166.複雑な競争
「ねえ、リーノってあんなに人気あったの?」
「まあ、そうですね、率直に言うと冒険家ドリームをあっという間に体現した人って感じですから。とにかく夢はありますよね。その辺が受けているのかと」
ほほう、冒険家ドリームか。
言われてみると確かにわからんでもない。冒険家になろうなんて奴は、命を賭けてでも一獲千金を夢見るような連中ばかりだ。
そして、そんな生き方はできないけど、でも憧れている者も、意外と多いのだろう。
「あとは単純に強いということも理由なんでしょうね。子供なんかには特にわかりやすいですし」
なるほど、強さか。
「いずれの理由にしろ、噂するには格好のネタだったんだと思いますよ。突如現れ一年間で数億稼いだ冒険家。まるでおとぎ話の英雄譚です。誰にでも面白おかしく話せますからね」
「そう言われるとちょっとわかるわね。子供の好む話題にちょうどよかったのね」
「簡単に言うとそういうことですね」
――うむ。
「それにしてもあなたの素質、かなりのものね。優勝狙えるわよ?」
「大会にも大金にもさほど興味は。それより――」
侍女の瞳に怪しくも強い光が煌々と宿る。
「……誰よりも強くなって、何者からもニール様をお守りしなければ……私がやらねば誰がやるのか……」
ほう。
ひどく歪んではいるものの、強い気持ちが「氣」に現れておるわ。
こういう狂信的な奴は良くも悪くも伸びるものだ。
殺人に魅了される者も、神の名の下に跪く者も。
これと決めた人のために尽くそうとする者も。
「でもお兄様だってお年頃だし、そろそろ好きな女ができたりするだろうし、それどころか許嫁ができても」
「あー! あーっ! 聞こえないー! 聞こえないー! ……あっ」
はい、おしまい。
「『氣』が散ったからやり直しね」
漲らせた「氣」を、動かさずに維持する修行中である。
多少は気を散らすようなことをしたり言ったりしなければ、却って修行にならない。なので多少のおしゃべりは構わない。平常心を鍛える修行でもあるからだ。
ただ、本当に兄の話題に弱い侍女である。リノキスといい勝負だ。
「卑怯ですよ今のは! あんな揺さぶりは卑怯です! 動揺しないわけがないでしょ!」
「はいはい、卑怯卑怯。これで三回目ね。いやあ、修行って楽しいわね。弟子のがんばる姿を見ているとこっちも元気になるわ」
ちなみに私は、ずっと漲らせたままである。早々揺れることもない。あ、今ちょっと揺れちゃった。心がウキウキしすぎた。
「――さ、次行くわよ。終わるまで寝かせないから」
「……リノキス早く帰ってきて……!」
早くっていうか、明日だけどな。予定では。
冬休み三日目の夜。
リストン領の自室で、借りている侍女リネットの修行中に、彼女からと冒険家リーノの話を聞いてみた。
屋敷の中でもよく話題に出ているし、明日の「追いかけっこ」の撮影に同行したいという使用人まで出てきている。
まあそれくらいなら適当に聞き流せたが――
「――リーノの撮影は明日だったな? 一緒に行っていいか?」
夕食の時、兄ニールまでそんなことを言い出したのには驚いた。
そう、実は兄もリーノのファンだったのだ。
……と、ついさっきのことが若干頭に引っかかり、リーノの正体を知っている手近な者であるリネットに、その辺の話を振ってみたのだ。
――「ねえ、リーノってあんなに人気あったの?」と。
なるほど冒険家ドリームの権化となっているのか。そういう位置づけで人気が出ているのか。なるほどね。
…………
私は人気が出過ぎたと思ったが、そうじゃなくてやり過ぎたのかもしれないな。
話題になりそうなことを。
たった一年でたくさん。
病床生活と貴人の娘生活で、抑圧されまくっていた私の武人魂が、猛り過ぎたのかもしれない。
出稼ぎの旅は狂おしいほど楽しかったからな……はしゃいでしまったのだろう。
武闘大会で優勝したら冒険家引退――表舞台から消えると宣言させたのは、正解だったのかもな。
今でも異常なのに、更に人気が沸騰するとなるど、何が起こるかわからない。リノキスも特にリーノに思い入れがあるわけじゃないそうなので、これでよかったのだろう。
「……お、お、おじょぉさまぁ……もうむりぃ……」
「まだ十三回しかやってないわよ? ……仕方ないわね。もう戻りなさい」
ついに涙と変な汁を流し出したリネットを、部屋に返した。――教えられる時間がある内に、しっかりと教えておきたいのだが。
だが如何せんリネットの身体の限界もあるからな……あまり無理はさせられない。
まあいい。
そろそろ私も風呂に入って、寝るか。
――明日は、その冒険家ドリームのリーノと、「追いかけっこ」の撮影である。
翌日の早朝、予定通りに撮影班とリストン邸を出発し、撮影場所と定めた浮島に到着。
ここで合流する予定だったリーノは、探すまでもなく、すぐに会うことができた。
「ニアちゃん!」
探すどころか、港で待っていたリーノに歓迎された形である。
ううむ……まあいい。
――この撮影が終わるまでは、リノキスにはリーノとして振る舞うように言いつけてある。多少愛想が良すぎる気はするが、まだ許容範囲だろう。まだ子供好きのお姉さんで通るだろう。
化粧のしかたと、少し髪の色を変えただけで、別人のようである。女は化けるとはよく言ったものである。
この仕上がりなら、よほど近しい者しか、リノキスだとは看破できないだろう。
「こんにちは、リーノさん。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。朝食は済んだ? 撮影の前に一緒に食べましょう」
いやいや、まあ待て。さりげなく手を握るな。手を引くな。
「その前に兄を紹介します。あなたのファンなんです」
「……え?」
な、ちょっと驚くよな? 私も昨日驚いたよ。兄はそんな浮ついた噂など興味ないと思っていたから。
まあ、まだまだ子供だからな。冒険家ドリームに憧れる少年の心も持っているということだろう。
「おはようございます、リーノさん。今日は妹をお願いします」
「あ、はい。よろしく、お願い、します」
折り目正しく兄が挨拶すると、かなり動揺しているリーノが戸惑いながら返事をした。
私とはもう慣れているだろうが、当人は使用人だけに、さすがに次期当主とはやりづらいだろう。
そんな初対面を経て、特に問題が起こることもなく、スケジュールは進んだ。
ここは小さな小さな浮島で、人口の少ない農業島である。
そこそこの広さの畑と、そこそこの規模の自然と野生動物が生息するだけで、作物を運ぶ輸送船以外はまず誰も来ないような片田舎だ。
冒険家リーノは人気者なので、騒ぎにならないよう、人が少ない撮影場所を選んだわけだ。
それも島の隅っこの方で事足りるので、島民にも知らせていない。さっと撮ってさっと撤収する予定である。
「――お嬢様」
遠くにカメラが構えられ、スタートラインに並び立った時、リーノは……いや、リノキスはこんなことを言った。
「私は何も考えずに本気で走ります。だから、勝つも負けるもお嬢様が選んでください」
…………
そういえば、リノキスは私がわざと負けるこの八百長に、反対していたな。
冒険家リーノのブランドより、ニア・リストンのプライドの方が大事だ、と。
私の不敗記録がやぶれることも、よりによって記録を応援していたリノキス自身がやぶることになるのも、抵抗があると。複雑な気持ちだと。
「実力で勝ってくれれば何も問題ないんだけどね」
「……それを言わないでくださいよ」
現場監督が、片手を上げる。
それが振り下ろされると同時に、私とリノキスは走り出した。