113.下準備はできている
12/31 修正しました。
夏休みと違い、冬休みは短い。
その短い期間の中の数日を捻出するために、当然のように撮影スケジュールは過密を極めた。
本当に地獄の再来だった。
いや、期間が短い分、夏よりもっと過密だった。もっともっとぎゅうぎゅうにスケジュールを詰め込まれていた。
もはや寝るためだけの帰宅。
私はこの冬休み、両親と兄には数えるほどしか会っていない。ゆっくり話をする時間もなかった。
あの夏を共に生き抜いた、戦友たる撮影班もひどいことになっていた。
終わらない撮影に蓄積する疲労と、できたての恋人に会えないつらい日々に、何度も泣きながら逃げようとしたメイク。
過密スケジュールに心を殺され、何をしても無表情で淡々と仕事をこなしたカメラ。
そして、いつも娘の手作りのお守りを虚ろな目で見ている現場監督。
ほかのスタッフからも「こんな仕事やめてやる」だの「ベンデリオ……!」だの「ニアちゃんが風邪ひいたってことにしてこのまま全員で旅行に行かない?」だの。
悪態、言葉にならない憎悪、抗い難き悪魔の囁きと、人間の本性が垣間見えるような極限状態に陥ったりもしたが。
それでもなんとか、なんとか今回も乗り切ったのだった。
――うん、いずれ旅行は行こう。温泉地に撮影で行って、そのまま泊まるスケジュールを組ませよう。言っておくから。
十日で二十本撮り、完了。
これでなんの憂いもなく、捻出した数日でバカンス――もとい、出稼ぎに行ける。
「――ニア。ヒエロ様によろしく伝えてくれ。娘を頼むぞ、リノキス」
今回の隣国ヴァンドルージュ行きは、さすがに両親に黙って行くには遠く、また貴人の身分が許さない立場である。
まあ、対人関係が面倒なので手続きは踏むものの、お忍びという形で行くことになっているが。
十億稼ぐだの魔獣を狩るだのの裏の事情はさておき、両親を説得する表の理由は、ちゃんと用意している。
一つは、ヒルデトーラの兄にして王都放送局局長代理である、第二王子ヒエロ・アルトワールへの挨拶。
これはヒルデトーラに頼んで、ヒエロ側から「ぜひニア・リストンと会ってみたいので、もしよかったら冬休みを利用して来ませんか?」というお誘いの手紙を貰った形である。ちなみに会ったことはない。
貴人である以上、王族の誘いとなれば、相応の理由がないと断りづらい。
更に言えば、私が乗り気なので、両親は承諾した。
もちろんというか当然と言うか、いつでも仕事に忙しい両親の同行はない。
お忍びで、しかも数日だけしかヴァンドルージュに滞在できないので、私とリノキスのみでさっさと行ってくることになった。
まさに計画通りである。
ヒエロは現在、飛行皇国ヴァンドルージュで魔法映像の売り込みをしている。
元々皇国側は魔法映像に強い関心があったそうで、それならとヒエロは何度か現物を持ち込み、直接向こうに見せに行っているのだ。
魔法映像の技術は、それこそ十億クラムでは足りないほどの莫大な資金で売り出しているそうなので、一国の持つ財布でも軽々しく導入はできないんだとか。
ヒエロが何度も足を運んで営業しているのは、導入反対派を説得するためと、出資者集めのためである。
こっちはどうしてもヴァンドルージュへ行きたかったので、ヒルデトーラのつてで、第二王子ヒエロに協力してもらったというわけだ。
実際挨拶にも行くことになるが、お互い忙しいので、すぐ終わらせて別れる予定である。
それと、これ幸いと両親から念を押されたことがある。
飛行船の下見である。
飛行皇国と言うだけあって、ヴァンドルージュは高度にして緻密な独自の魔法技術で、他国の追随を許さない高性能の飛行船を造ることができる。
前から少し話は出ていたが、両親が私に贈ってくれるそうだ。
結局話がまとまらず先延ばしにされていた私への入学祝いが、こういう形で回ってきたのだ。
兄の持つ懐古主義な飛行船も、ヴァンドルージュ産である。
向こうの国ではよくある平凡な性能なんだそうだが、それでもアルトワール産と比べれば非常に性能がいいらしい。
「ヴァンドルージュに行くなら丁度いい。後で金は出すから、行ったついでに欲しい船を見付けてこい」と言われた。
「跡取りなら見栄も必要だろうが、そうじゃない子供には過ぎた贈り物だ」と断ろうとしたら、「子供が遠慮するな」と普通に言われて、受け入れることにした。
そう、子供が遠慮するものではない。
家族だから、私が両親の子供だから、彼らは私が撮影に忙殺されるのを強く止めることをしないのだ。
これが私の意思で、その意志を尊重してくれているから。
だから、そう、子供なら受け取らねばならない。
それが家族だから。
まあ、借りとしては大きいが、今後もしっかり働いて、しっかり返そうと思う。
――実際のところ、専用の飛行船はあると助かりそうだしな。
「行ってきます。お父様、お母様。お兄様」
空も暗い頃に玄関先で家族に見送られ、私とリノキスは港へ向かうのだった。
予定通り準備が済んでいる兄の飛行船に乗り、まずはリストン領の本島へ舵を取る。
本島で撮影を行う時は何度も来ているので、本島の港は見慣れた場所である。
「それではお嬢様、お気をつけて」
兄の飛行船は、港で私たちを降ろして、すぐに引き上げていった。
――さてと。
港の朝は早い。
まだ暗く人が少ない内に、さっさと着替えてしまおう。
吹きすさぶ寒風から逃げるようにして、立ち並ぶ倉庫の裏側に回り、着ている服に手を掛けた。
薄く動きやすい稽古着に着替え、手早く髪染めの魔法薬で、髪の色を黒く染める。
これで、かつて闇闘技場に行ったあの格好の出来上がりだ。
「――それじゃリーノ、これからよろしくね」
私が変装を終えた頃。
リノキスも侍女服を脱ぎ、駆け出し冒険家のような身軽な格好に着替えていた。
「――ええ。よろしく、リリー」
ここから先は、ニア・リストンと侍女リノキスではなく、冒険家リーノと付き人のリリーだ。
さあ、セドーニ商会が用意しているはずの飛行船に向かおう。




