今回の終わり
遂にたどり着いた終着点に立っていた男は、酷く下卑た笑みを顔に貼り付けていた。
拳銃から放たれた乾いた音と同時に、赤い鮮血が飛び散る。
「キシ!」遥が叫ぶ。
キシはお腹のあたりを手で押さえながらしゃがみ込んで、じっと男を見つめる。先ほどまで手にしていた木刀を拾おうと地面を手が這っているが、木刀は数歩歩かなければ届かないところに落ちている。それを判断する余裕すら彼には残っていないようだ。
「――周子、七海と黎華を連れて逃げろ」
やっとの思いで絞り出した声は押しつぶされたように情けなくて、とても小さかった。
「でも、私が逃げたら――」
あなた達は逃げられなくなる。と続けたかったのだろう。
突如男が笑い出した、狂ったように。その笑い声は施設全体に響き渡っているようで、四方八方からこだまして聞こえてくる。
「いいから早く逃げろ、後で追いつく」周子たちのほうを向いて言った直後だった。
――パン。
血と灰の臭いで充満した廃工場の中で再び銃声が響く、振り返って見るとキシが頭から血を吹き出し真後ろに倒れていた。
男の叫び声と、七海の泣き叫ぶ声がスローモーションに響く、ゴトン。
「七海!」
棒のように固まっていた足を殴り、七海の下へ駆け寄り両手で肩を掴んだ。
「しっかりしろ、出口に向かって走れ」
「遊大は?」
「俺は……」
すぐには答えられなかった。
「黎華」
七海の隣で呆然としている黎華に声をかけると、我に返った黎華がこちらを向き、意を決した面持ちになる。
「黎華、頼んだぞ」
「――了解」
七海ちゃん、行こうと黎華が七海の手を引き、周子の下へ走ろうとするが、七海はまだ足元がおぼつかないようでノロノロとした動きになる。
「遊大……また、会えるよね」
周子のほうを向くと、彼女の足は既に赤黒い傷跡に覆われていた、逃亡に関しては問題が無いだろう。そう願いたい。
「あぁ、待ってろ」
七海の問いに、面と向かっては答えられなかった。
七海は黎華に手を引かれやっとの思いで退陣する。途中、彼女は何度も俺の名前を呼んでいたが、俺は何も答えられず、ただただ必死に作り笑顔を見せて、彼女たちが出口へ向かって消えていったのを確認した。
今度は前で放心している遥の下へ走り、彼の胸元を掴み引き寄せる。
「あ……遊大?」
「ぼっとしてんなリーダー、作戦は続行だ」
「けど、キシと冬馬が」
「考えるな、ここで全てを終わらせなければ、未来は開けないんだ!」
俺はいつまでも我に返らない遥を左のほうへ投げ捨て、キシの木刀を拾い、タブレットを見てにやけている男に殴りかかった。
しかし俺の見よう見まねの剣術は、小学生のチャンバラのようで、戦闘において最強であったキシの攻撃でさえ全く当たらなかったのだから、当然、一太刀も当たらない。
それでも尚振り回す、めちゃくちゃな声を張り上げながら上から、横から、斜めから。しかし、当たらない。
それまでずっとタブレットを見ていた男がやはりにやっとした表情を浮かべ、上着のポケットにそれをしまい込んで口を開いた。
「お前にはまだ、希望があるのか?仲間が次々と死んでいく中で、意味があるのか?」
数年前からニートのような生活を送っていた俺の体力は既に限界を超えていた。木刀を持つ腕はもう上がらず、息は乱れ、横腹が痛くて、口を開くのがやっとだった。
「希望は、ある。逃げた仲間が生きている内は、いつか必ず、お前を殺す。意味はその後であいつらが考えるさ」
俺がなんとか答えた様子を見て、表情と目つきを見て、声を聞いて、男は言った。
「そうか、お前は――死ぬ気だな?」
男は再び笑い出す、にやけ面を醜く歪めて笑う。左手で顔を覆い、右手で拳銃をブラブラと遊ばせながら笑う、笑う、笑う。
完全に油断をしているのだろう。相手は勝ちを確信しているのだろう。俺が疲れ切っているから、キシも冬馬も死んだから、唯一の武器である拳銃でブラブラと遊んで、油断しきっているのだろう。
だからその右手を狙った、気が付かれないように木刀を背中へ構えなおし、キシに唯一教わった剣術、居合切りを振りぬいた。
右から左へ斜めに叩きつける木刀は、鈍い音とともに確かな手ごたえを感じさせた。
見ると男は完全に意表を突かれたようで、笑顔を歪めて、左手で右の手首を押さえながらこちらを睨みつけている
「ただでは死ぬつもりはないぜ、遥!」
カラカラカラと拳銃が地面を這う音の終着点に遥がいた。
遥はそれを拾い上げて両手で構える。
「あぁ、お前は僕に殺された後に、日本の法に裁かれて死ぬんだ」
遥の目元が赤黒い傷跡でビキビキと覆われる。
「人の禁忌に触れたお前を僕は人間とは呼べない、僕の仲間への謝罪を永遠に唱えて、犯してきた罪を数えて、死ね!」
遥は男に対して確かな殺意を込めて言った。手には拳銃を構えている。遥に殺意を向けられた人は必ず気絶する。そのはずだった。
再び乾いた音がした。するはずのない拳銃の音、遥が発砲をするはずがないからだ。
俺はただただ動揺していた。どちらにせよ助けられないのは分かっている。撃ったのは男だ。予備の拳銃を隠し持っていたのはある程度予測できていた。それに対してではなく、男がまるで何事もなかったかのように動いている。そして俺はその事実に、一切の身動きが取れなくなっていた。
「なんで、動ける――」遥はそう言い残して、その場で倒れた。
「人間だったら、死んでいたかもな」男の左手には新たな拳銃が握られ、その銃口からは硝煙がふわりふわりと浮かんでいた。
「しかし、その程度の殺意で私が死ぬわけないだろう」
そしてその銃口を、今度は俺の面前に持ってくる。
「――惜しかったんじゃないか?」
折れた右手から滴る血をペロリと舐めながら男は言う。
「まさかお前が攻撃してくるとは、驚いたよ、初めてだったんじゃないか?」
先ほどの一撃で疲弊しきっていた俺は、既に木刀を握り続ける握力すら残っていない。それに加え、目前に迫った死の恐怖から、心臓を冷えた手で鷲摑みされるような気持ちの悪さに激しく嗚咽してしまい、木刀を落としてしまう。
「今回は惜しかったんじゃないか?」
男は確かに今回はと言った。だが俺にはその意味がわからない、わからないと言えば遥たちの能力も、この男の正体も、なぜこれから殺されるのかも、全部、全部、意味が分からない。
遥たちと出会っての数日間、まるで今までの日常が全部嘘だったんじゃないかと思えるほどに非現実的で、突飛な事ばかりで、だけど表の日常の裏には、こんな日常があるんだなって、楽しくやっていたはずなのに。
「今回はお前で最後だな」
男は二度、今回はと言った。その意味の中には何か深いものがあるような気がした。それは希望か、あるいは絶望か。
「待て、俺で最後って、どういう、意味だ?」これから殺されるというのにこんなことを聞いても何も意味をなさないことは、その時は判断できなかった。
男はにやりと口元を歪め上着からタブレットを取り出して俺に向ける。
そこには燃えた瓦礫と始動したスプリンクラー、折れた鉄パイプに、七海、黎華、周子の死体が映っていた。
「あの状況になればお前が女たちを逃がすのは容易に予想できた」
いや、分かっていた。と男は言い直した。
俺の口から声にならない何かが漏れ出した、もしかしたら嘔吐だったのかもしれない、視界がぐにゃりと曲がって、冷汗のようなものが全身に出て、そして、これから死ぬ。
「その表情はいつになっても見ものだな、それじゃあ終わりにしようか」
パンと聞こえた直後には、眉間に風穴が開いていた、倒れ行く途中、男の顔が視界に入る。
また、会おう。
そんなことを言っていた気がする。そんな気がする。
今となってはよくわからない、そもそも今がわからない。
しかし、俺が最後にした質問の意図は相手には伝わっていなかったような気がする。男が今回というワードに含んだ意味は、もっと別の何かが――。
徐々に視界が暗転していく、先ほど暗転とは違う、徐々に、徐々に暗くなっていく。
身体が動く気がする、手が、足が、そしてあいつにもう一太刀浴びせられる気がする。
そして言い表せない解放感とともに、椎名遊大は絶命した。
拝読いただきありがとうございます。週3くらいのペースで更新していく予定なので、今後も読み進めていただければ幸いです。