168.小学部二年生の終わりにウィングロード参戦予定
「――よう、ニア・リストン」
ん? ……おや?
進級試験も終わり、三学期も残すところあと数日という、ある日の放課後。
帰ってきた女子寮の入り口付近で、知った顔に声を掛けられた。
シャールである。
準放送局の、素行が悪そうなあいつである。
小学部と中学部なので、なかなか会う機会はない。
遠目で見かけたことがあるくらいで、こうして面と向かって話すのは、去年の夏休みの直前以来である。
女子寮の前。
やや素行が悪そうだが、顔はまあ悪くない年頃の男の子。
――うむ、わかったぞ。
「逢引き? 誰か待ってるの?」
恋人を待っていると見た。
あるいはこれからデートに誘うとか、そういうのだろう。
さすがに高位貴人は難しいだろうが、今や下位貴人なら庶民と恋人になる、結婚するというケースも珍しくはない。
どこかの酒場のマスターも「今の時代に身分が何の役に立つ」などと言い放って、正式な貴人の使いを追い返したりしたらしいしな。そういう時代なのである。
しかしシャールは、「いや」と応えた。
「おまえを待ってた」
…………
「ごめんなさい。私はまだ八歳になったばかりだし、お付き合いとかは考えられないわ」
「お? ……おう、安心しろよ。俺もガキに興味はねえ」
一瞬本気で驚いたようだが、よかった。驚くということは微塵も考えていないということだな。そうだろう、そうだろう。さすがにこの年齢の女児とどうこうなんて、爪の先ほども思ってはいかんぞ。健全に生きろ。すでに不良っぽいけど。
しかし、ということは、可能性は一つか。
「じゃあ魔法映像絡みの相談かしら?」
私たちの接点はそれしかない。ならば用件はこれで――
「いや、ちょっと違うんだ。相談であることは確かだけどな」
え? 違うの?
「ちょっと時間をくれねえか? 本当にちょっとだけでいいからよ」
立ち話もなんだから部屋に来い、と言ったが、シャールは「すぐに済む」と固辞し、その場で単刀直入に話し出そうとする。
どうやら、特に誰かに秘匿するような内容ではなさそうだ。誰に聞かれても構わないのだろう。
女子寮の入り口に男子がいるというだけで、結構見られているからな。
帰ってくる生徒にも、帰ってきている生徒にも。寮長カルメにも。寮の入り口付近に隠れつつ見ているからな。
年頃の女子として色恋沙汰に興味津々なのだろう。ただ私とシャールでは年齢差がまずいので、心配の目もあるのかもしれないが。
……私としては誰に見られても構わないが、ただリノキスにだけは見つかりたくない。仮に見つかるくらいなら彼女の目の前で堂々と会った方がマシなのだが。
まあ、いいだろう。
立ち話で済む用事なら、さっさと済ませてもらおう。
「最初にヒルデトーラ様に相談したんだが、今はとにかく忙しいからニアに相談しろって言われたんだ。だからこっちに来た」
「ああ、ヒルデの紹介なのね」
なら無下にはできないな。
きっとこれも、どこかしら魔法映像に関わる話だろうから。
「今は特に忙しそうだものね」
「例の料理のと、武闘大会関係の撮影だよな。準放送局にも本当に時々しか来ねえよ」
そうそう。レリアレッドも忙しそうだし。多少余裕があるのはのんびりチャンネルのリストン領くらいである。
「なあ、セドーニ商会と個人的な付き合いがあるって本当か?」
おっと、意外な方向に話がいったな。
「一応あるわね」
十億クラムの件ですごく世話になったし。ただ、あれ以降は接点がない。
いや、なくはないか。
今でもセドーニ商会と付き合いがある弟子がいるかもしれないし、なければないで、私がまた挨拶に行ってもいいだろう。いずれまた取引することもありそうだし。せっかくの繋がりを断つ理由もない。
「本当か? あるのか? それってどれくらいの付き合いだ?」
どれくらい? うーん……
「億単位の付き合い?」
「……億、単位……悪い、ちょっとわかんねぇ。でっけえ取引ってことか?」
「まあ、そんな感じね」
さすがに十億稼ぐ手伝いをさせた、とは言えないからな。説明も面倒臭いし。
「それよりあなたの用件は? それを聞かないと答えようもないんだけど」
「ああそうか。――まあ率直に言うと、ヴァンドルージュから飛行船の部品を取り寄せてほしいって話なんだ」
飛行船の部品?
「もっと具体的に言うと、ウイングロード用の部品だ」
ウイングロード……?
「――ただいま。二人分の紅茶を淹れて。あと質問は後で受け付けるから今は黙ってて」
寮部屋に戻るなり、待っていたリノキスを黙らせてシャールを招き入れる。
「さあ、座って。そして話の続きを聞かせて」
シャールは立ち話で済むと思っていたようだが、もう事情が違う。
今は私がこの話に興味がある。
「え、えっと……わかりました」
リノキスは戸惑っていたが、すぐに察して紅茶を淹れ始める。――高い茶葉を選ぶ辺り、わかっているようだ。そう、彼はもう私の客である。え、そのクッキーも出すのか? 私の夜の分は残ってるか?
「飾りっ気のねえ部屋だな。女の部屋ってもっとこう――」
部屋を見るな。いいから座れ。そして話せ。
言ってやりたいが我慢し、シャールが椅子に座るのを待った。
部屋を見回している自分をじっと見ている私に気づき、奴はようやく椅子に腰を下ろした。
「じゃあ、まあ、最初から話すな。
ウィングロードってのは、飛行皇国ヴァンドルージュで生まれた単船競技なんだ――」
競技。
私は戦う以外で競い合うことを知らない野蛮人だけに、既存の競技……いわゆる運動競技というものが頭になかった。
だから犬との追いかけっこが妙に受けたのも、正直よくわからないものがあった。
人間とは、競い合うのが好きな生き物である。
私が競うものは、血が流れる蛮行かつ、結果的に一方的な殺戮にしかならないが。
そう、この世には血を流さずとも競い合うことのできる、とても平和な種目があるのだ。
――平和な種目での競争。
――これならば、リストン領の保守的な番組内容に合致する。
種目は探せばたくさんあるだろう。
リストンチャンネルを好むのんびりした老人たちも、もしかしたら何かしら競ってやっているかもしれないし、誰かが運動しているのを観たいと思っていたりもするかもしれない。
とにかく、このジャンルはほぼ手付かずである。
今は特に、王国武闘大会だ出場者だで周りが慌ただしい。頭一つ先んじるには好機と言える。
紙芝居はシルヴァー領に取られたが、今度は絶対に逃さない。
「で? いくら払えばそのウィングロード? 単船競技に参加できるの?」
「いや、俺はウィングロード用の単船に使う部品が欲しいだけなんだけどな」
「いいからとっととやりましょうよ。その単船競技を。早く出場者を集めましょう」
「……おい、目が怖いぞ……」
あたりまえだ。
今度こそ、この企画は逃がさない。