231.二週間後の迎冬祭の二日前の二日前
「どういうことだ!」
最近腑抜けていたジーゲルン・ゲートが、復活していた。
そして、いつもの余裕綽々な貴族の物腰ではなく、珍しく余裕のない態度で声を荒げた。
――どういうことだ。
――それは、割と本人も思っていることだった。
「……すんません、ジーゲルン様……」
クワイト・サブリは、完全に頭が冷えて、冷静に今の状況を判断し――まずいことになってしまったと、後悔していた。
そして、クワイトが後悔を滲ませてまず詫びたことに、ジーゲルン自身も熱くなっていたものがすっと引いた。
まずはじめに一発くらいは殴らないと気が済まない、とまで思っていたが。
「……エーゲ・ロージスから事の成り行きは聞いている。そこからどうして今に繋がったのかがわからない。
話してくれるな?」
ここまで落ち込む後輩の姿を見たことがなかっただけに、それどころじゃないと思ってしまった。
マーベリアでは、迎冬祭の二日前から、機兵学校は冬期休暇に入る。
学校に属していない者も、普通の人なら仕事をせずゆっくり過ごし、冬と祭りを楽しむのだ。
まあ稼ぎ時の商人や商店などは別だが。
安全な冬を迎えられた喜びに感謝を。
長年、虫の存在を知らなかった民は、今年の迎冬祭からその祭りの本当の意味を知るのだが――それは今はいいとして。
そんな冬期休暇を二日後に臨む今日、学校中に信じがたい噂が流れた。
いや、噂自体は元から流れていた。
ただ「機兵科とどこかの科が揉めている」程度の、具体的な内容がわからない程度に。
そんなのは珍しくもないので、気にしない者も多かったのだが……
しかし、今日。
冬期休暇二日前の今日、具体的な噂の内容が、学校中に広まった。
――曰く、機兵科のクワイト・サブリとエーゲ・ロージスが、シィルレーンの転属を賭けて誰かと勝負する、というものだ。
機兵科で一番腕が立ち、実質科の代表のようになっていたシィルレーンがいない今。
家格も、機兵科での腕も、信頼も厚いジーゲルン・ゲートが、機兵科の代表のようになっていた――いや、男子のみに限れば元からではあったが。
ジーゲルンのことを気に入らない生徒も当然いる。
家が高位貴族、非常に顔が良い、勉学も剣術も得意で、何より機兵乗りとして腕が立つ。ここまで色々揃うとひがみややっかみがない方がおかしい。
しかし、彼の機兵乗りとしての実力は確かである。
機兵科としてはそこに一目置かない者はいない。
クワイトもその一人である。
ジーゲルンは上級生ではあるが、ライバルで、いずれ必ず超えるべき存在だと思っていた。
――だが、今はそういう次元の話ではないのだ。
空き教室に呼び出されたクワイトは、先に来ていたエーゲと、呼び出した本人であるジーゲルンと会い。
そして、今学校中に流れている噂の真相を訪ねられた。
――クワイトの態度次第ではぶん殴ってでも、と思っていたジーゲルンだが、この状況はクワイト自身も相当困っていた。
「最初は本気にしてなかったんす。冗談だと思ってた。だってそうでしょ? 機兵と生身の人間が戦うなんて……」
できることなら、というか、恐らく呼び出されなくとも、クワイトはジーゲルンに助けを求めていたと思う。
それくらい、この状況はまずいと思っている。
「で、ニア・リストンとその場で約束はしたけど、本気にはしてなかったから……そのあと俺にアカシ様が会いに来て、段取りをつけたいって言ってきて。それで引っ込みがつかなくなってきて……」
そして、噂が広まって引き返せないほど追い詰められた、と。
「シィル様を賭けてやるのかい?」
「そう、みたいっす。確かにそう約束した。でも――普通本気にしないでしょう!?」
しない。
機兵に生身の人間が勝てるわけがない。
装甲一枚でさえ、人間にはどうしようもないと思う。
普通は。
「言ったじゃないか。ニア・リストンは普通じゃないから関わるなって……」
シィルレーン転属の少し前に、ニア・リストンにはあまり関わらないよう機兵科に通達を出したのは、ジーゲルン自身である。
親の伝手で、どうも先日の大量虫退治にニア・リストンが関わっていたとかいないとかいう噂を聞いたので、――真相がよくわからないがゆえに、念のために言い含めた。
さすがにシィルレーンが普通科に転属になった時は文句を言いに行ったが……ジーゲルンとしてはその辺のことは思い出したくない。
「ど、どうしたらいいっすか!? これ絶対まずいっすよね!?」
機兵科がほかの科に威張り散らすのは、まだいい。
だが、機兵が人を傷つけるのは、厳罰どころか放校ものである。
機兵はマーベリアの誇りだ。
その誇りが故意に人を傷つけるなど、絶対に許されない。現役機士でさえ解雇処分になりかねない大重罪だ。
――だが、一度交わした約束であることは確かなのだ。
戦う約束をしてしまった。
それを反故にするということは、機兵科の一員としても、機士としても逃げることになる。どんな理由があろうともだ。
だが、やったら放校処分。
やらないと、機兵科が逃げたと笑われ軽視される理由になるだろう。その場合も、もしかしたら、機兵科にはいられなくなるかもしれない。機士に思い入れの強い者は多いから。
エーゲじゃないが、クワイトだって正式な機士になることを目標にがんばってきた。
こんなところで放校処分なんてなるわけにはいかない。
というか、完全に巻き込んだ形であるエーゲにも申し訳ない。ずっと興味なさそうに外を眺めているが。他人事のように見えるが。……彼女の中ではすでにクワイトは見捨てるべき先輩だと認識されてやいないかと疑いたくなる無関心ぶりだが。
「……わかった。君は望んでこの状況になったわけではない。それがわかったのは僥倖だ。私も一緒に考えるから、もう下手に動くな」
「ジーゲルン様……ほんとすんません……」
最悪、当事者に謝って許してもらうという手がある。
幸いというか、個人的にはあれだが、機兵科にはシィルレーンという強いコネがある。
ニア・リストンとはかなり仲が良いようだ。
彼女を通して誠意を込めて謝罪すれば、なんとかなるだろう。
ジーゲルンも謝ろう。
これはもうクワイトとエーゲだけの問題ではなく、機兵科全体の問題だ。
「――ちわーす」
だが、謝るのは最後の手段だ。ジーゲルンだって機兵科である、そう簡単に頭を下げるわけにはいかない。
何か打開策はないかと考えている時、空き教室に入ってきた者がいた。
「アカシ殿……」
「アカシ様……」
かつての機兵科の一人で、今はクワイトを追い詰めた張本人である普通科の生徒。
アカシ・シノバズである。
「探したよぉ。そろそろ本気で困ってるんじゃないかと思ってさぁ」
何が楽しいと言ってやりたいくらい、へらへら笑いながら歩み寄ってくる。
「あ、あんたが追い詰めたんだろ……!」
そう、クワイトを窮地に立たせたのは、アカシである。
クワイトが口ごもれば勝手に話を進め、「やめよう」と言えばもう無理だと断り、さっさと日程まで宣言して――今は学校中に噂を広めて、どうしたって逃げられなくした。
「それはほんとごめんねぇ。あたしもニアちゃんに頼まれたからさぁ、どうしても断れなくてさぁ」
「嘘だろ!」
「いやそこはほんと。あの子にはたくさん貸りてるから。国単位で。だからあたしは、よほどのことがないとあの子の要望は断れないし、断る気もないよ」
――ニア・リストンに関しては謎が多いので気になるところも多いが、今はそれは置いておくとしてだ。
「アカシ殿。何か良い手はないか?」
「ん?」
「君はそれを伝えるために来たんだろう? そうじゃなければここには来ていないhずだ」
「んー。ジーゲルン様、最近ちょっと気が抜けてるって聞いてたけどぉ。ちょっとは気持ちの整理がついたのかなぁ?」
「……それはついてない」
シィルレーンが入学して、すぐに惚れ込んだのだ。
あれから八年間ずっと片思いだ。
勢いで告白したこともかなり後悔しているし、あんなフラレ方をするとも思っていなかった。
シィルレーンなら、百億出しても惜しくない。
本心だった。
百億で彼女が手に入る確証があれば、死に物狂いで金を作る努力も惜しまないつもりだ。今も気持ちは変わらない。
だが、まさか、それ以上の値を付けた者がいる、なんて……
――いかん。思い出すと泣きそうだ。
ジーゲルンは八年分の強い想いに無理やり蓋をして、己ではなくアカシに向き直る。
「私のことはいいから」
「ま、時間もないしねぇ。いじるのはこれくらいにしとこうかぁ」
いちいち腹が立つが、ぐっと堪えて次の言葉を待つ。
「じゃあ、今から言うことをよく聞いてね。あたしとしては、これは一つのテストケースになるとも思ってるんだぁ。ピンチってのは発想を変えると意外なチャンスになるもんだからねぇ。
もしうまくいけば、これまでの機兵の文化も少し変わってくると思うからぁ。今回の騒動もプラスに転じるかもねぇ」
嘘臭いし胡散臭い。
ここから逆転し、プラスに転じる可能性があるとは思えない。
だが、今はアカシに頼るしか、手段がない。
そして、当事者クワイト、まとめ役ジーゲルン、そして傍観しようと思っていたが意外な方向に話が行ってしまい却って一番興味津々になってしまったエーゲを巻き込んで。
アカシの一つの企みが動き出した。
嘘か本当かわからない、前代未聞の噂話が広まった。
誰もが嘘だろうと思ったが、もしかしたら……という期待もあったりなかったりした。
そして、迎冬祭二日前の冬期休暇の日となり。
――噂は本当であったことを知る。
二機の機兵と。
掃討科七年生の四人と。
そして、噂の留学生ニア・リストンと、元機兵科のエースであるシィルレーンと。
遠巻きにほぼ全生徒が見守る中、いかにも何かが起きそうな雰囲気で、彼らは機兵用訓練所の真ん中に集まっていたのだった。




