もできるのか。リノキス、技でも負けているぞ。まあさすがに比べる相手が悪いかもしれないが。
だが、私はびくともしない。
さすがに圧は無効化してないので、両足が少しずつ地面に埋まりつつあるが。
「――キヒャーーーーー!!」
そんな様子を見てもう辛抱できなくなったのか、さっき前に出ようとして止められた武猿が入ってきた。
とんでもない速さで距離を詰めると、その勢いのまま、持っていた棍棒を横殴りに叩きつけてくる。
空いた左手で受けると、それも音を越えた激しい音がした。
ほう。棒きれで「雷音」を使うか。
いいな、それはもはや道具を使った暴力ではなく、武器を使った技ではないか。
――よかろう。おまえらにも高みを見せてやる。
右腕で熊を、左腕で猿を受けている。
この状態でできることは限られるが――やはり足を使いたい。
大きく右足を上げて、地面に振り下ろす。
――「氣拳・拾震」。
大量の蟻を潰し、おびき出した時に使った技だ。本来は「直接踏む技」ではあるが、こんな使い方もできる。
この技は「外氣」を地面の中に打ち込み、そして拾い上げるように「氣」が戻ってくるのだ。
簡単に言えば、小範囲の地面を壊す技。
直接踏めば衝撃も破壊力も、その一点集中する。だから威力だけはなかなか高い。
そして、私くらいになれば、当然地面から返ってきた「外氣」が舞い上がる。
ドゴン!
私が居る一点を除いて、周囲の地面が大きく陥没する。
踏んでいる地面が一瞬なくなることで、猿も熊も足場を失い――無防備に晒される。
――そこに、地面に放った「氣」が、確かな「重さ」を伴ったまま戻ってきた。
「…!?」
「キヒッ!?
花と土と熊と猿が、大きく宙を舞った。