132.ヴァンドルージュの出稼ぎ 四日目 帰還
1/15 「来日」を修正しました。
クロウエンとの勝負をさっさと片付け、やはり因縁が生まれてしまったものの、その後は特に目立ったこともなく穏やかに過ごすことができた。
あるとすれば、時々クロウエンが、再戦したいのであろう熱い視線を向けてくるだけである。
それからはこの飛行皇国ヴァンドルージュの話を聞いたり、魔法映像の話をしたり、この国で生まれたというボードゲームというものを楽しんだりした。うーん……事業に失敗して一億クラムを失う、か……ゲームでも現実でも金に追われるものだ。
「可愛い。こんな子が欲しい」
なんだかよくわからないが、私はフィレディアに気に入られたようで、今思いっきり膝の上に乗せられて頭を撫でられている状態である。こんなのリノキスが見たらただでは済まないだろう。いなくてよかった。別室待機でよかった。
「でもザックの子供となると、きっとゴツゴツした全身甲冑のような子になるわよね」
「何を言う。私ではなくフィルに似る可能性も大いにあるではないか」
「そう? 私はザック似の子でもいいけれど?」
「では答えは一つだな。――両方できるまで子を作ればよい」
うん。
なんか今、後ろというか真上というか、とにかくすごい至近距離で許嫁同士のイチャイチャが遠慮なく行われている気がする。顔面の一部接触とかしている気がする。そういうのは私をよそに置いてからやってほしい。それとクリストとクロウエンとヒエロの見てないふりが華麗である。さすが王族と皇族だ。
しかしまあ、アレだな。
どっち似であろうと、我が兄の可愛さに勝てるとは思えんがな。大人げないから言わないけど。
ま、生まれた子供は兄には敵わないだろうが、せいぜい仲睦まじい新婚生活が送れることでも祈っておこう。
雪が止まない静寂の空は、夕陽を見せることなく帳を下ろした。
時間的にはまだ夕方のはずだが、外は真っ暗だ。
夕食前のこの時間に、ようやく「随分長居してしまった」と席を立つヒエロに合わせて、私もここで引き上げることにする。
「夕食を食べて行けばいいのに。刀刺鹿の肉を手に入れたんだ。あれはうまいぞ」
「気遣いありがとう。魅力的なお誘いだが、ニアを早めに帰したいのでね。今日のところはこれで失礼するよ」
ザックファードの提案を、ヒエロはやんわり断る。
「え? この子も連れて行くの?」
当たり前だろう。抱き締めないでほしいんだが。
「その子も忙しい身でね。明日にはアルトワールに帰らねばならないんだ。その準備もあるから」
うむ。特に準備などはないが帰るのは確定している。あとこの姿をリノキスに見られる前にどうにかしたい。あいつにバレたら面倒臭い。
「残念だわ。今夜は一緒に寝ようと思っていたのに」
そんな話聞いてないが。フィレディアは大人しそうな姫君って見た目なのに、意外とガツガツ行く性格をしている。
「また機会があれば。ごきげんよう、フィレディア様。ザックファード様」
私はようやく彼女の膝から、そして至近距離のイチャイチャカップルから解放され、名残惜しそうな顔を隠さない彼女と、少し残念そうな彼に別れの挨拶をする。
――またの機会などきっともうないが、と思いながら。
「今度会ったら再戦を申し込む。それまでに鍛えておくからな」
やはり因縁……クロウエンの言葉にも、今度はないだろうと思いながら頷く。
「じゃあ俺は送って行こうかな。その足で寮に帰る」
どうやらクリストは一緒に来るようだ。
――こうして、思いがけないハスキタン家での一日が終わるのだった。
待たせていたリノキスと合流し、ザックファードらの見送りに送られ、私たちは来た時に乗った小型船に今度は三人で乗り込む。
進行方向側に王子と皇子が座り、その向かいに私が座る。
――向かいにいるだけに、二人の姿が、表情が、とてもよく見える。
「細工は済んだな、ヒエロ」
ん?
「ああ、楔はしっかり打ち込めただろう。まったくニアの来訪は都合がよかった」
んん?
「これ以上ないってくらい見事なタイミングで来たもんな。おまけに好き嫌いがはっきりしているフィルに気に入られたのも大きいぜ。ザックの受けもよかったしな」
「それも想定外だったが、喜ばしい方の誤算だな」
…………ふむ。
「二人して悪い顔をして、なんのお話ですか?」
なにか企んでいるのはわかる、というより隠す気もないようで、どちらも狡猾そうに笑っているのだ。
これでなんの疑問も湧かない者なんて、たとえ子供だっていないだろう。
しかし悪だくみの内容まではわからないので、知りたいなら聞くしかない。
特に、なんだか私の存在が利用されたっぽい感じもあるし。
「まだ話せる段階じゃない。だが、近く君に仕事を頼むことになるかもしれない」
仕事?
「仕掛けるのはこれからってことさ。あの感じだとうまく行きそうだぜ」
…………
うん。わからん。そして二人とも話す気もないようなので、もう気にしないことにする。
また機会があれば。
今度会ったら。
軽い気持ちで交わした、約束とも言えないような約束と。
近く君に仕事を。
仕掛けるのはこれから。
王子と皇子が悪い顔でこぼした、先を予感させる言葉と。
果たされない約束が果たされ、また王子たちの悪だくみの真意がわかったのは、わりとすぐのことである。
――そう、今日知らずに私が打ち込んでいた出会いという名の楔は、アルトワールと他国の間にある巨大な壁に、しっかりと、これ以上ないほどに深く打ち込まれていた。
魔法映像を広めるためには邪魔でしかなかった国境という強固な壁の一部が、これから破壊されることになる。
私がやったのは、小さな一歩を踏んだことである。
だがそれは最初の足掛かりとなり、王子や皇子、そのほかの協力者が続き、後に大きなひび割れと、壁の崩壊に繋がる一歩になるのである。
大きな偉業とは、小さな一歩から始まるのだ。
――時には、本人はまったく自覚のないままに。
だがそんな未来のことなどまだ知らない私は、翌日の悪天候もあり狩りはできず、早々にアルトワール王国へ向かう飛行船に乗るのだった。
こうして、私の飛行皇国ヴァンドルージュへの出稼ぎは終了した。