犯罪者は眠らない1 後編
増えていく客、珍しいことが起きるのは何か良くないことが起こる前触れなのかもしれない。
ある程度、昼夜のバイトが残していった仕事は片付けた。
午前4時になりそうな時間。窓からはまだ日が差していない。
正常な日常生活を送っている人であれば、今が一番眠りの深い時間なんだろうなあと羨むように思いながらあくびをする。
「今日も眠そうだね」
「いらっしゃいませ、今日は早いんですね」
毎晩、というわけでも無ければ、週末に、というわけでも無い。しかし頻繁にDVDを借りに来る常連のおじさんがレジで新作のポップ作りをしている俺に話しかけてきた。
「今日はね、少しだけ仕事が早く終わったんだよ」
「へぇ、そうなんですか、毎晩お疲れ様です」
「いやいや、椎名くんには敵わないよ、朝までだもんね」
「俺は暇なだけですよ、恐縮です」
あまり詳しい話は聞いたことないが、このおじさんは夕方からこのくらいの時間まで仕事をしているらしい。お客を相手に仕事をしていると言っていた時もあれば個人の仕事だと言っていた時もある。
まぁ、俺のことも特に話したことがないから、もしかしたらフリーターと思われているかもしれないし、大学生と思われているかもしれない。街中でこのおじさんとすれ違ったとしても、相手はともかく俺
は恐らく声を掛けないだろう。それくらいの関係。
「――今日は、何か借りていくんですか?」
少しの沈黙の後、店員として売り上げを伸ばすためではなく、何だか不自然な沈黙を打ち破るために俺は尋ねた。
するとおじさんは、頭を掻きながら、不思議な表情を浮かべながらうーんと少し唸ってみたりした後に口を開いた。
「いやね、DVDを借りていくのはまぁそうなんだけど」
再びうーん、言っていいのかなぁ、なんて独り言をぶつぶつ呟いて考えている。
まさか俺に会いに来たなんて言うんじゃないだろうな、と良からぬ想像をするかしないかのところで「なんかね」と今度は独り言ではなく、俺に話しかけるように喋り始めた。
「なんかね、なんか、嫌な気がしたんだよね、なんだろう、まったく具体的な話じゃなくて、感覚が来た!みたいな」
「虫の知らせってやつですか?」
「そう、それだ、そんな感じのやつが来たんだよ」
「はぁ、そんなんあるんですね」
俺は話半分でおじさんの話を聞いていた。実際、何を言ってるんだこの人っていう思いが脳の半分を占めている。ポップ作りに戻ろうとPCの画面に再び目を向ける。
「椎名くん、いきなりこんな事を言っても意味が分からないと思うけど、身の回りには気を付けてね、僕の楽しみと言ったら仕事終わりに君たちと話すことかDVDを観ることくらいしかないんだから」
「そうですね、帰り道には気を付けます」
「そうだね、今日は寒いし、気を付けて」
「それはそうと、DVD、借りなくていいんですか?」
俺が言うと「そうだそうだ、選んでくるね」と言っておじさんは映画コーナーへ消えていった。
話すこと自体は好きだし、おじさんに対しても悪い印象は無いが、今はとにかくこの作りかけのポップを完成させてしまいたかった。出来れば店長が出勤する前には。
「そっちはどう?」
今度は七海が邪魔、ではないが来てしまった。
俺は基本的には面倒くさがりで、仕事が無ければないに越したことはない性格なのだが、それでも何かに集中してやりたいときは、それ以外のことは全て排除して取り組みたい、それだけをやり遂げたい性格な為、今はこれだけに全神経を、全人生を捧げたい。
「まぁ、見ての通りだよ」
俺がやりかけの作業画面を指さすと、七海はどれどれとパソコンを覗き込む。
「え?結構いいんじゃない?こんなもんでしょ」
「いや、これじゃあまだ客の目を引くようなインパクトが足りない、と思う」
「ふーん、本当に遊大って凝り性だよね」
「って言うより、半端が許せないだけだよ」
へぇ、と七海がなんとなく画面を見たまま何かを考えている様子で言った。俺は気にせずに作業に戻りながら口を開く。
「そっちは、並び替え終わったの?」
「こっちはマニュアル通りですから。あ、いらっしゃいませ~」
ちらりと見ると、ニット帽を被った男性が入店して、奥のほうへと消えていく。
「まぁ、その仕事の速さは流石だよな」
「効率の良い女の子ですから」
腰に手を当てドヤ顔を七海はしてみせる。
「いや、もう女の子って年齢じゃねえだろ」
「いやいや、遅れ咲いた青春を取り戻すにはあと5年は必要だよ」
「もうそろ卒業だしな」
俺と七海は18歳の高校三年生、今は自宅学習期間で、バイトに時間をかけているのだが、そう考えると七海の高校生としての青春はもう閉幕である。
「そっか、卒業したら青春しにくくなるよね」
「大学行った後でサークルにでも入ればいいだろ」
入店音と同時に顔を上げ入り口を見ると、背中にバッド、あるいはゴルフクラブのような長い物を背負った男が入店する。
「いらっしゃいませー」
「お客さん、増えてきたね」
「こんな時間に珍しいな」
「――珍しいと言えば、さっき三人組の人達来てたんだけど、見た?」
記憶を思い返してみたが、作業に集中していたか、おじさんと話していたのかで見ていない気がする。
「多分見てないけど、それの何が珍しいんだ?」
どの時間帯でも3人で来る客はいる為、七海が言いたいのはそこではないのだろう。
「いやね、そのお客さん、とっても静かなんだよね」
「静か?喋んないの?」
「そう、いや、喋りはするんだけどね?普通3人で来たりすると結構うるさいじゃん?この時間だと特に。だけどそのお客さんはボソボソ~って感じで外からじゃ聞き取れないような感じ」
「へぇ、なんか怪しいな」
「私もそう思って、新作整理がてらちょっとだけ様子を見てたの、そしたらね?」
七海が意味深に間を置く。
「そしたらなんだよ」
「そしたら、特に怪しい人でもなかったみたい、普通にDVD選んでたし」
なんてことない話に興味を引っ張られてしまったことを不甲斐なく思う。七海はえへへと笑顔を浮かべてこっちを見ている。
「さてはお前、俺の邪魔をしているだろう」
「えへへ、バレちゃった?」
とても満足気である。
「おじさん、来たからレジ立って」
「あ、いらっしゃいませ~」
七海は先ほどのおじさんを相手に2つあるレジの入り口側のレジへ向かう。
「お疲れ様、椎名くん」
今度は誰だと振り返って見てみると、そこには店長が立っていた。
「店長、おはようございます」
「うん、おはよう、進捗はどんな感じ?」
店長は少しはげた頭を撫でながら優しい顔で俺に尋ねる。
「新作は並べ終わってて、棚の整理も終わってます。それのポップが今ちょうど出来たところです」
先ほどまで打ち込んでいたパソコンの画面を店長に見せると「あぁ、流石だね、うん、これでいいよ」と言うので「了解です」と言ってプリンターに転送する。
「あと、予備の蛍光灯が残り少ないです。発注お願いします」
「はいはい、蛍光灯ね」
「それと、レジなんですが、差異が出てます」
「えー困るよ椎名くん!」
「俺じゃないですよ!中番あたりですよ!」
俺が咄嗟に否定すると「うーん、確かに君たちはよくやってくれてるからなぁ」と言い、少しはげた頭を掻く。
「店長!お疲れ様です」
七海が会計を終わらせて話に参加する。
「あ、須藤さん、お疲れ様。レジ点差異出てるんだって?」
七海は少し黙ってから「出てます」と言って後ろめたそうに口ごもる。入店音のピンポーンと鳴る音が正解の合図のように奇跡のシンクロをする。
「まぁ、君たちじゃないってのは分かるから、大丈夫大丈夫。原因は分かるの?」
「多分、お客さんに多くお金を渡してるんだと思います」
七海は依然として口を閉じているため、代わりに俺が答える。
「あーなるほど了解、それじゃあ僕は後ろで集金作業に移るから、その後は発注する予定だからフロアには朝まで立てないかも、2人で締めまで行けるでしょ?」
店長の問いに七海は勢いよく「はい!」と答える。
「うん、じゃあ頼むよ、なんかあったら呼んでね」と言って店長はバックヤードに消えていった。
七海が俺のほうを上目遣いにちらっと見る。俺のほうが七海よりも身長が高いから上目遣いになるのは当然のことだけれど、今回はなんだか様子を伺っているようだ。
「さっきのおじさん、なんか言ってた?」
あえてその様子には触れずに、関係のない話を振った。
「あの常連さんでしょ?特に何も、ただお疲れさまって」
「あぁ、そう」
「なに?なんかあったの?」
「いや別に、何もないけど」
特に言うべきことでもない、と判断したが何かが喉に引っかかってる気がする。
「そうなの?けどあの人、時々変なこと言うときあるよね。不思議とそれが当たるときもあるし」
七海が少し神妙な顔をして過去のことを振り返るような素振りを見せる。
確かにあのおじさんの言うことは当たることが多い為、あまり無下にも出来ないことは、なんとなく意識の中にある。
実際、日常のことでの悩みを少し打ち明けた時なんかは的確なアドバイスをくれたり、それのおかげで助けられたこともある。そして今回そのおじさんが言っていたことは、いつもより意味深長に感じられたため、七海にも打ち明けたほうがいいかもしれない。
「あのさ、あのおじさん、なんか嫌な予感がするとか」と言いかけたところで、店の奥から「すみませーん」と客が店員を呼ぶ声がする。
私が行ってくるねと手で合図をして、七海が「はーい」と店の奥へ行く。
まぁ、大丈夫か、と何ら根拠のない確信をして、パソコンの横のプリンターから印刷された新作ポップを取り出し、手元で確認をする。
「これ、お願いします」
いつの間にか目の前に立っていたニット帽を被った男がDVDを何枚かレジのテーブルの上に置く。
「はい、ありがとうございます」
テーブルの上のDVDを数えるために両手でそれを取り、新作、準新作、旧作が何枚あるかを数える。
ジャンルも、話数も、料金もバラバラなDVDを数えるのに集中していると目の前、と言うよりか頭の上、頭頂部の上から男が動くのを感じた。
「おい――」
男が俺に話しかけてくる。先ほどとは打って変わって力の籠った声だった。
「はい」と俺が顔を上げると目前には相手の顔ではなく、お洒落だが、無機質なデザインの拳銃と、少し長めの包丁が向けられていた。
「両手をそのまま動かさず、声を発さず、俺の要求を聞いてくれるよな?」
冷汗が背中をつたうのが分かった。
今夜は眠れない。
拝読いただきありがとうございます。