119.ヴァンドルージュ到着
金属棒を刺された飛行烏賊は多少暴れたものの、すぐに動かなくなった。
「ね? 意外といけちゃうでしょ?」
私にとっては期待はずれも甚だしい魔獣だったが、リノキスにはいい経験になったのではなかろうか。
これくらいなら準備体操にもならずに充分勝てると……ん?
まじまじと私を見下ろすリノキスは、ぽつりと言った。
「お嬢様って強すぎませんか?」
おい。今更おい。なんだおい。
「あなたが私を低く見すぎなのよ。いい? あなたの想定より数十倍、もしかしたら数百倍は強いわよ?」
師匠はいつだって、弟子にはすごいと思われたい生き物なのだ。
「はは、またまたぁ。それは盛り過ぎですよ。時々子供っぽい見栄張るんだから」
…………
半笑いでっ。半笑いで「はいはいわかりましたよー」みたいなノリで聞き流してっ。腹の立つ弟子だなっ。
「まあそういうところも可愛いと言うか、可愛いですけどね」
なんの付け加えだ。腹の立つ。
というか、見てなかったのか、師匠の戦いぶりを。教えてないのとかいろいろやっていただろ。気にならないのか。……え? 人命救助で全然見てなかった? ……ふーんそう。まあ別にいいけど。
別に! いいけど!
飛行船からぶら下がっていた人数は六人で、怪我はしていても死者はなかったそうだ。
ただ、飛行船に施されている防風処理が及ばない場所で強風に晒されていたせいで、体調を崩しているのだとか。
ただでさえ寒い季節なので、身体が冷え切ってしまったようだ。まあ、命に別状はないようだが。
「冒険家の方ですか……助かりました。……にしても、すごい腕ですね……」
こちらの飛行船の船長は生きていた。
というか、宙づりになっていた連中は護衛で、飛行烏賊に襲われた時、素早く乗員を船室に避難させたそうだ。
なので奇跡的に死者は一人も出なかった。
まあ船がまだ飛んでいるなので、それも納得はできる。
外装はめちゃくちゃだが、大切な内部機関は丸々無事なんだそうだ。
なお、この船は浮島間を移動する定期船で、一般の乗客や荷物を運んでいるそうだ。
さすがに客はまだ甲板には出せないが、甲板には飛行烏賊の亡骸があるので、降りる時には襲って来た時同様また大騒ぎになるかもしれない。
飛行烏賊に襲われてから、そんなに時間は経っていないというのは、幸運だったのだろう。
ただ、空の上だけに逃げ場もなく、あそこまでがっちり拘束されては緊急脱出用の小型船も出せず、このままでは……という先が見えない状態で絶望しかなかった。
一縷の望みを託して狼煙を上げ、それを見た者が救援に来ることを期待して待っていた。
そして船室の窓から私たちの乗っていた高速船が近くで停止し、単船が出てこちらに向かって来たところを見ていたらしい。
……戦いっぷりは見てないの? すごくなかった? 誰がとは言わないけどすごくなかった? すごかったでしょ? ……見てない? 船室から甲板は見えるようにできてない? ……ふーん。別になんでもないですけど。
「人も船も、ご無事で何よりです」
冒険家リーノは、仕留められている飛行烏賊に驚く船長ほか乗組員に、賞賛の眼差しを全身に浴びている。
……うん、若干納得いかない面もあるが、いかんせん七歳の子供が殺ったというのは現実味がなさすぎる。それよりはリノキスが狩ったと言った方が現実的なので仕方ない。
それに、これで多少はヴァンドルージュに「冒険家リーノ」の名前も知れることだろう。今回は名前を売ることも目的の一つなので、これでいいのだ。
――ちなみにニア・リストンの誕生日は秋の終わり、冬の頭なので、もう七歳だ。月日が流れるのは早いものである。
狼煙はすでに止められているので、高速船がゆっくりこちらに向かってきている。
後のことはリノキスと、交渉事をしてくれるというトルクに任せて、私は一足先に船に戻ることにしよう。
全身の生臭いぬるぬるを、さっさと処理してしまいたい。
どうせ誰も私の方は見ていないし、いる理由もないし、冒険家リーノがいるなら私は引き上げても構わないだろう。
戻って寝直そう。
風呂があれば助かるが、きっとないだろうなぁ。
こちらに移ってきたトルクと船長二名と入れ替わるように、私は高速船の方に戻った。
「うわぁぬるぬる」
「何このぬるぬる」
「あ、わたしこういうの無理」
「ちょっといやらしいわね」
案の定風呂はなかったので、数少ない女性乗組員に湯を用意してもらい、ついでに身体を拭いてもらった。
若干気になる反応もなくはないが、気にしたらどこまでも気になりそうなので気にしない。
拭かれつつ、冒険家リーノと飛行烏賊の戦いを聞かれたが、話せる事実がないので「気が付いたら終わっていた」とだけ答えておいた。
生臭さが多少残っている気もしないでもないが、この状況では洗うにも限界があるので、諦めることにする。
さて、しばらくは交渉事で動きはないだろう。
予定通り、ちょっと休むか。
今度は起こされることなく、夕方までしっかり休むことができた。
途中一回だけ大きく揺れたが、恐らく加速の時のやつだろう。
結構寝た気がする。これで撮影の疲れは取れたかな?
飛行烏賊戦は疲れるほどの相手でもなかったから、そっちはどうでもいいが。
赤い光が差し込む窓から外を見れば、今度はちゃんと移動していた。遠くの浮島が移動して見えるほど猛スピードで飛んでいる。
……うむ、休むのはもういいだろう。今どうなっているか確認しに行くか。
部屋を出て、通りすがりの乗組員にトルクか冒険家リーノの居場所を聞くと、二人は今食堂でお茶を飲んでいるそうだ。
そちらに顔を出すと、二人は確かにいた。
なんの話をしているのかはわからないが、子供が邪魔をしてもよさそうな雰囲気だ。まあ邪魔そうならとっとと引き上げればいいか。
「交渉は終わったの?」
と、そんなことを聞きながら、朝食を食べた時と同じ席に座る。リノキスとトルクが同じ場所に座っていたからである。
「ちょっと込み入りそうでね。向こうさんの乗客も不安そうだったし、もしかしたら船に故障があるかもしれない。だから一旦解散して、交渉は後日ってことになったんだ」
トルクの説明は、納得せざるを得ないものである。そうだ、確かにあの状況で長々交渉なんてしている余裕はなかっただろう。
「烏賊の魔石は?」
「一応回収してあるわ。身体は持っていってしまったけど」
と、今度はリノキスが答える。
「この船にはあの重量は乗りませんからな。致し方ないでしょう」
そうか。多少は金になるといいんだが。
「お嬢ちゃん、もうすぐヴァンドルージュに到着するよ」
お、そうなのか。
少し寄り道してしまったが、なんとか夕食時には到着することができた。
飛行皇国ヴァンドルージュ。
ここでしばしの出稼ぎ生活が始まる。