180.アルトワール史に残る悪戯
「問題点は三つです。
いつ。
どこで。
どう落とすか。
落とし穴は、大きく分けて二種類があります。
一つは無造作に設置されたもの。
これは相手を選ばない無差別型です。
もう一つは、誘導するように仕掛けられているもの。
いわゆるエサで釣るか、あるいは追い込むことで落とし穴に誘導する、通称ネズミ捕り型です。
ターゲットが王様ということを考えると、『いつ』と『どこで』は自ずと限定されますね。
まず、王様の行動範囲は、基本的に王城のみでしょう。
落とすための穴を用意しなければならない以上、石畳では不可能。となれば中庭や庭先といった場所に落とし穴を用意するのが常道でしょうか。
もし王様が、日常の中で中庭や庭先に出る習慣がないのだとすれば、王様を落とし穴に誘導する必要があります。
なので、消去法でネズミ捕り型の落とし穴を推奨します。
幸い王様の娘が仕掛ける側にいるので、誘導はそう難しくない。落とし穴に落とすことは不可能ではないでしょう。
ただ、ここで問題になるのが、周囲の人間と王様自身の観察眼です。
まず周囲の人間……お城に務めている人たちの協力は絶対に必要です。まず彼らを抱き込むことから始めましょう。
もし難しいようなら、撮影して仕掛けるその時だけ、その周囲に近づかないよう仕向けるだけでも有効かもしれません。
そしてもっとも警戒すべきは、王様の観察眼です。
偉い貴人になればなるほど、状況の不自然や違和感を察知する能力が高いと言われています。その例に従えば、王様は確実に警戒心は高いでしょう。
綿密なる作戦が必要だと、私は思いますね」
王国武闘大会を宣言通り優勝、そして姿を消した冒険家リーノ再び。
仕掛ける側の撮影班に講義するリーノことリノキスは、本物の教師のように整然と説明する。
――今魔法映像で放送されているのは、「私たちはいかにして王様を落としたのか」という導入と、作戦決行までの一部始終である。
二夜連続放送で、今日は導入から開始まで。
いきなり王都では大人気のリーノを投入することで話題性も注目性も上げ、そして期待を溜めに溜めた明日。
衝撃の王様落下が放送となる。
「恥ずかしいです」
一緒に観ているリノキスは、やはり魔晶板越しに観る自分にまだ慣れないようだ。
ちなみに、いつもなら一緒に観ているだろうレリアレッドは、来る予定がない。
この企画のことを何も知らなかった父ヴィクソン・シルヴァーが、大慌てで王都へやってきたのだ。
どういうことになのか説明しろ、と。
今頃は、会って説明しながらこの番組を観ているはずだ。
更にちなみに、私は事前に両親に手紙で事の次第を伝えておいた。「本当に大丈夫か?」と何度も問いただす手紙が届き、何度も「大丈夫だから」と返した。
「そう? すごくいい感じだと思うわ」
特に、真面目な顔をしてとてつもなく冷静に、王様を落とし穴に落とす話をしているリノキスは妙に面白い。
真面目な顔でなんの話をしてるんだと言ってやりたいくらい面白い。
本当に、なんて顔をしているんだ。
修行の時でさえこんなに真剣みを帯びた目はしないのに。本気じゃないか。本気で王様を落とし穴に落としたい者の顔をしているじゃないか。なぜだ。なぜここまで本気になれるんだ。
そしてそれを真面目な顔で聞いている、私含む準撮影班やヒルデトーラ、レリアレッドも面白い。
王様を落とし穴に落としたくて必死な奴らの顔だ。
悪戯ってこんな顔をして仕掛けるものなのか、もっと軽い気持ちでやるものではないのかと、言わずにはいられない顔だ。
だが、いい顔だ。
真剣な者の面差しとは輝いているものだ。
たとえそれが王様を落とし穴に落とすことを考えている顔だとしても。
――まあ、それはともかく。
冒険家リーノことリノキスには、ヒルデトーラ経由ということで呼んだことになっている。
冒険家視点の意見も欲しかったし、ただ「王様が落とし穴に落ちる映像」を流すよりは、落とし穴というものの説明を多少挟んだ方がいいかもしれない、という狙いもあった。
単純に「落とし穴に落とす」と言われれば、「無理やり突き落とす」という風情も何もない、ただの暴力のような形にもなってしまう。
できるだけ子供の悪戯感を強調するためにも、あえて説明を入れたのだ。
実際、この落とし穴の講義も、本気で行ったことである。
落とし穴に詳しくない私たちは、まずそれを知ることから始めたのだ。
そしてリノキスの意見と指針という土台があって、そこに作戦は組み立てられたのだ。
――なぜこんな計画を?
――「わたくしは、来年には中学部へと進学します。小学部と中学部では扱いが大きく変わります。もう完全な子供とは言えなくなってしまう。少しずつ大人の仲間入りをしていくことになります。
その前に、子供らしいことをしたかったのです。できれば親睦の深い友人たちと」
――それが、王様を落とし穴に落とすこと?
――「はい。誰もやったことがない、やろうとも思わない、でもやるとなれば誰もが興味を向けて観たいと思う。そんな思考を突き詰めた結果がそれでした」
――王様はあなたの父親ですが、恥を掻かせてしまうかもしれないことに、抵抗はありませんか?
――「わたくしは父親を知りません。あの人は王としての顔しか見せませんから。だからわたくしも、あの人の前では子供の顔はしないようになりました。
子供として振る舞えるのも、子供として父親に甘えられるのも、遊ぶのも、これが最初で最後になるかもしれない。そんな思いが、この悪戯を決行へと決断させた理由なのかもしれません」
「あれは嘘ね」
「知ってます」
リノキスの講義をする会議室から、ところ変わって王城の中庭。
まだ春先の冷たい空気だが、それでも美しい花壇や芝生、しっかり刈込を入れた背の低い植木と、目に優しい緑に溢れている。
なるほど王城の庭らしく手入れが行き届いている。
そんな中庭の、どこに落とし穴を仕掛けようかと見回しているヒルデトーラが、映らないインタビュアーの質問に答えている。
ヒルデトーラはなんだかんだもっともらしいことを言っているが、嘘である。
いや、ほんの少しはそんな心境はあるのかもしれない。
だが、実際は嬉々として穴を掘ったり作戦を考えたり、非常に楽しそうに企画を推し進めていた彼女の姿を、私たちは見ている。たぶん一番楽しそうだった。
計画はシンプルだ。
複雑にするほど複雑な結果を求めていないので、わかりやすく組み立てた。
準放送局の要求で「王城の美しい中庭を撮りたい」という要請を受け、ヒルデトーラが王様に話を通すと、「城内と要人は映すな。中庭だけなら勝手にやれ」というお墨付きが出た。
この返答は想定済みだった。
王様は、己の王としての職務の妨げと、不利益にならないことなら深く考えない。
更に言うと、撮った映像をチェックする者がいるから、彼の意向に関係なく、まずいものが映っていたらお蔵入りとなるのだ。
そこで、ついでにヒルデトーラはこう言った。
――「王様も少しでいいから顔を出してほしい。話題作りになるから、とニアが言っていた」と。
王様は、私の言うことは拒まないと思ったからだ。
何せこの企画の発端は王様だから。
先の武闘大会で、すでに魔法映像で顔出しをしていたのも大きかったのかもしれない。今更映像に出ることに抵抗はないだろう。
案の定、舌打ちしながら「少しだけだぞ」と返事があったそうなので、これも想定通りの結果となった。
こうして、私たちは「王城の中庭」という縄張りを手に入れたのだ。
使用人の抱き込みは簡単だった。
――「ここで王様の撮影をするからあまり近づかないでね。誰かが映っちゃうと放送できなくなることもあるから」と、本当のことを言うだけでよかった。
唯一、老いた庭師にだけは「ちょっと穴を掘りたい」とその旨を伝え、少し手伝ってもらった。
手塩にかけて育ててきた美しい中庭を壊すわけにはいかないので、庭師の目の届く所で、すぐに直せる範囲でやるつもりだったのだ。
準撮影班総出で地面を掘りまくる姿を見て、「まるで落とし穴みたいですな」とのんびりしたことを言っていた。大当たりである。
リノキスの教え通り、底に柔らかい藁を厚く敷き詰め、庭師の魔法で硬化させたまま表面を剥がすようにして残した芝生で蓋をして、完成だ。
「では蓋をしましょう。ここをこうしてこうすれば……どうです?」
これまた庭師の協力で、掘った痕跡がわからないように匠の細工をされ、もう傍目にはどこがどうだかわからなくなった。そして庭師は「これは本当に落とし穴っぽいですなぁ」と笑っていた。
この時点でようやく「こいつ本当はわかっててやってないか?」と思わなくもなかったが、誰も確かめることはしなかった。
ただ言えることは、ここで王様の撮影をすることを知っている彼が、もしこの落とし穴に王様が掛かることを少しでも想像した上で全力の協力していたのなら、間違いなく彼が一番の悪であるということだ。
まあ、悪い爺はとにかく。
思わぬ協力者の登場で、思った以上に完璧な落とし穴ができた。
特に、落下しても絶対に怪我をしない点には充分に気を付けた。怪我をさせるのは本意ではないし、悪戯の域を越えてしまう。
それと。
「ねえ、一度落ちてみていい?」
「お母様……」
そう、ヒルデトーラの母親。つまり王妃様。
作るところから見たいというので、最初からずっと一緒にいたのである。
全ての計画を知らせて、いざという時の協力を頼んだ王妃様は、落とし穴に興味津々で。
「えいっ」
「お母様っ」
自らの身をもって試しに落ちて、落とし穴の原理と安全性を確認してくれた。
「――見るわよ。直接見るわ。あの人が落ちる瞬間なんて見逃せないわ」
「――お、お母様……」
そして、あくまでもいざという時……王様が激怒していきなり処断なんて言い出した時のためのストッパーである王妃様が、髪や服に藁をいっぱいつけて俄然乗り気で協力者になった。
好々爺然とした悪い庭師と、陽気な王妃様の協力で、企画はより完璧になった。
あとは、明日の決行を待つばかり――
雨天だけが怖かったその日、天気は快晴。
諸々の最終チェックを終えて、その時を待つ。
私たちは中庭の撮影を本当にして、それからそこにテーブルを用意し、美しい庭の中で紅茶やお菓子を楽しんだ。
そこに、王様と王妃様がやってくる。
後ろから付いてくる鎧の男は、護衛の騎士だろう。年齢や雰囲気からして、結構偉い役職の騎士かもしれない。まあ、そこそこの強さである。――後に私を尋問する騎士団長だ。
テーブルに着いている者全員が立ち上がり、撮影していた監督やカメラもびしっと直立して――スタンバイする。
――まず、カメラはすぐに撮影用魔石を新しいものに入れ替えて、魔石チェンジなんて初歩的かつ致命的なミスを潰す。
――監督はさりげなく移動し、地面に埋めたカメラのスイッチを足で入れる。
――一人だけ少し離れたところで花を見ていたメイクの女の子が、背の低い植え込みの中に隠してあるカメラのスイッチを入れて駆け寄ってくる。
――やや遠目の引きで撮っているカメラは、なけなしの予算で長時間撮影用の魔石を使用しているので、このままだ。
カメラの射線を絶対に塞がないよう、整然としてはいないが計算された場所取りをして、私たちは王様と王妃様を待ち構える。
カメラは回っている。
準放送局のメインと予備、そして王都放送局から数台を借りて設置済みだ。
「よう」
王様は気軽に片手を上げて、私たちに挨拶しながら歩いてくる。
私はいつも王様の仏頂面しか見ていないが、今日は撮影の上にほかの子供たちもいるせいか、そこそこ愛想がいい。
「撮影は順調――」
ズドン
消えた。
王様が笑顔で消えた。
地面が抜けて、落ちて、消えた。
――すごい。王様が落ちた。すごい。
前世でも色々すごいものを見ているとは思うが、これまたなかなか魂に響く衝撃があった。
王様が落ちた。
本当に落ちた。
それを目的にやってきたし、そのつもりだったが。
こんなにも無警戒で、こんなにもあっけなく落ちるものなのか。
その時訪れた感情を、なんといえばいいのか。
ただ私たちは、想定も想像もしていたのに、それでも信じられない現実を突きつけられたような気がして唖然としていた。呆然としていた。
「――ぶふぅーっはっはっはっはっ!!!」
そして王妃様の爆笑で、皆が我に返った。
「お、王よ! 大丈夫ですか!? なんだこれは!?」
護衛の騎士が、大慌てで穴に駆け寄り、下に向かって手を伸ばす。――低い植え込みのカメラが、落ちた王様を撮っているはずだ。映っていないと困る。
そして、そんな騎士の声を聞いて、近くにいたのだろう兵士や騎士、使用人が数名走ってくる。
そんな中、騎士の手を借りて穴から出てきた王様は、身体中に藁をくっつけて――
「――…………貴様らぁ! やりやがったなぁ!!」
憤怒の表情で咆哮を発した。
そして、私たちは逃げた。
「待て貴様ら! 待っ」
ズドンッ
王様は再び落ちた。
そう、いわゆる二段構えというやつである。
追いかけてくるなら引っかかるだろうと想定した、また想定外の流れになった時用の予備として、一応用意していた二つ目。
王様は、今度も華麗に落ちてくれた。
人はこんなにも美しく落ちることができるのかと、ある種の感動さえ覚える落ちっぷりだった。
騎士も、使用人も、兵士も、もう何が何やらという顔で唖然としていた。
それでも王妃様だけはずっと爆笑していた。
カメラに映らない、映像に残せなかった、私という主犯捕縛の時も、笑っていた。
そして「王妃様が一番大物だったな」と思いながら、私は大人しく連行されたのだった。
でも。
――どうでしたか?
――「どうもこうもあるか。悪ガキどもが。いいかおまえら、この件はアルトワールの歴史に刻むからな。おまえらの悪名はこの国が続くまで消えないと思え」
王様ではなく、子供たちに悪戯された一人のおっさんの顔で。
ヒルデトーラにとっては、珍しい父親の顔で。
笑いながら、番組の最後にそんな言葉を残した王様も、やはり大物だったのだと思う。




