21.型の訓練に入る
「――へえ。劇団氷結薔薇と言えば、王都でも結構有名な劇団だな」
アルトワール学院が春期休暇に入り、兄ニールが帰ってきた。
その兄は、まず届けられた私の台本――先日請け負った役者の仕事で使う物を捲りながら、そんなことを言う。
「らしいですわね」
私は未だに禁止……というかたぶん忘れられているんだと思うが。
すっかり出る側になってしまった魔法映像だが、病床にいた頃から変わらず、観られる番組が禁止されたままである。
魔法映像でも劇の類は放送されていて、主に女性に人気があるんだとか。
そしてうちの魔法映像っ子である、専属侍女リノキスがチェックしていないはずもなく。
その辺の予備情報はしっかり耳に入れてある。
今回私が舞台に立つのは、劇団氷結薔薇の役者としてだ。
青髪の美男子ユリアン座長が立ち上げた劇団で、元は王都一有名な劇団から独立した形で発足。
ユリアン座長もそうだが、彼の双子の妹が、人気のある看板女優なんだそうだ。
劇団の名前となっている氷結薔薇というのも、有名なところに所属していた頃の看板女優の異名から来ているとか。
――「まだ新しい劇団ですけど、もう中堅どころといっていいと思います。ああ、『氷の二王子』を生で見られるなんて! 感激です!」と、うちの魔法映像っ子が言っていた。
ちなみにその「氷の二王子」は、ユリアン座長と双子の妹、二人まとめて呼ぶ時の異名らしい。異名が多くて大変である。
「お兄様は観たことあります? 劇団氷結薔薇のお芝居」
「うん。まあ劇場じゃなくて魔法映像でだが」
ほう。
「私も観ておくべきかしら?」
「そうだね。まったく知らないのと多少知っているのでは、やはり違うだろう」
なるほど。
「リノキス。なんでもいいから魔法映像で劇をやる時は教えて」
傍に佇み控えているリノキスに言うと、彼女は了承しなかった。
「いえ……お嬢様はまだ解禁されておりませんから……」
あ、そうだ。そうだった。
私もさっき思ったが、私はまだ観ていい番組、観てはいけない番組の制限がついているんだった。
「なんだか禁止令も今更って感じだな。ニアが出る演目も『恋した女』で、ニアの役は『母親に捨てられる子供サチューテ』役だし」
兄の言う通りだと私も思う。
なんというか大人の汚い部分、刺激が強い部分を観ないように、というのが私の番組規制だったのに。
でも、観るどころの話じゃない。
今度の依頼で、大人の汚い部分、刺激が強い部分にどっぷり浸かることになるのだから。
私に依頼が来た劇は、簡単に言うと、恋をして男か自分の子供のどちらを取るか、という女と母の狭間で恋心に揺れる未亡人の話である。
最終的に未亡人は子供を捨てて男の下に走るという、まあなんというか、子供から見ると心をえぐられるような内容となっている。
私だからいいようなものの、普通の子供にやらせるような劇でも役でもないと思う。
……いや、子供の頃から役者を目指すような子なら、むしろ望むところなのかもしれないが。
「ところでニア」
「はい?」
「さっきからやっているそれは、劇の稽古か? それとも踊りか?」
――これは武術の型である。……と思う。無意識には動くが記憶にはないので、私も正確なことはわからない。
冬から春になり、最近ようやく車いすを卒業することができた。
そして、ようやく最低限の肉が付き、体力が付き、日常生活に支障がなくなった昨今――こうして型の訓練に入れるようになった。
庭でやってもいいが、使用人たちに悪目立ちしそうなので、無駄に広い自室でやることにしている。
ゆっくりと。
ゆっくりと「氣」を練りながら動く。
決して、速度と反動と加速と勢いを使わず、ただただゆったりと。
だが正確に身体を動かし、時折静止する。
一度やれば息切れし全身から汗が吹き出す。
二度やれば足腰が立たなくなるほど疲弊する。
――一日中やれるようになったら、ようやく次の段階へ行けるのだが、やはりこれも、先は長そうだ。
「…………」
「…………」
そして、兄には伝わらないようだが。
兄の専属侍女リネットと、私の専属侍女リノキスには、劇の稽古にも踊りにも見えていない。
真剣な面持ちで私の型を見ている彼女たちには、型を通して、私の中にある強さがおぼろげに見えているのだろう。
それからすぐに両親に申請し、魔法映像の演劇に関する番組だけ視聴許可を貰った。
……チッ。
私としては、冒険家や浮島周辺の、いわゆる冒険ものの番組を観たかったのに……この手のことに関してだけは、両親は甘くない。
ああ、血とか見たかったのに。血沸き肉躍るような戦闘風景とか見たかったのに。
……まあいい。
今は私の願望より、リストン家の財政難だ。
許可が下りてすぐ、撮影のない日は、兄と一緒にたくさんの演劇番組を観た。
その中には、これから同じ舞台に立つ劇団氷結薔薇の劇や、ほかの劇団の演目「恋した女」があったりした。なるほど参考になる。これを私もやるのか。
うーん。
それにしても。
どれもこれも回りくどいし、まだるっこいしい話ばかりである。
なんかこう、鉄拳一発で話がすべて解決するような劇はないのか。
だらだらずるずるやっているから周囲に迷惑をかけて最終的には愛憎でどろどろの真っ黒になるんだ。きっぱりやれ。いい大人が割り切れなくてどうする。そういう葛藤は人生経験が足りずなかなか踏み出しきれない少年少女時代に済ませろ。
「素晴らしいな」
……と、私は思うんだが、周りの反応は違うのである。
兄は感心しているし、専属侍女たちは涙まで流して感動している。今のよかった? 子供の頃から六十歳になるまで一人の女性を思ってたっていううじうじした初老男の初恋が死の間際に叶うって話だけど? 少年の頃に一言「好きだ」とか場合によってはキスとか押し倒すとか、奥手なら花束と恋文でも送れば違った人生歩んでたみたいな話だけど?
…………
いいんだろうなぁ。泣いてるしなぁ。
というか、これはもう、なんだ。
私の感性が枯れていると思った方がいいのか?
――ああ、あと。
どこの劇団を観ても、どんな女優を観ても、兄より可愛い人はいなかった。
これは兄がいない時に訊いたら、リノキスもリネットも同感だと言っていた。
そりゃ未だにファンレターも届くというものだ。